在韓軍人軍属裁判を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.58 (2010.5.15発行)

長野県中川村の皆さんと交流
(2010年3月19日)

植民地支配の清算は国際社会の潮流

 2001年9月、南アフリカのダーバンで、国連主催の「反人種主義・差別撤廃世界会議」が開催されました。討議されたひとつは、「奴隷制と植民地支配の清算」。過去500年人類を支配してきた西欧による奴隷制と植民地支配の歴史的清算が、国連の国際会議で提起された画期的なできごとでした。「韓国併合100年」の今年、日本の植民地支配清算を議論することは、国際社会の潮流なのです。同時に清算に伴う立法化を進めなければなりません。
 3月26日、強制併合100年「過去事清算」韓国実行委員会が発足し、朴ウォンチョル(世界NGO歴史フォーラム代表)常任代表は、「韓日の過去事問題を一段階進展させるためには、歴史的な真実究明に基づいて、植民主義を清算できる諸般条件を作らなければならない」と語り、伊藤成彦さん(強制併合100年共同行動日本実委共同代表)は、「韓国実行委の結成は、韓日市民が過去を正し未来を開くための共同作業を進展させる」と語りました。
 8月に東京(22日)とソウル(27〜29日)で開かれる「日韓市民共同宣言大会」や、今後各地で開かれる催しにGUNGUNも合流していきます。グングン裁判は引き続き、上告審に向けての手続きを進めています。今後の展開にご注目ください。

韓国強制併合条約「締結」100年の8月に向けて(中田)

   
 
 

朝鮮総督府

 日朝・日韓関係、そして韓国・朝鮮関係が、今、足踏みをしています。
 日本では、拉致問題を口実として、朝鮮高級学校を当面高校無償化から除外し、今後の検討課題とする法案が三党連立政権下で成立してしまいました。特定のマイノリティの「教育権」に対する差別は、国連人権規約、子どもの権利条約や人種差別撤廃条約、日本国憲法の趣旨からも決して許されるものではありません。そして今回の問題の根源には、日本社会に通底する清算されずにきた植民地主義の「残存物」としての在日コリアンのへの差別的取り扱いという根本的な問題が存在しています。
 今回の事態は、清算されなかった過去の植民地主義に根差す差別を、現在の日朝国交正常化の外交カードとして利用しようとする卑劣極まりない日本政府のこのうえない姑息な姿を浮き彫りにしました。そして今回の事態を許した背景には、最近「在日特権を許さない市民の会」と称する団体らによる人種差別・排外主義を煽る言動や行動を容認する日本社会が抱える根本的な矛盾があると言えます。

キーワードは「植民地主義」の克服

   
 
 

戦争への動員

 一方、李明博政権の対朝鮮強硬政策や韓国海軍哨戒艦「天安」沈没事件などで南北の緊張関係も激化してきています。このような時だからこそ、改めて隣国である韓国・朝鮮とどう向き合うかが問われています。東アジアの平和構築を射程に入れた韓国・朝鮮との関係正常化のキーワードはやはり「植民地主義」の克服です。 
 東アジア重視を唱える鳩山政権の「東アジア共同体構想」がどのような形を現してくるのかわかりませんが、7月の参議院選挙後の、8月15日前後の「首相談話」など、どのような形態をとるかは別として、韓国・中国をはじめとしてアジアに対してどのようなメッセージを発していくのか、またそれに向けて市民運動がどのように取り組んでいくのか、大きな運動の山場・節目を迎えます。

8月に向けて植民地支配清算と立法化議論の活発化へ

   
 
