在韓軍人軍属裁判を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.60 (2010.9.12発行)

推進協議会10周年集会
(8月31日・ソウル)

合祀手続きの瑕疵を検証 朝鮮人合祀の取り消し要求を政府へ届けよう!
 
 原口総務相は9月7日、靖国神社にA級戦犯が合祀される過程で国の行政手続きに問題がなかったかの検討会を総務省に設置する方針を明らかにしました。厚生省は71年にそれまで都道府県に行なってきた合祀手続き協力の通知を廃止していますが、理由は「政教分離」です。A級戦犯の合祀は78年であり、「行政手続きに瑕疵があったとすれば、今までのものを塗り替えなければいけない」と示唆しています。A級戦犯のみならず、旧植民地出身者の合祀を無効とする声を政府に対して突き上げましょう。
 8月22日東京、29日ソウルで「韓国併合100年日韓市民共同宣言大会」大会が開催され、「『ダーバン宣言』を東アジアにおいて具体化し、先に進めていくことを追求する」と、植民地支配の清算要求を高らかに宣言しました。「菅談話」は、不十分なものでしたが、今回言及した、サハリン残留韓国人の支援、朝鮮半島出身者の遺骨返還、そして文化財返還に関しては、今後の私たちの運動にかかっています。真の植民地支配の清算に向けて、秋の闘いがスタートします。韓国遺族証言集会や第10回記念ボランティアツアーにご参加ください。

強制併合100年韓日市民共同宣言大会・推進協10周年集会 参加記(古川)

   
 
 

市民宣言大会チラシ

 8月28日から31日にかけて訪韓しました。今回の目的は、ソウルで行われた「強制併合100年韓日市民共同宣言大会」と李熙子さんが共同代表を努める「太平洋戦争被害者補償推進協議会10周年集会」に参加すること。GUNGUN・ノーハプサから大口、浅野両弁護士をはじめ10人以上のメンバーが参加しました。
 
大雨の中の行動

 最も重要な29日は、温帯低気圧の影響で朝から雨が強く降り、ソウルには大雨警報が。午前は、民族問題研究所が西大門刑務所跡を利用し「巨大な監獄・植民地に生きて」と題した強制併合100年特別展を見学。同研究所が長年かけて収集した、植民地支配過程の資料が展示されていた。浅野弁護士は「憲兵隊の取締りマニュアル」や「検事調書」を食い入るように見入っている。民主化されるまで使われていた監獄だけあって、非人道的な植民地支配の空気を感じる絶好の環境でした。
 その後、南山の中腹に向かった。「強制併合条約締結現場」フィールドワークの予定は雨で中止でしたが、「統監官邸跡 標石」除幕式は決行。大雨の中、ソウル市議会の議長をはじめ、韓国の国会議員や日本からは服部良一衆議院議員が。この石碑は民族問題研究所が建立をソウル市議会に働きかけたものの、当初ソウル市長は「国家の恥の石碑だから認められない」という姿勢だったそう。結果、場所だけを提供させ、募金によって建立すること決着。「恥」と取るか「歴史の事実」として取るか、私たち日本人にも問われています。
 

西大門刑務所での展示

統監官邸跡標石

会場全員の拍手で確認した市民宣言

 午後は、成均館大学で開かれた「韓日市民共同宣言大会」に参加。前の週、22日に1000名の参加者で成功した東京大会(別掲)からの一連行動の集大成として開催。冒頭は韓国の若者によるサムルノリで開幕。まずキムミンチョルさんが経過報告。矢野秀喜さんが東京大会の成功を報告。日韓の国会 議員たち(服部良一、キムヨンジン、ファンウヨ、カンチャンニル)が挨拶。
 故福留範昭さんへの感謝セレモニーを経て、まず日韓の学生が「決意文」を朗読。そして日韓2人ずつが登壇し「韓日市民共同宣言文」が読み上げられました。
 その後、慰安婦や靖国合祀問題などの分野別行動計画が発表され、会場全員の拍手で確認されました。
 大雨警報の中、大勢の日韓市民が高らかに植民地支配の清算への道筋を宣言した大会に、和田春樹さんをはじめ日韓の知識人も多く参加されていました。「菅談話」が個人補償、植民地支配の清算には物足らない内容だっただけに、市民による対案を示した意義は大きい。市民宣言にあるとおり、奴隷制と植民地主義の再発防止を謳った「ダーバン宣言」10周年の2011年に向けて、運動を具体化しなければと思いました。
 

