在韓軍人軍属裁判を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.52 (2009.1.18発行)

第4回口頭弁論報告集会
(12月2日・東京)

戦後補償は次の戦争の抑止力
「虐殺やめろ!」の声を強めよう

 年末から新年にかけてイスラエルによるパレスチナ攻撃が続いています。20世紀初頭、イギリスがアラブには独立を、イスラエルにも建国を、そしてフランス・ロシアには中東分割を約束した「三枚舌外交」が生み出したパレスチナ問題。植民地主義がもたらす問題の解決が容易でないことを象徴しています。既にパレスチナ人の死者数は1000人を上回り、子どもを含む民間人犠牲も多く出ています。「虐殺をやめろ!」の声を強めましょう。

 いつの戦争でも必ず民間人の犠牲者が出ます。昨年12月8日、大阪大空襲の被害者が国に謝罪と損害賠償を求め、大阪地裁に提訴しました。昨年3月に提訴した東京大空襲訴訟に続くものです。今までの日本の戦争被害への給付は、基本的に軍人軍属に限られてきました。空襲や原爆被害者、シベリア抑留者までもが「受任論」によって放置されてきました。軍人軍属も「補償」ではなく、靖国合祀が示すように「ご褒美」としての側面が強くあります。今回の提訴は、戦後補償を求める声が国内でも根強くあることを示しています。「補償」は必ず将来の戦争の抑止力になります。ともに闘っていきたいと思います。
GUNGUN裁判もいよいよ結審。傍聴をお願いします。

第5回口頭弁論が2月24日(火)に延期になりました。(11時東京高裁101号)

 

12・2 控訴審第4回口頭弁論で力強く証言
「靖国合祀は『幽閉』、霊魂は故郷に帰すべき」(朱剛玄さん)
「子として父の小さな名誉回復を」(李熙子さん)


 12月2日、在韓軍人軍属裁判(グングン裁判)控訴審第4回口頭弁論が、東京高裁101号法廷で開かれました。この日は、韓国から韓国民俗文化研究所所長で民俗学者の朱剛玄(チュ・カンヒョン)さんと原告・李熙子(イ・ヒジャ)さんが証言台に立ちました。
 
靖国合祀と家族の祭祀は相容れない

   
 
 

報告集会で

 最初に証言に立った朱剛玄さんは、政府の委員も務めている韓国民俗学の第一人者。「靖国神社合祀は、韓国の慣習からしてどうか?」との問いに「韓国人の長い伝統的慣習に違反する。加害者と一緒に祀られるということはありえない」とし、「(霊魂幽閉とは)そこにとらわれるという意味で、学問的に韓国人の普遍的な歴史観念からみると、靖国神社に祀られている霊魂は、監禁されているということ」であり、靖国神社と韓国と同時に祀ることは「霊魂は一つだからありえない。生きている人間の命も大切ですが、亡くなった霊魂も大事」と答えました。
 朱剛玄さんの証言は、靖国神社での合祀は「幽閉」であり、家族の祭祀と相容れず、霊魂は故郷に帰すべきというもので、これまでの原告の陳述を補完する証言となりました。
 
子どもとして父の名誉回復を

 李熙子さんは、気持ちを抑えるように静かに話しだしました。「父は植民地支配された民族として無念に死んでゆきました。私の家族はそのために破壊された。子どもとして父の名誉を回復したい。それが子としての親孝行だと思う」「そこに(靖国神社に)名前がおいている限り、誠心誠意祀って下さるといっても家族の立場からすると監禁されている」と締めくくりました。靖国合祀の取り消しは、今なお続く植民地支配からの解放だということが明確になった証言でした。

第5回口頭弁論は2月24日 生存者を韓国から招請します

 次回第5回口頭弁論は、急遽2月24日に延期になりましたが、これで結審になります。この間、原告は遺族が続きましたので、最後に生存者を招請したいと考えています。ぜひ傍聴席を満員にして締めくくるために、傍聴をよろしくお願いします。

 

朱剛玄さんの証言(抜粋:聞き手は大口昭彦弁護士)
 
 