韓国で強制併合100年実行委員会結成  

 例年8月15日は、日本にとっては「敗戦」の日であり韓国にとっては「解放」の記念日です。65年前の1945年8月、日本はポツダム宣言を受諾しましたが、米英に対して無条件降伏を受諾したという「意識」はあっても、中国、朝鮮に対して「無条件降伏」したとは決して思っていません。朝鮮への植民地支配、中国をはじめアジア各国への侵略に対して全く「反省」をせずに、「脱亜入欧」の近代化路線の末路=植民地主義の破綻としてのアジア太平洋戦争における敗北が、克服されないまま、戦後は「脱亜入米」にどっぷりと漬かることで、日本社会の侵略主義的・排外主義的構造を克服することができませんでした。また、8月に向けては、植民地主義の「残滓」である天皇の訪韓で幕引きを図ろうとする動きも活発化していくと考えられますが、戦後補償の重要性を広く社会にアピールしていかなければならない重要な時です。

   
 
 

ソウルで100年を機に戦後補償をと要求

 運動の飛躍的な前進を勝ち取るためにも、私たちは、所属政党に関わらず、戦後補償を推進する国会議員を7月の参議院選挙で一人でも増やす取り組みを今から始めて、戦後補償の立法化への展望を切り開いていかなければなりません。そして、今年の8月22日は、韓国強制併合条約「締結」の日、8月29日は施行の日からちょうど100年を迎えます。8月22日は、東京では、植民地主義の克服と未来の日韓関係を築くための集会として「韓国併合100年共同行動日本実行委員会」が主催する日韓市民共同宣言集会が開催されます。関西では、8月7日〜8日の2日間の連続企画として、記念講演や「文化」の側面から見た植民地支配の学術シンポジウムと強制連行企業の責任追及と立法化の展望を探るシンポジウムの開催や、映画祭、演劇やコンサートなどの文化行事の取組みの計画が進みつつあります。いまから韓国強制併合100年の山場である8月に向けて様々な取り組みを展開していきましょう。

真相究明ネット・福留範昭さん急逝の報に絶句(古川)

 
 

福岡で行なわれた葬儀での遺影

 真相究明ネットワーク事務局長として、韓国の真相糾明委員会や市民団体と日本の市民運動との架け橋として活動されてきた福留範昭さんが、5月5日、急性心不全のため逝去されました。(享年60歳)。福留さんは、逝く前一週間韓国で会議やシンポジュームに出席しており、急な訃報に私は絶句しました。李熙子(イ・ヒジャ)さんも「韓日の過去事清算運動の大きな損失だ。20余年間自費を投入して日本と韓国の市民運動をつなぐ架け橋の役割をしていた大黒柱が崩れた」と、死を惜しんでいます。
 福留さんは、「太平洋戦争被害者補償推進協議会」や「民族問題研究所」との関係が深いこともあって、日本での事務局会議以外で韓国でお会いする機会が多くありました。今でも続いている李熙子さんを招いての「キムチづくり教室」は、2003年福留さんに教えていただいた広島でのキムチ交流に参加させていただいたのがきっかけです。
 福留さんは、真相究明ネットで休みなく韓国での報道記事を発信してきました。その発信を頼りにしていた人は私以外にも全国に多くいます。日韓にとって大切な事業を行なってきた福留さんの意志を引き継いで、私たちも前進したいと思います。ご冥福をお祈り申し上げます。

中川村の曽我村長たちと交流してきました(木村章子)
 

 

役場前にてヒジャさんと曽我村長

 
 

湯澤さんと曽我村長

 
 

昼食をとりながら交流

 