学生が「決意文」を朗読

ハルモニも登壇

 

「韓日市民共同宣言」から(抜粋)
 今こそ植民地主義の清算に向けて、日本政府は、被害者に謝罪と補償を行なうとともに、被害者とその犠牲を永遠に記憶に刻み、未来に向けて同じ過ちを繰り返さないための事業を進めていかなければならない。疑いもなく画期的な意義を有する2001年の「ダーバン宣言」は、奴隷制と植民地主義を非難し、再発防止をうたいはしたが、戦後補償までは打ち出しえなかった。「日韓市民共同宣言」は、「ダーバン宣言」を東アジアにおいて具体化し、それをさらに先に進めていくことを追求する。

「分野別行動計画(靖国神社問題)」 から(抜粋)
@靖国神社の歴史認識の秘める危険性を韓日社会に知らしむる日本巡回展示会や図録発刊などを推進する。A「無断合祀取り消し裁判」闘争と毎年8月東京での「反靖国キャンドル行動」を引き続き行なう。B遺族の靖国神社無断合祀取り消し要求を拒否する日本政府や靖国神社の不当性を国際社会へ広く知らせるため、英文報告書を作るなど多様な方法を模索する。


懐かしい顔ぶれがそろった推進協10周年集会

 翌30日は、朝からソウルの鍾路5街にある梨花礼式場で行なわれた「太平洋戦争被害者補償推進協議会10周年集会」に参加。原告集会でよく使う会場で、入るといつも通り会員のアジュマたちが満面の笑顔で出迎え。10年前、加害国である私たちをどう見ていたかはわからないが、この10年の闘いが結びつきを強くしてくれたと実感。正面へ向かうと金幸珍さんが。NHK特集「日本と朝鮮半島」の取材を受けながらカットされて残念がっておられたが、お元気そうで何より。シベリア朔風会の李在燮副会長や、春川遺族会の洪英淑会長も参加されていました。
 集会は、午前中は日本側から、日鉄、GUNGUN、ノーハプサ、不二越裁判の意義や課題を報告した後、強制動員や軍人軍属の被害者救済への立法化にむけた報告、議論。そして昼食。バイキング料理に舌鼓を打ちながら飲むソジュは格別!会食しながら、崔ジナさんたちが制作した10年を振り返った映像で、参加者全員の心が一つに。私は、ここにいるはずの金景錫さんや林西云さんに思いを馳せていました。当日配られた10周年記念冊子は、電話帳ほどの厚みがあり、カラー写真と資料が溢れている。どの写真も10年間の闘いの瞬間、瞬間を切り取ったものです。
 舞台では主要メンバーによるケーキカット、会員から張完翼、李熙子両代表への感謝盾と花束の贈呈が行なわれ、カラオケ大会に突入。冒頭「短い挨拶と長い歌を」と指名を受けた私は、金学順さんが好きだったという歌「花の中の花」をアカペラ。後は参加者みんなのパンチある韓国の演歌、SMAPの歌や、乗りの良い歌で、全員が舞台で踊る歌うの大盛り上がりでした。推進協の活動を支えてきたのは、こうした会員同士の人情の温かさと底抜けの明るさに違いないと実感。
 集会後は、最近病状が思わしくないと聞いていた、シベリア朔風会の李炳柱会長を見舞う予定でしたが、病院のプログラムが合わず次回に持ち越しに。GUNGUN裁判提訴後、数名の原告が亡くなったが、こうして懐かしい顔に再会する度に「早く解決を」の思いを強くする。