朱剛玄さん

Q 他国あるいは他郷での客死、あるいは変死、異常な死、あるいは死体が放置されたままになっていたとか、遺族に対してその死が知らされなかったとか、このような不幸な死がそれに当たるとされるわけですね。
A これは大変悪い場合です。

Q そういう先ほどの祖上と呼ばれた霊は、子孫あるいは社会に対してそれを非常に守るという存在ですが、逆にそのような不幸な霊魂というものは、自分も悲しみ、苦しみ、子孫に害を与え、また社会的にも害を与える恐ろしい存在だと考えられているわけですね。
A そうです。

Q そのような霊魂は、鬼神あるいは怨鬼、恨みを持った鬼と呼ばれて恐れられているわけですね。
A そういう風に呼びます。

Q 韓国では伝統的に、あるいは現在の社会的な規範意識として、自分の肉親が異国、異郷で異常で非常に不遇な死を遂げたという場合、遺族としてどうしなければいけないと観念させるわけですか。
A 必ずその霊魂を取り戻して、探して戻さなければいけないと思っています。

Q 恨みに苦しんでいる霊をその恨みから解き放ってあげなければならないと考えられるのではありませんか。
A その恨みを持った霊魂を探してでも連れてきて、その霊魂の悪いところを解決しなければならないといいます。

Q それが韓国では解怨(ヘウォン)、恨みを解く、このように言われているのではありませんか。
A そうです。

Q そのような解怨は、 どのような手続、意識として通常行われるのですか。
A 多様な韓国式の宗教の儀礼でもつて執り行います。

Q それがムーダンによるクッと呼ばれるものですか。
A はい、そういう形式を持ちます。

Q 先生の学問的な一つの術語といいますか、カテゴリーとして、霊魂幽閉という考え方があるようですね。
A 幽閉というのは囲われると,そこにとらわれるという意味です。

Q 本件の原告でもある遺族の中には、自分たちのお父さんの霊魂が靖国神社にとらわれているんだと、韓国にいまだ帰って来られずに閉じ込められているのだと感じる方が多いようなのですけど、そのような考え方は、そういう韓国の伝統的な考え方から見た場合に、どのように評価されるでしょうか。
A 学問的に韓国人の普遍的な普通の歴史的観念から見ますと、靖国神社に祭られている霊魂は、祭られているのではなく、監禁されていると思います。

Q そのような、例えば自分のお父さんが戦後解放後もそのような事態にあるという場合に、子供としてはそれをどのように感じ、またどうしなければならないと考えられるわけですか。
A 韓国は儒教の社会です。子供は親孝行しなければなりません。もしも自分の親の霊魂が監禁されているんであれば、それを必ず取り戻さなければ親不孝になります。

Q 先ほど先生がおっしゃられましたように、韓国での習俗、また考え方からして、その身体と霊魂は対応してるのだと、一対一なのだという風な認識からしますと、 日本側で靖国神社のほうで、いや、うちで祭るんだ、英霊だから祭るんだとされている限りは、韓国にお迎えして、それをお祭りするということができないのではありませんか。
A 靖国神社で霊魂を祭るのと同時に韓国で霊魂を祭ることはあり得ません。というのは霊魂は一つですので、それを分けて分祀するということはあり得ないです。

 

李熙子さんの証言(抜粋:聞き手は殷勇基弁護士)
 
 

李熙子さん

Q 李熙子さんは10歳のときに、お父さんに対して誓いを立てられたんですよね。
A はい。父が帰ってこないので、母は再婚をしました。無念に亡くなった父の子供として恥ずかしくない生き方をしたいと覚悟を決めました。

Q 先ほど朱先生の証人尋間を聞いておられたと思いますけれども、韓国人にとっては霊魂が靖国神社に監禁されてるようになってるという受け取り方が普通なんだというお話をお聞ききになりましたでしょうか。
A はい、そうです。

Q それについて付け加えることがありますか。
A 父は植民地支配の民族として無念に死んでいきました。私の家族はそのために破壊されました。子供として父の名誉を回復したいです。そのため父の名前、二つの文字を必ず取って帰りたいです。それが子供としての親孝行だと思います。それができなかったら親不孝になってしまうので、それのために今まで裁判を進めていると思います。