 3月18日、ノーハプサ口頭弁論の為に来日された李熙子(イ・ヒジャ)さんは、裁判の後信州中川村へ。大阪から私と古川さんが中川村で合流し、19日村長さん&地域の方々と交流会を持ちました。
 中川村とは、長野県伊那市と飯田市の中間で南アルプスの麓にある村。この中川村の曽我村長は、村のホームページで長野県戦没者遺族大会、及び戦没者追悼式と靖国神社について「村長からのメッセージ」を発信。追悼式で必ずといってよいほど出てくる「戦争で亡くなった方々の尊い犠牲があって、現在日本の平和と繁栄がある」という言葉に疑問を投げかける。「“無駄ではなかった、意味があった”と信じたい遺族の方々の感情はよく分かる。しかし、“平和と繁栄のために犠牲が必要だった”という考えは危険“今後も平和と繁栄のためには、時として犠牲が必要となる。”という考えを誘い入れる」と。また、靖国神社についても、「併設される遊就館の展示は、長野県上田市にある戦没画学生追悼施設『無言館』とは対称的。戦没者を十把一絡げにし、自己犠牲の美化と忠君愛国の勇敢さが強調される。靖国神社は、純粋に戦没者を追悼する施設とはいえない」という内容。寄せられた批判意見に対しても丁寧に返信。「村の行政レベルを超えたテーマについても…村民の生活に大きく影響しかねない問題については、問題を提起し、皆で考え、全体の流れを村民に苦を与えないものにしたい。戦争を拒否する努力を不断に積み重ねていかなければ、日本は戦争のできる普通のありきたりな志のない国となる」と回答しています。

 到着時にはバス停まで村長の奥さんにわざわざ迎えに来ていただき、この日は村長自ら運転する「自家用車」に乗せていただきました。「電通」出身の曽我村長は、農村志向でたまたま中川村に家を構えたこと、町村合併で揺れる中川村にとってこれまでの村政を情報公開を使いながら検証する中でリーダーシップを村民に買われて村長になったこと、公用車など無駄を洗い出し、中川村のよさを引き出す村政運営に心がけていることなどを事前に伺いました。
 村役場では、曽我村長と湯澤村会議員の二人が対応してくださいました。今回ヒジャさんは、村長さんの姿に“村長さんは髭を蓄えたおじいさん”というイメージだったようで、若い村長さんにびっくり。村では近年、日露戦争当時の資料が見つかり、村の戦争協力の様子がわかるということで、NHKが最近取材に来ていることなども話していただきました。
 昼食時には、かつて映画「あんにょん・サヨナラ」をこの地で上映して下さった山下さん、遠野さんをはじめ地域の方々がイヒジャさんとの交流に参加、賑やかな集いに。皆さん映画を見て下さっていて、直接交流できたことを大変喜んでもらいました。ヒジャさんも「今まで活動できた背景には活動を支えてくれる人がいたから。単に勝利を得るということだけで、裁判を通してだけ得られるものでない。被害者達がどういう思いでいるか知ってもらう。話をすることで私も癒されるという思いでやってきた」と語っていました。
 山下さん、遠野さんお二人とも父親が中国戦線に従軍されたとのことで、「父が生きて帰ったから自分が生まれた。でも父親は飲んでは荒れ、多くを語らなかった」とのこと。現在に生きる使命からこういう活動を地道にされている話しを伺い、感銘を受けました。お二人にバス停まで送っていただく途中、前日民宿で聞いていた発電所に立ち寄ってもらいました。ここもかつて朝鮮人の労働力が投入された施設。村長を尊敬する民宿のご主人が「こういう事実を残さないといけない」と語っておられたのが印象的でした。
 遠野さんにはバスが来るまで寒い中見送ってもらいました。集まりを持つにも、大阪などに比べるとエリアが広く電車一本でというわけにはいかない地であるが、ここにもヒジャさんに心を寄せて活動して下さる方々がおられることに勇気をいただきました。

ノー!ハプサ訴訟第13回口頭弁論報告(山本)

 
 