参加者全員で記念写真 浅野、大口弁護士 最後は歌って踊って

遺族を招いて証言集会を開催!
 韓国併合100年の今年、遺骨調査や郵便貯金などの記録引渡しを求める韓国人遺族の思いを国会議員や市民に届けるために「証言集会」を各地で開催します。ぜひご参加ください。
(スケジュール)
10月7日(木)来日
    8日(金)国会要請 集会
    9日(土)神戸集会 14時 神戸「戦没した船と海員の資料館」第2展示室
   10日(日)大阪集会 14時 エルおおさか701号室
   11日(月休)京都集会 15時 龍谷大学深草キャンパス

8・22 韓国併合100年 日韓市民共同宣言 日本大会に参加して(中田)

 池袋駅を出るや否や、豊島公会堂へ向かう道は機動隊のバリケードで塞がれ、会場の入り口は、右翼の襲撃に備えて防衛隊のメンバーが厳重なチェックを行っていました。このような緊張した雰囲気の中で開催された韓国強制併合100年日韓市民共同宣言日本大会は、「植民地主義の清算と平和な未来」を恐れる右翼の人達の妨害をはねのけ、1000人の参加で大成功を収めました。

 集会の冒頭、共同代表の伊藤成彦さん、李離和(イイファ)さんは、それぞれ「植民地支配の根幹である併合条約の強制の「不法性」が曖昧にされていることが問題の根幹にある」「共同宣言を実行に移す市民運動の連帯の強化が大切」と今回の大会の意義を明確にする発言で大会は開始。基調講演で庵逧由香さんは「植民地支配をした日本人は、日本の領土外で行われた植民地支配の「実態」を知ることなくその認識が今なお継続していることを指摘、日韓共同の取組みで植民地主義を克服して行こう」と呼びかけました。

 性的奴隷とされた朴順姫さんは「元山から拉致されて汽車で中国の密山に連行された。「慰安婦」にされ、抵抗すると短剣で体を突き刺された。解放後、父は二人の娘が「慰安所」に送られたことを悟り、苦痛と怒りのなかで亡くなった。捨てられた赤ん坊を拾い養子にして育てた。その子がいたから生きて来れた。日本政府は謝罪し賠償すべきであり、それなくしては目をつむることはできない」と。

 麻生財閥の赤坂炭鉱に連行された孔在洙さんは「1941年12月に逃亡して捕まると殴打され、歩くことができなくなるほどの激しい拷問にあった。2回の逃亡に失敗し、人間以下の奴隷のような待遇を受けながら生きることしかできなかった。真実を明らかにしてほしい」と。サハリンの残留問題で朴ノヨンさんは「サハリンに父が家族とともに連行され、68年ぶりに韓国に戻った。帰国しても住宅賃料支払い問題、未払い賃金・貯金、療養院の建設、1世のみならず2世の永住帰国、2世の韓国訪問支援など様々な問題がある。日本政府は未払い賃金や貯金・債券を根拠にサハリン韓人同胞特別支援基金を設立すべき」と述べました。また、関東大震災の朝鮮人虐殺の真相解明、祐天寺の朝鮮人遺骨、東京空襲の朝鮮人犠牲者の遺骨等の課題や「在日」の問題について、崔善愛さんは「82年から88年の6年間押捺を拒否することで再入国不許可処分を受け、渡航の自由を奪われ、86年再入国不許可のまま出国し、協定永住権を剥奪されるなど、指紋押捺を拒否することで植民地支配そのものを知ることができた。外国人登録を通じて見えたものは植民地時代の屈辱だった、植民地主義は続いている」と今なお続く民族差別の課題を訴えました。また、朝鮮高校無償化の問題について高校生の高英載さんは「無償化から除外されることで、社会の冷たく厳しい風を直接この体と心に受けてきた。民族のことを学びたいということがなぜ悲しみの連鎖となるのか、朝鮮人としての自覚と熱い気持ちを持って最後まで闘い、決して諦めない」と決意を述べました。