Q 2001年の夏にも靖国神社に行ったことがありますか。そこでどのようなことがありましたか。
A 汚い朝鮮人帰れというふうに、日本の国旗を持って悪いことをしている集団もいました。

Q そのような出来事を受けて、どのように李熙子さんはお考えになりましたか。
A この汚い靖国神社から1日でも早く父の名前を取りたいという覚悟を新たにするようになりました。

 

ポッサムキムチツアーに行ってきました!(大幸)

 12月末に念願のポッサムキムチを作りに、ソウルへ行って来ました。26日の12時ごろインチョン空港に到着。まずは、バスで清涼里のホテルを目指します。この時点で身を切るような寒さにあらためて韓国の厳しい冬を実感。

   
 
 

昌徳宮で

 ホテルに荷物を置いて夕方、民族問題研究所での忘年会に合流しました。ビルの5階の研究所のスタッフは既にフロアーに座って談笑を始めておられました。若い人たちが多いのにびっくり。私たちのためにテーブルと椅子が用意されていて恐縮しましたが、たくさんのごちそうを目の前に、さっそく舌鼓。おいしかったのは、蒸し餅です。黒や緑の数種類の豆類が見た目にも鮮やかで、いくつもパクついてしまったほど。聞くと民問研のミン・ヨンスさんが、お母さんのお友だちの店で買ってきたということ。次ソウルに行った時は是非その店で買いたいと思います。

 イ・ヒジャさんが所長さんを私たちに紹介して下さいましたが、アンニョンハセヨとカムサハムニダしか言えませんでした。そこで「正しい記憶のための闘争」という日本語でかかれた小冊子をいただきました。マンガで民問研の設立された歴史が簡潔にまとめられていました。これまで映画「あんにょん・サヨナラ」の製作母体となっていること、植民地時代の真相究明の法制化にむけた強力な推進母体となっている団体だというザックリしたことしか知りませんでしたが、その設立の経緯や、運動の目指しているものなどがわかるもので、とっても得した気分になりました。途中から、福留さんや広島でヒジャさんを招いてキムチ講習会を行っているグループの女性二人も参加して交流。おしゃべりとおもちでお腹いっぱいにして、ホテルに戻りました。

   
 

キムチ準備

 
 

もうすぐ完成

 
 

袋詰め

 
 

サムケダンをほうばる

 
 

江華島で

 

 翌日は、午前中ミンさんと、民問研のスタッフになって1年目のソン・ギョンソプ君の案内で昌徳宮や仁寺洞、北村韓屋村を見て回りました。午後はいよいよヒジャさん宅へ。事務所の近くのバス停から30〜40分くらい乗って下車。坂道を歩いてすぐのところにありました。

 台所ではすでに、イム・ソウンさんとパク・ウォンベさんが下ごしらえの真っ最中。とっても大変な白菜の塩漬けと水洗いや、大根、わけぎ、せり、たまねぎ、しょうが等の野菜類の千切りなどは終わって、私たちは栗、しいたけ、生海老を切るお手伝いをしました。ヤンニョンにはその他に牡蠣、手長ダコ、梨、柿、なつめ、、イワタケ、胡麻など果物、海産物が盛りだくさん。唐辛子の粉と混ぜ合わせているだけで、よだれが出そうで圧倒されました。これぞ王様のキムチといわれる所以。お椀に白菜を3,4枚しいて、たっぷりとヤンニョンを入れ、丸くくるんでできあがり。30個くらいできたでしょうか。素晴らしいお土産のできあがりにみんな大感激。

 イムソウンさんは、この後すぐお家に帰られました。最近はあまり体調がすぐれないのに無理されたのではないかと心配です。パクさんは、深夜まで私たちに付き合ってくださいました。お三方がそろいの赤いエプロンを着けておられるので尋ねると、ヒジャさんたち6人で一人暮らしの老人のためのキムチ作りのボランティアとして参加した時のエプロンだということでした。そして民問研でも漬けたし、自分の家の分も漬けたので、今回が4回目ですと言われてびっくり。本当に有難うございました。晩御飯は、参鶏湯が一人、1羽ずつ用意してあり、これにまた一同興奮気味。絶対食べきれないと思っていたのですが、不思議にお腹に入ってしまうのです。胃にやさしい漢方の食材のなせるわざなんでしょう。朝鮮人参やなつめの効能を実感です。