報告集会で李熙子さん

 前回の裁判で、原告側は靖国神社が「争う」と言いつつ原告側の求釈明に一切答えない不誠実な訴訟態度を追及し、裁判所にも「調書にとってほしい」と強く求めた。これに対し、靖国神社は「円滑な審理促進の観点も踏まえ、上記原告らの主張を争うことを明確にするため」と称して、引用箇所についての認否のみを行う準備書面8を2月5日付けで提出しました。ばかにするにもほどがあります。国はというと、1月29日付で大阪訴訟判決、グングン訴訟高裁判決に関して「共同不法行為」論の準備書面5を提出しましたが、意気込んでいた割には、簡単な内容であり、12月の期日に間に合わなかった理由は不明です。 原告は靖国の準備書面7に対する反論の続行を準備書面22として、準備書面8への反論を準備書面23として3月8日付けで提出しました。
 今回は原告の李熙子さんが参加され、意見陳述を申請していました。ところが、今回は国は「法的根拠はない」「事実上、弁論や本人尋問を行ったのと同様の影響を及ぼすおそれがあり( 少なくとも他方当事者はそのような懸念を抱く。) 当事者間の公平を害する」「複数回の意見陳述をしている」等と意見書で文句をつけてきました。驚いたことに国は靖国の立場を代弁して意見しています。ここでも国と靖国神社は一体なのです。
 そして靖国神社はというと、意見書も出さず、口頭で「私たちの主張は国の主張と同じですが・・・」。加えて、李熙子さんの陳述書の言葉尻をとらえて「司法の『汚い良心』とあるが、日本の法廷に対する侮辱だ」等、わめきたてました。
 原告は、@民事訴訟法上、口頭主義が原則 A 国も言いたいことは言えばよい B現裁判体では初めて( 裁判官が全員交代した) 、と反論の意見書を提出。弁護士・原告が次々立ち上がって被告を追及しました。結局、裁判所は「現裁判体としては初めてなので」と意見陳述を認めました。原告、弁護団で勝ち取った意見陳述でした。
李熙子さんは「突然起こる自然災害もぞっとしますが、人災による被害が私たちの100年の家族史に絶えることなく続いているという身の毛がよだつ思いを抱くたびに、私たち家族が地震で崩壊した建物の中に埋もれ閉じ込められているかのように胸が締め付けられ心臓が今にも止まってしまいそうです。人が犯した災難は人が変えればいいのです。人が反省し、再発防止のための制度をつくり、被害者を慰めることができます。日本の韓国強制併合100年を迎える2010年。日本が過去の過ちを認め、真実を明らかにしていく新しい出発の年になるよう願います」と訴えました。

キャンドル行動・併合100年の事前企画連続開催される!(東京・御園生)

 4月、「平和の灯を!ヤスクニの闇へ」キャンドル行動,「韓国強制併合100年共同行動」日本実行委員会主催の事前企画が連続して開催されました。この8月、戦後補償、ヤスクニ闘争にとって重要な二つのキャンペーン事前企画です。
 
ドイツの追悼問題を考える−ヤスクニ問題に関連して

 4月3日、ドイツ問題に造詣の深い大阪大学教員の木戸衛一さんを招いて、「ドイツの追悼問題を考える〜新たな国家的追悼施設をめぐって」が開催。木戸先生は今、ドイツでのヤスクニ問題の取り組みに尽力いただいている方です。ドイツと日本の市民運動(戦争責任追及の)の違い、ナチズムに限定することのできる時代規定、東西ドイツ、戦前損後の複雑な追悼のありよう等々。中でも印象に残ったのは、戦後のドイツと靖国神社との直接的な関わり。戦後、ドイツ海軍が靖国神社を訪問した時に、靖国に銀杏3本が海軍栄誉記念碑の横に植えられ、そのお返しにドイツから樫の木3本が日本に送られたとのこと。ドイツ軍がなぜ靖国神社を訪れたのか、木戸先生はドイツ国防省に質問状したが返事がないとのこと。1938年にはヒットラー・ユーゲントが靖国神社を参拝し、アウシュビッツ強制収容所長で有名なルドルフ・ヘスは「国家のため、同時に彼らの神である天皇のため。自らを犠牲にする日本人が輝かしい手本」と天皇制・日本軍国主義を讃えたという。戦後ドイツは、「過去の克服」策として、・加害者の追及(今なお続いている)、・被害者への補償、・再発防止(人種差別、歴史の歪曲は刑法違反となる)、そして教育・青少年交流が行われている。日本はこのうち一つさえも行われていない。

韓国併合は、不法・無効だ!