 集会ではこれからの日韓の運動を進めていく主体となる青年や学生が独自に作成した「植民地主義は、現在に生きる私自身の課題である−「韓国強制併合」100年にあたって−」と題する宣言も採択。沢知恵さんのコンサート後に採択された「植民地主義の清算と平和実現のための日韓市民共同宣言」行動計画において、賛同者を募り、議会での意見書の採択、植民地支配による被害の謝罪と補償のための法律制定、その前提として植民地支配の真相究明のための法整備や調査報告書の作成、そして政府の中に過去清算のための課題に取り組む組織の設置、日韓の国際連帯強化の6点の行動計画を確認して集会を終えました。

親子で参加 2010ヤスクニキャンドル行動(山本)

 
 
 
   

 8月14日、社会文化会館で開催された「2010平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動―植民地支配とヤスクニ」に親子で参加しました。会場に到着したときにはすでに右翼の街宣者が集まり大音響で騒いでいました、警察官が呼び止めて「どちらに行かれますか?」と聞いてきて、「社会文化会館です」と言うとすぐに通してくれましたが、ものものしい雰囲気でした。ロビーでは毎年恒例の韓国・祥明大学の学生さんのヤスクニ風刺画も展示され、似顔絵コーナーやTシャツ販売もありにぎやかです。女子学生から「似顔絵いかがですか」と声を掛けられて、上の子は恥ずかしがっていましたが、下の子は素直に描いてもらいました。とてもかわいく描いていただいて本人も喜んでいました。聞くところによると今年は財政的支援が得られず大変なんだとか。そのような中でも毎年多数参加されている祥明大学の皆さんには頭が下がります。

 今年のキャンドル集会は前半が「植民地支配とヤスクニ」というテーマのシンポジウムで、高橋哲哉東京大学大学院教授、韓国から参加された金承台(キム・スンデ)民族問題研究所研究員、台湾から参加された詩人の莫那能(モー・ナノン)さん、石原昌家沖縄国際大学名誉教授がパネリストとして報告しました。高橋教授は「右翼の招きでフランスの極右団体の代表が来日し靖国神社を参拝した。靖国神社がどういう神社かよく分かる」と指摘。菅談話についても「併合を強制とも違法とも言っていない。談話の宛先が大韓民国だけで北朝鮮や在日コリアンを含めた朝鮮民族全体になっていない。談話は落第」と批判しました。

 今回、注目を集めたのは、被害者証言の一人として沖縄から参加した琉球弧の先住民族会の我如古朋美(がねこともみ)さんの発言でした。我如古さんは祖父が沖縄戦で家族(父・弟)を失い、靖国神社に合祀されています。我如古さんは7月14日にスイスのジュネーブの国連欧州本部で行われた「第3回期国連先住民族の権利に関する専門家機構」の会議に参加しました。我如古さんは「日本の中でも独自の文化や歴史を持つアイヌ民族や琉球・沖縄の人々だけが適用される、国連の「先住民族権利宣言」を使い、国内の法律や政治の枠内で解決できないことでも、国際的な見地から沖縄内の問題が解決できないか」と考え、国連で「沖縄一般住民靖国神社合祀問題が被害者である一般住民を軍人同様に靖国神社に祀ることは、沖縄戦の一般住民の被害の事実に反することであり、その事実を未来の世代に伝達する権利を有する、先住民族権利宣言に反している。また、沖縄には独自の信仰や宗教が存在する中、靖国神社に祀ることは沖縄の人の持つ信仰とは別の宗教を強いていることになるので、これも権利宣言に反することになる」と報告しました。靖国合祀問題を国際社会に訴える新しい視点です。