 翌朝、食卓には参鶏湯でとったスープで作ったおかゆが用意されました。ヒジャさんの心配りでした。身も心も温かくなって、あとは江華島での観光に出かけたのでした。
今回のツアーに関してコーディネイターとして活躍してくれた野木さんには、本当にお世話になりました。また、いつも私たちのツアーのたびに車を用意して案内してくださった推進協の皆さん、ありがとうございました。素敵な出会いに感謝して、28日帰路につきました。

(注)イム・ソウンさんは、帰還する浮島丸に乗船した父親イム・マンボクさんの遺児で、グングン裁判の原告として法廷にも立たれました。2004年には舞鶴にもご一緒しました。パク・ウォンベさんは、父親が靖国に合祀されているが一日も早くその取り消しを望んで活動をしておられる方です。ノーハプサの原告はお母さんですが、体調が悪いので自分がかわって活動をしていると言われていました。








 

参加者の感想

 
 

杉田さん

 10月に一泊二日で歌舞団でソウルに行った際、ホテルでイ・ヒジャさんとのお話から思わず実現した今回の韓国行き。圧巻はご自宅でのポッサムキムチ作り。お手伝いとは名ばかり、日本からのメンバーは、皆さんの好意と、オンドルの温かさに包まれたっぷり甘やかされ、幸せでした。夜、心づくしの交流会。ご本人の前で、来られなかった本田さんの分も「アジア・オペレッタ」を歌うチャンスがあったのに、逃してしまいました。歌舞団員としては不覚だったと反省しています。「私達は、人を捨てる世界にいるんだよ。だからパウロも」今年の歌舞団公演での言葉が、今もあのハンガン、イムジン河を囲む鉄条網の情景と共に迫ってきます。こんな世の中だからこそ、出会った方々の笑顔を道しるべに一歩ずつでも進んでいきたいと思いをあらたにしました。(月桃の花歌舞団・杉田)


 

ポッサム・インタビュー
ポッサムキムチ作りの合間をぬって、原告の皆さんに今の思いをお聞きしました。(中田)

 
   

朴元培(パク・ウォンベ)さん

 私の父の名は朴憲太(創氏名は中元憲太)。他のことはともかく、靖国に合祀されているお父さんの合祀を取り下げてもらいたい。最近は原告である母も調子が良くない。もしこのまま亡くなってしまったら、恨として残ってしまうのではないかと不安でたまらない。母が生きている間に何とかしたい。本当は、法廷に母が参加できればいいのだが、体が悪いので裁判に行くこともできない。一日でも早く合祀取り下げをきちっとしたい。私の願いはそれだけ。
 

 
   

林西伝(イム・ソウン)さん

 裁判がうまくいくことだけを願っている。解決できる方向に進んでいって欲しい。私たちに良い知らせが来ることを期待している。私も、もう68歳。日々身体が弱ってきて、一日でも早く解決をして欲しい。今までうまくいったことがないので、一つだけでもと思う一方、期待できないとも思う。ずっとお父さんの顔も知らずに育った。子どもとして靖国から名前をはずすことだけは何としても成し遂げてあげたい。
 

 
   

李熙子(イ・ヒジャ)さん

 これまで、私がやって来れたのは、やり遂げなければならない目標があったから。そして日本で支持してくれる人がいたから活動ができた。日本の皆さんに支えられてきたことに一番感謝している。これまでも長い間辛い時期があった。しかし今思うのは、長い間闘い続けることができたこと自体が一つの結果だと思う。つかみ取れる結果としては得られなかったが、活動できたことが成果だった。本来、政府がやるべきことを民間の力のない私たちができたのが何よりの成果だと考えている。政府が何もしないことを恨みに思っていたらダメだと気付いて、自分たちでやろうとしたのがよかった。これまでよかったと思うことは、たくさんの人に出会えたこと。出会えたことで分かち合う場が出来た。人間関係を発展させることが出来て、私にとって数多くの貴重な経験ができたことが最もよかった。