 4月18日は、李泰鎭・ソウル大学名誉教授、笹川紀勝・明治大学教授、姜徳相・在日韓人歴史資料館館長の各氏をパネリストとした「問い直そう!『韓国併合』条約」が開催されました。最初に問題提起した姜さんは、江華島事件から「併合」に至るまでのジェノサイドを明らかにし、「併合」は武力的な「強制占領」と強調。「東大生に語った韓国史」の著者でもある李泰鎭・ソウル大学名誉教授からは、植民地化前にも韓国独自に近代化の努力がなされ成果があがっていたとの報告を踏まえ、@韓国の外交権を剥奪した1905年条約について、標題が空欄となり、皇帝の批准書も未だ見つかっていない無効の条約であり、A1910年併合条約についても、ソウルに一個師団を駐屯させ、強圧的に日本が準備した委任状(韓国皇帝が韓国首相に委任したという)を押させ、8月29日の詔勅には署名もなく、国璽もないという無効の条約であること等が明らかにされました。また、国際法学者である笹川氏は、特に1910年併合条約の前提となった1905年条約について、当時の国際法からして、明らかに無効であることを明確にしました。いずれも1905条約、1910年併合条約の問題をクリアに明らかにし、「併合」の無効性を際立たせるものでした。
 この夏、植民地支配清算、靖国合祀取り消しを求め、8月14日、キャンドル行動(東京・社会文化会館)、22日、強制併合100年・日韓市民共同宣言大会(東京・豊島公会堂)が行われます。是非、ご参加・ご協力を。

「同化」と「差異化」を狙った創氏改名
「創氏改名に見る日本の植民地支配」水野講演会の報告(大阪・大幸)

 
 

水野直樹さん

 
 

神社への参拝を強制

 創氏改名とは、「朝鮮名を取り上げて日本式の名前をつける同化政策」ということとして、一般的に知られていますが、その狙いは、朝鮮の人々を「皇国臣民」として仕立て上げるためにありました。それまで朝鮮社会では父系の宗族集団を表す「姓」によって一族が強く結びついていて、家族が始祖を敬い大切にされてきました。それは、天皇を頂点とする日本の「家」制度とは相容れないもので、皇国臣民をつくる上では大きな妨げでした。そこで、朝鮮総督府は氏制度を創るため1939年に朝鮮民事令を改正し、40年2月11日(紀元節)から施行しました。8月10日までの届出期限を設けましたが、当初思うように進まず、朝鮮人官吏、有力者、行政機関や各種団体(愛国班)、学校などを通じて督励し、期限後は「戸主の姓を氏とし、家族全員が同じ氏を名乗る」ことで強制的に創氏を進めました。しかし創氏にあたって、警察局長は「改名すると誰が誰なのかわからなくなるので困る」といった反対論もありました。それに対して法務局は、「日本にある苗字にならうのではなく姓・地名・本貫などからつけること、また戸籍に姓・本貫を記載し、源流を把握できるので問題ない」と反論。改名は「なるべく従来の名を使用し、訓読みをする」という方針をとりました。要するに氏も名も日本人とは区別できる「差異化」を図ったのです。統計上は最終的に7割の人々が創氏改名をしましたが、すんなりと受け容れたわけでない事例も多くあります。仕事上は日本名を名乗っても、通常生活では本名を使っていたとも言われています。
 創氏改名については、麻生元首相が「朝鮮の人が望んだものだ」と言って韓国の人々を憤慨させました。今でもネットで、「創氏改名は強制でない」と主張する人がいます。水野先生は、パワーポイントを使い、朝鮮総督府の当局資料や当時の新聞、最近明らかになった資料に基づいてわかりやすく話してくださり、参加者一同それらの資料に引き込まれるとともに、上記の主張がいかに木を見て森を見ない偏狭な理屈であるかが理解できました。岩波文庫から水野先生の「創氏改名」が出版されていますので、皆さんぜひご一読を。

ソウルからの手紙(姜庚旻さんから)【1】
「私が見た人生最高の韓日戦」

 
   