 毎年恒例の韓国のミュージジャンの演奏の後、約700人の参加者で日比谷公園まで1時間のキャンドルデモを行いました。右翼が宣伝カーで割り込もうとしてひやっとする場面もありましたが、子どもも元気に歩き通し、解散地点では思わずハイタッチしました。

京都での「韓国併合100年〜日本と朝鮮半島の過去・現在・未来を考える」報告(木村)

 
 

文化財

 「韓国併合100年日本と朝鮮半島の過去・現在・未来を考える」が8月7日8日に京都で、「韓国併合」100年市民ネットワークと龍谷大学社会経営学研究会共催でもたれました。

 1日目は、シンポジウムのテーマ「文化を奪うとは、どういうことか?植民地支配の文化的側面」を映像&論議&利川からの報告&パンソリを含む日韓文化交流という丸一日の流れの中で伝えられました。シンポジウムは3人のパネラー、京都造形芸術大の仲尾宏客員教授、同志社大の太田修教授、朝鮮大の康成銀教授、特別報告として利川五重塔返還推進委員長の朴菖熙氏から各々報告がありました。
 国家神道の強制は、朝鮮半島で一村一神社運動として推し進められ、1930年代には神社数も急増し45年までに913の神社がつくられた。そして学校教育への神社参拝強要は、拒否する学校を廃校処分にする等圧力を加え、一方夏休み冬休みには参拝スタンプラリーで早く達成した者を褒める等児童の生活に浸透させていく。皇民化教育の強化による児童・生徒への天皇国家への忠誠強化が図られていく。こうして神の子孫をいただく日本国家と日本人の優越性の誇示と朝鮮文化の破壊と劣等感付与により、天皇の赤子として無限の忠誠を誓わせていったと。
 管首相は8月「韓国併合」100年を前にした談話で「朝鮮総督府を経由してもたらされた日本政府が保管している朝鮮王朝儀軌等の朝鮮半島由来の貴重な図書について、韓国の人々の期待に応えて近くこれらを“お渡し”したい」と語りました。植民地支配の中で日本がどれだけの文化財を奪ってきたのか、今現在どこにあるのか明らかでないことが多い。日本政府は、日韓会談の“文化財に関する協定”で解決済みとしてきましたが、当時返還された文化財に国宝や重要文化財に指定されているものは一点もなかったそうです。質量共に貧弱な物を返還ではなく、あくまで“引き渡し”とした。国立大・民間が所有するものの引き渡しは拒否したという。「韓国国際文化財団」の調査によると、日本の博物館や美術館で確認できた朝鮮文化財は2万9千点に及び、個人コレクターにより所蔵されているものは、実に30万点近くに及ぶといわれる。これらは朝鮮侵略・植民地支配期に不法に略奪されたもので、未だ略奪経緯や現在の所在不明が圧倒的多数とのこと。総督府による朝鮮古跡調査で、出土した遺物群は調査に参加した研究者ゆかりの大学や博物館に納められている。国内最大の所蔵先が東京大学だという。
 期待の持てる話も。日本考古学協会総会で、東京都埋蔵文化センター五十嵐彰氏が、朝鮮半島からもたらされた膨大な考古資料について入手の経緯と現在の保管の実態について調査し明らかにすべしというもの。「朝鮮半島が日本に併合されて100年目の今こそ、日本の考古学協会が率先して何らかのアクションを示すべき時」「『日本考古学』に関わる者たちの戦後責任を果たすことに繋がると確信します」と提案されたと紹介が。
 最後に利川五重石塔返還推進委員会委員長の朴菖熙氏より特別報告。五重石塔の地域住民にとっての存在は、芸術的価値からでなく民衆の生活の中で生かされる価値を持っている。地域の信仰の場として人々は塔の周囲を回りながら祈る場。そんな石塔は1914年総督府建設の際200もの王宮を壊し、その一つがホテル大倉に移築、大倉美術館ができたときそこに利川から運ばれたもので、総督府から“下附”されたもの。五重石塔返還要求への地域の人々の声を映像も交えて紹介。また、返還署名は、2010年6月利川人口20万人中10万8919筆に達しホテル大倉へ持ち込まれた交渉経過が報告。その後、五重石塔のストーリーを語ったソンソスクさん、イイギョルさんのパンソリ。哀愁を帯びた声、力強い語りは利川の人々の思いが心に沁み入るものでした。