 長い間、活動してきて、こうしていなかったら今どうなっていたのかと時々思うことがある。私自身のやり場のない怒りがどうなっていたか、孤独であったのではないかと思う。私の中の思いを吐き出せる場があったのが力となった。どういう結果になるにしろ、サポートしてくれる人がいる限りこれからも闘って行きたい。しかし私は、活動家として取り組んでいるのではない。父親の問題として、子どもとして、果たさなければならないこととして今後も闘い続ける。

 日本の人との交流を通じて、非常に勇気付けられてきたが、裁判の話となると大変心が重苦しくなる。交流を通じて出て来る気持ちと違って、裁判や法廷のことを思うと重い気持ちになってしまう。しかし、気持ちは重いが、裁判を続けているのは、どのような判断が下されるにしろ、記録として残せるから頑張っている。たとえ結果がよくなくても次の世代に伝えることが大切なこと。記録として絶対に残さなければならない。イムソウンさんは親の顔も知らずに育ったと言ったが、「子供として最善を尽くした」と言える為にも記録として残さなければならないと思う。次の世代の子供に伝えるのが大切なこと。

 一生懸命やってきて振り返ってみたらいつの間にか20年経っていた。死ぬまで日本と闘うつもりだ。闘っているうちに死ぬだろう、それが私の運命だと思っている。これまで20年闘って来れたのは、自分の家族の問題だったからこそ。日本の支援の皆さんと最後までともに闘っていくことを誓って新年のメッセージとします。
 

 

日韓会談文書公開訴訟の報告(中田)

 日韓会談文書は、すでに韓国側では全面公開されており、外務省に全面公開を求めた第1次訴訟は、一昨年12月26日に「公開までに1年7ヶ月かけての開示は違法」との判決を得て原告が勝利しました。

 しかし、最終的に外務省から公開された6万ページに及ぶ文書は黒塗りだらけでした。この黒塗り部分(不開示、一部不開示)の全面公開を求めて起こした裁判が第2次訴訟(4月23日提訴)、第3次訴訟(10月14日提訴)です。

 国は不開示の理由として「他国との関係で不利益になる」「他国との信頼関係を損なう」「外交事務の適正な遂行に支障を及ぼす恐れがある」「公共の安全と秩序の維持に支障を及ぼす恐れがある」「今後の交渉上の立場を不利にする恐れがある」など様々な理由をつけて開示を拒んでいますが、しかし裁判所にも「不開示文書」が公開されないので、裁判所も第2次訴訟の口頭弁論に当ってあまりに杜撰な外務省の答弁書に対して「答弁書の不開示の理由が一般的過ぎるので、それぞれの不開示部分にどのような内容が書かれているのか、それを不開示とした具体的な理由を示した文書を提出するように」と言わざるを得ませんでした。

 そして昨年末の12月17日には、第3次訴訟の第1回口頭弁論が開かれ、韓国から原告の呂運澤さんが参加し、意見陳述を行いました。呂運澤さんは、元日本製鉄徴用工大阪裁判の原告でもあり、現在もソウル高等法院で新日鉄を相手に裁判を闘っておられます。呂運澤さんは「私たち生存者としては、やはり私たちの権利が1965年の韓日協定でどのように処理されたのか知ることを望みます。韓国政府が公開した資料ではこのような責任問題が明らかでなく、また日本政府が負わなければならない責任もどのように処理されたのか確認できません。万一両国政府がこの問題を拙速に処理したとすればその責任も両国政府にあるでしょう」「解放後、60余年が過ぎた今でもこの問題を解決しないでいるのは、私たちが死ぬことを望んでいるのと同じだと思います。真実を明らかにすることは、日本社会が被害者らの呼掛けに耳を傾けていることを証明する物指しであり、両国の友好、そして日本社会の民主化を証明する証にもなること」と述べました。」歴史の真実を明らかにする日韓文書公開裁判にこれからも引き続きご支援をお願いします。

公判予定
2月17日 第2次提訴第4回口頭弁論
3月 4日 第3次提訴第2回口頭弁論
 

宮木謙吉さんと歩く日朝歴史フィールドワーク(大阪)のご案内

3月20日(金・祝)14時 JR桜ノ宮駅西口 集合
竜王宮・日羅碑・朝鮮通信史水上パレードコース・大阪城砲兵工廠跡 
※雨天中止 怪しい場合は 090-1135-1488 まで電話して確認ください