 はじめまして。私は韓国のソウルに生まれ、住んでる姜庚旻(カン・キョンミン)と申します。この春ソウルにある法学専門大学院、いわゆるロースクールに入学し、弁護士を目指しています。学部では韓国文学と社会学を専攻しました。グングンの古川さんとは、兵庫県にある関西学院大学で交換留学をしていて「あんにょん、サヨナラ」上映会で出会いました。その後グングンの通訳と翻訳をさせていただいてます。古川さんには「人権派弁護士の卵(ひよこでもなく)」、「グングンの歩くソウル事務局」とも呼ばれてますが。(笑)こう皆様に手紙を書けることが嬉しいです。「過去清算に関係あることないこと、織り交ぜながら日頃感じたことを自由に」、そしてグングンの皆様へ手紙を書く気持ちで楽しく書きたいと思います。皆様が「あ、韓国の若者はこういう考えをし、日常を過ごしてるんだ」と、楽しく読んでいただくと何よりです。

 最初の手紙のタイトルは「私が見た人生最高の韓日戦」。「戦」という字には私もちょっと拒否感を感じますが、広い意味での使いでお読みください。韓国と日本は隣同士だからか、よく色んなスポーツ競技で競争してますね。野球、サッカーから最近のフィギュアスケーティングまで、熱い名勝負が多いでしょう。私は野球馬鹿なので、野球だけは絶対負けてほしくない!と思いますが、特に2回のWBCで韓国体表と日本体表が見せてくれた勝負は野球そのもの、レベルの高い試合が見れて勝敗は関係なく野球ファンとして楽しい時間でした。なのに、あのWBCを凌ぐ、私が人生で見た最高の韓日戦がこの冬にありました。韓国には「無限挑戦」という、マニアックな人気を得てるバラエティ番組があります。毎週固定されたテーマがなく、7人の男がその番組タイトル通り「何にでも挑戦する!」という内容で、特にボブスレーのようないわゆる非人気種目への感心喚起、そして意外なところで出て来る社会意識が高く評価されてる、私も大好きな番組です。
 その「無限挑戦」チームが今年の1月放送された番組では女子ボクシングのプロモートに挑戦しました。「無限挑戦」チームが後援した韓国の選手の名前はチェ・ヒョンミ、脱北者出身の女の子で刻苦の努力の末に世界チャンピオンのベルトを手に入れましたが、最近韓国ではボクシングの人気がいまいちなのでスポンサーが取れず、防御戦が出来なくて後すこしでチャンピオンベルトを剥奪されるところでした。そのチェ選手の夢を守ってあげるために「無限挑戦」チームが出たんです。
 一方、世界タイトルマッチの挑戦者は日本の天空ツバサ選手。ここまで見ると韓国の「無限挑戦」チーム、そして視聴者たちはチェ選手を応援することが当たり前のように思われるかも知れませんが、番組は天空ツバサ選手の事情もチェ選手ほど詳しく紹介してくれました。 天空ツバサ選手はお父さんが試合を見てくれたことがない。2年前にやっと現場に見に来て応援してくれると約束したが試合直前に亡くなられたわけです。しかも天空ツバサ選手の生活も決して豊かではない、家の中にある小さいジムで世界チャンピオンという夢、そしてお父さんへの思いを胸に抱いて頑張ってるという話でした。
 「無限挑戦」チームも視聴者もどっちを応援すればいいか迷ってるところ、「夢を守りたい少女」と「夢を叶えたい少女」の熱い試合、思いと思いの戦いは始まりました。それは男同士ボクシングよりも激烈な、熱くて、切ない試合でした。「無限挑戦」チーム、私を含めたくさんの視聴者が涙をこぼしながら試合を見守りました。そしてとても賢くも、番組は勝負の結果は番組の中で見せなかったです。二人の少女が見せてくれた夢への深い思い、そしてお互い逃げなく立ち向かう姿が与えてくれた感動、それだけで十分だったからでしょう。 番組が終わった後ネットの掲示板などでは「知らない間にツバサ選手を応援してた」「韓日戦で日本の選手を応援したのは人生初めて」という感想が多かったです。
 私はもともと格闘技があんまり好きではありませんが、この試合でボグシングの魅力をちょっと感じたような気がしました。それぞれの体だけで戦う、相手には負けるかも知れないが自分だけには負けたくないという世界で一番正直なスポーツの魅力をです。
 「愛情」とは何でしょうか。人それぞれ定義が違うでしょうが、私は「真剣に向き合うこと」、そして「逃げないこと」だと思います。なら「愛情の反対」とは?やはり色んな答えが出来ましょうが、私は「無関心」、または「無視すること」だと思います。例えば、「靖国のことをどう思いますか」と聞いた時「靖国は正しい」という答えよりも、「靖国なんか知らん」または「知りたくもない」という答えのほうがもっと悲しいと思われませんか。
 韓国と日本だけではなく、世界のどの隣国同士もハリネズミのような関係だと思います。あんまり近づくと相手に傷つけやすい、でもだからといって離れると寂しすぎる。結局頭を合わせて適当な距離を探さなければならない。そのためにはまず真剣に向き合わなければならないでしょう。 韓日強制合併100周年にもまだまだ解決されてない色んな問題からもう誰も(特に偉い方々が) 二人の少女が教えてくれたように逃げないでほしいと思います。
 以上、「私が見た人生最高の韓日戦」でした。姜庚旻より。