 2日目記念講演は、京都大名誉教授の上田正明氏より「日本と朝鮮の文化交流2000年」。
 明治8年に始まった日本の朝鮮支配は、言葉を奪い、土地を奪い、名前を奪い、命を奪う“4奪”と言われるが、友好の歴史は遥かに長い。朝鮮通信使の時代、幕府が禁じたにもかかわらず、日本民衆が歓迎に加わり、その文化が今も各地に残ることから、更に歴史を遡り友好の足跡を紹介。「国際という言葉は、インターナショナルを訳したものだが、国益は権力者が代われば変わる。民衆と民衆の交わりは続く。民際こそが本物」と。83歳という歳を感じさせない魅力ある講演に引き込まれました。

上田先生 2日目のシンポ

 一日目交流の夕べは在日コリアンと日本人によるユニット“チングドゥル”地域の“東九条マダン”や“月桃の花歌舞団”が会場も一体となる文化交流。映像も朝鮮総督府制作のプロパガンダ映画の上映&藤井氏による解説。2日目映画“あんにょんサヨナラ”上映も好評で販売のビデオは完売。2日間充分伝えきれない豊かな内容の集いでした。

ノー!ハプサ(合祀)口頭弁論報告(山本)

 7月29日、ノー!ハプサ訴訟第16回口頭弁論が行われました。裁判には李熙子さんも参加。すでに7月7日の進行協議の時点で11月11日に証人尋問の期日は入っていましたが、原告側が申請していた日韓の歴史学・法律学研究者、岩手の太平洋戦史館館長の岩渕宣輝さん、原告らのうちどこまで裁判所が認めるかが注目されました。
 裁判長は国、靖国神社に意見を一応求めましたが、「裁判所としては朴漢龍さんと徐勝さんの意見を伺いたい」と2名の学者証人を採用しました。原告についても李熙子さんと金希鍾さんの名前を挙げた上で、さらに3名の原告の尋問を行うことを通告しました。
 閉廷後に書記官から「次回の裁判は傍聴券が配布される予定なので集合時間等をホームページで確認してください」と異例の事前通告がありました。原告側被告側双方の傍聴者が丁度大法廷を埋める状態で推移してきたので、しばらく傍聴券の抽選はなかったのですが、次回は間違いなく傍聴券抽選となりそうです。
 9月6日の進行協議で11月11日は朴漢龍(パク・ハニョン)民族問題研究所研究員と原告の尋問が行われ、11月22日に第2回目の証人尋問として立命館大学の徐勝さんの尋問が行われ、来日できない原告のビデオ、8月15日の靖国神社のビデオ上映が予定されています。皆様の傍聴参加を熱く呼びかけます。

ノー!ハプサ裁判(証人・原告尋問)日程
第17回口頭弁論 11月11日(木) 午前10時〜 東京地裁103号法廷
第18回口頭弁論 11月22日(月) 午後1時半〜 東京地裁103号法廷

 

第10回記念「草刈りボランティアツアー」を開催!

 恒例の韓国・春川にある強制連行被害者納骨堂の草刈りボランティアツアーを今年も開催します。大勢でのツアーは今年で区切りにします。あとは情勢に合わせて開催する予定です。今回は「ナヌムの家」で李熙子さんたちとキムチづくりを行ないます。今まで参加しそびれた方はこの機会にぜひご参加ください!