 
 

前回案内された宮木さん

 今回は、大川の流れに沿って歩きます。在日の社といわれる竜王宮を起点に、日朝関係史の学習ポイントをめぐります。古代伝承に生きる国際人日羅碑、朝鮮通信使の水上パレードコース、大阪城、および砲兵工廠跡をウォークします。大阪城は以前森之宮から歩きましたが、違う道から歩きますので新たに目にするものもあるかもしれません。

 竜王宮は大川端のかつては中洲にあったものですが、今は地つづきとなり、廃品回収業を営む方の住まいの中にあります。電化製品のスクラップに囲まれているので、案内されなければ廃屋としか見えません。案内がなければ絶対見ることのない、知ることのできないところです。在日の祈りと弔いの聖地と宮木さんは表現されています。(大幸)
 

 読書案内

 『空爆の歴史
       
〜終わらない大量虐殺

 
   

                    荒井信一著 岩波新書 780円+税

 パレスチナではイスラエルによる空爆で1000人を超える命が奪われている。本書は、空爆がヨーロッパ諸国による植民地制圧の手段として登場、「住民の戦意をくじき、結果的には早く戦争を終結することができる」と、圧倒的な力を持つ加害側の論理が正当化され、繰り返されてきた破壊と虐殺の歴史を追う。そして現在に至る規制の現状までが詳細に伝えられる。先月ようやく東京空襲被害者が声を上げた。重慶大爆撃の被害者、原爆被害者と共に交流が進められ、一般住民をターゲットにした空爆が、非人間的であり不法であることが共有化されようとしている。悲惨な歴史に終止符を打つためにも過去清算を急がねばならない。一読を。(木村)
 

映画評

『私は貝になりたい』

   脚本/橋本 忍    監督/福澤 克雄

 
   

 劇映画としては、確かによくできている。しかし本質的な内容面で前作やドキュメンタリー作品を超えることができたのか、見終わった後に割り切れないものが残った。

 戦後間もない頃、A級戦犯については報道もされ、よく知られていたが、BC級戦犯が理不尽な罪を背負ったということは知らされていなかった、知ったとしてもBC級戦犯を戦争協力者として白眼視し突き放すという人が多かったという事実が、数箇所で語られている。これは肯ける。今、あらためて多くの観客がBC級戦犯に思いを馳せる契機になれば、この映画の功績となりえよう。

 ただ100万人を超えたという観客に、BC級戦犯の本質や全体像がどこまで正確に伝わったのかと考えたときに、この作品の不十分さが否めない。矢野中将が「私のあいまいな命令」に全責任があり、部下には責任がない、無罪であると表明するくだり。これは、矢野中将を美化しているように思えてならない。結果として、日本軍国主義の真の戦争責任、捕虜虐待の国際法違反、侵略戦争としての加害性、さらに敢えて付け加えるならば朝鮮人BC級戦犯の存在を後景に追いやってしまっているのではないか。また妻が雪の中を嘆願書集めに奔走する姿は前作にはなかった胸を打つ美しいシーンだが、彼女が何を語って嘆願書に同意を求めたのか、嘆願書に応じた人たちの思いは何だったのか、掘り下げが甘いのではないか。キャッチコピーになっている「夫婦愛」に昇華しているように思えてならなかった。(塚本)
 

GUNGUNインフォメーション

2月17日(火) 日韓会談文書公開裁判第2次提訴第4回口頭弁論 東京地裁
2月23日(月) ノーハプサ第5回口頭弁論 11時東京地裁
2月24日(火) GUNGUN裁判第5回口頭弁論 11時東京高裁101号法廷
2月26日(木) 大阪靖国合祀イヤです訴訟判決 11時大阪地裁
3月 4日(水) 日韓会談文書公開裁判第3次提訴第2回口頭弁論 東京地裁
3月10日(火) 沖縄靖国合祀ガッティンナラン訴訟 11時沖縄地裁
3月20日(金・祝) 日朝歴史フィールドワーク(大阪)14時 JR桜ノ宮駅西口集合
4月27日(月) ノーハプサ第6回口頭弁論 11時東京地裁