 読書案内

 『今、「韓国併合」を問う』

 
   

            「韓国併合」100年市民ネットワーク 編
                    アジェンダ・プロジェクト 476円+税

 100年前の1910年8月29日、日本はいわゆる「韓国併合条約」を強制的に押しつけ、35年間、朝鮮半島を植民地にした。「併合」の過程や「併合条約」の解釈をめぐって、日韓両国の立場に大きな溝がある。本書はこの解釈の相違について、とれわけ日本政府の問題点を中心に、3名の学者の主張をまとめている。日本政府の立場は、「併合条約」は国の対等、自由意志で結ばれたもので、道義的には問題はあったが法的には有効、つまり不当であったが合法とする<合法不当説>。 しかし李泰鎭氏らは、「併合」は当初から不法無効であると主張。その理由として、韓国の国権を奪取する根拠とされる諸条約が、武力強圧を背景としており、形式面でも韓国側の批准もなく法的に無効であると。特に形式面での欠陥を多くの資料を駆使して詳細に示している。「併合」100年を迎え、「併合」不法無効説を踏まえた上で、過去を省察し未来を見つめる視点が問われている。(大釜)

GUNGUNインフォメーション

5月21日(金) 戦後補償立法を考える公開フォーラム 18時 東京弁護士会館1003号室
5月25日(火) 韓国強制併合100年−日韓の議員で語る院内集会 11時半 参院議員会館第5会議室
6月 7日(月) ノー!ハプサ(合祀)第15回口頭弁論 14時 東京地裁103号
   11日(金) 沖縄靖国合祀ガッティンナラン訴訟 11時 南部戦跡・那覇地裁
   13日(日) 朝鮮総督府プロパガンダ映像を見る会 13時半 大東文化情報センター
7月10日(土) 「有効?無効?韓国併合条約」講師:戸塚悦朗氏 18時半大阪ドーンセンター
   20日(火) 沖縄靖国合祀ガッティンナラン訴訟 13時(仮)那覇地裁
     29日(木) ノー!ハプサ(合祀)第15回口頭弁論 11時 東京地裁103号
8月  7日(土) 「韓国併合100年・文化の視点から考える」 記念講演 上田正昭氏
             13時 京都アバンティホール
     14日(土) 2010平和の灯をヤスクニの闇へキャンドル行動 13時半 社会文化会館
     22日(日) 韓国強制併合100年日韓市民共同宣言大会 13時半 豊島公会堂
   24日(火) 靖国合祀イヤです訴訟 15時 大阪地裁(結審予定)