昨年の慰霊祭 みんなで草刈り

日程(案)
10月22日(金)ソウル ⇒ 春川へ(観光)
   23日(土)朝から納骨堂の草刈り・日韓合同慰霊祭
         ⇒ナヌムの家へ(ハルモニと交流とキムチづくり準備)
   24日(日)キムチづくり ⇒ソウルへ(早帰りは帰国)
   25日(月)自由(帰国)

   参加費 : 飛行機代+約2万円 
   申し込み : 「住所・氏名・電話・FAX番号・参加日程」を電話かFAXください。(078−611−0050)

反戦歌人の深山あきさんと李熙子さんとの交流が実現(古川)

 
 

深山さん(左)と

 心裂き 身を裂きたりな傲然と 性辱めは天皇の軍隊
 天皇の 命に送られ果てたりき 髑髏の兵の慟哭を聴け
 
 など、朝鮮人戦争被害者や従軍慰安婦への思いと、痛烈な天皇批判を多くの歌にしている、歌人の深山あきさんと李熙子さんの交流が7月31日実現しました。
 きっかけは昨年10月、GUNGUN判決報告集会に参加した「靖国合祀イヤです訴訟」の古川佳子さんから李熙子さんへ、深山あきさんの歌集「平和のための祈り」がプレゼントされ、読んだ李熙子さんが交流を熱望したことです。
 深山さんと李熙子さんとの会話ははずみ、共通の知り合いである韓国挺身隊問題協議会の尹貞玉さんの話や、過去の日本の軍国主義にいかに日本人が協力させられてきたか等、話しが盛り上がりました。深山さん、ありがとうございました。

 読書案内

 『NHKドラマ「坂の上の雲」の歴史認識を問う
             〜日清戦争の虚構と真実』

 
   

                       中塚 明・安川 寿之輔・醍醐 聰 著   高文研 1500+税

 NHKドラマ「坂の上の雲」は、2009年から、2011年まで3年間かけて放送予定しており。ドラマを見た感想で「明治時代の歴史が、よくわかった」という声もあるそうだ。しかし、「韓国併合」100年にあたる今年に放映される作品としては、大変不適切である。小説だから、面白ければ多少の脚色があってもいいのではという軽いノリでは見過ごせない決定的な誤りが原作の司馬遼太郎氏の歴史観にはあると本書は指摘している。
 司馬氏は、「坂の上の雲」に描かれている明治という時代は、「良い指導者、国民がいて、希望があった青年ニッポン」であり、太平洋戦争に突入した「戦前の昭和は、本来の日本ではない 」という明治栄光論(復活論?)として、日清・日露戦争は、「けなげな少年の日本が、欧米列強に立ち向かったのだ」ととらえている。しかし、日本は二つの戦争を通して、帝国主義国として、朝鮮半島に支配を強め、やがて大陸侵略に進んだのである。司馬氏の原作は、日本軍の軍隊戦略については調べた痕跡はあるが、支配されていく朝鮮側の史実がない。本書に書かれている具体的な、日本の支配強化による朝鮮社会の混乱、朝鮮農民軍の虐殺、朝鮮王妃殺害事件等、朝鮮の人々の被害、抵抗が欠落している。韓国併合100年目の今、問われるべきは栄光の明治への郷愁ではなく、史実を正しくとらえることで、アジアの友好を深めることである。本書は一読に値する。(大釜)

GUNGUNインフォメーション

10月9日(土) 韓国遺族証言集会(神戸)14時 「戦没した船と海員の資料館」第2展示室(JR・阪神元町駅南西へ10分)
  10日(日) 大阪集会 エルおおさか701号室
  11日(月休) 京都集会 午後(時間未定)龍谷大学深草キャンパス
10月22日(金)〜 第10回春川納骨堂草刈りボランティアツアー
10月26日(火) 「沖縄合祀ガッティンナラン訴訟」判決 13時 那覇地裁
11月11日(木) ノー!ハプサ裁判第17回(証人尋問)10時 東京地裁103号法廷
11月22日(月) ノー!ハプサ裁判第18回(証人尋問)13時半 東京地裁103号法廷
12月21日(火) 「合祀イヤです訴訟」控訴審判決 15時大阪高裁