在韓軍人軍属裁判を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.50 (2008.9.13発行)

8月10日、東京で行なわれた反ヤスクニキャンドルデモ



 

10月28日いよいよ証人尋問スタート!
   韓国併合100年の2010年に向けた
       日韓共同行動をつくりだそう!


 アフガニスタンで活動してきた「ペシャワール会」の伊藤和也さんが、8月27日遺体で発見されました。事件を受け、自民党・町村官房長官は「尊い犠牲が出たが、そうであればあるほど、日本がテロとの戦いに引き続き積極的に関与する重要性を多くの国民が感じたのではないか」と発言。民主党・前原副代表も「国益の観点からアフガニスタン支援は極めて大事だ」と述べました。

 犠牲者の死を「尊い」と意味づけ、国策に利用する手口は靖国の論理と変わりありません。福田内閣は安倍内閣同様、短命に終わりましたが、その後を受け継ぐであろう麻生幹事長は、1万名余りの朝鮮人労働者を強制労役させた麻生炭鉱経営者の子孫であり、これまでに「創氏改名は朝鮮人が願ったこと」等の妄言を吐いて批判を浴びた人物です。東アジアの平和共存を考える時、こうした政治家に未来を託すことはできません。

 2年後の2010年は、1910年から45年までの36年間、韓国を植民地支配した「韓国併合条約」から100年にあたります。「反省と和解の市民宣言運動」を日韓両国で展開する動きにGUNGUNも合流していきたいと考えています。韓国では、「強制動員犠牲者支援法」に基づく支給申請が9月に始まりました。今回の支給から除外された生存者の「補償を!」の思いは待ったなしです。遺骨調査、聞き取り、映像記録、事実継承など、加害国日本人にできることを実行し、日韓市民の共同行動につなげていきましょう!
 
 GUNGUN控訴審はいよいよ証人尋問が始まります。10月28日は内海愛子先生が証人です。ぜひご参加ください。(14時東京高裁)
 

靖国キャンドル行動の成功を受け
10・28&12・2証人尋問の傍聴に全力を!

 9月5日グングン裁判控訴審の担当裁判官の埼玉地裁所長への人事異動が発令されました。一審段階でも、実質審理した裁判官でなく結審前に異動した裁判官が判決文を書きましたが、大いに矛盾を感じます。しかし異動がどうであっても、新裁判官には一審判決のような政府べったりの御用判決ではなく、この間の審理を踏まえた公正な判決を望みます。今私たちのなすべきことは、証人尋問まで実現させた力を法廷一杯の傍聴者に結びつけ、勝利判決を勝ち取ることです。

キャンドル行動を成功させた力を法廷に!

   
 
 

韓国の若者たちのキャンドルデモ

 
 

李熙子さんと洪成潭さん

 8月10日、「平和の灯を!ヤスクニの闇へ・キャンドル行動」がのべ1000名を超える参加で成功しました。特に今回の特徴は、シンポジウムで「ヤスクニ・戦争・貧困」を結びつけ、若者にもスタンスを広げた内容を作り上げたことです。「護憲運動の側が赤木智弘さんの『丸山眞男をひっぱたきたい。31歳フリーター、希望は戦争』という主張を知らない」(高橋哲哉)、「“地味で”普通の若者がヤスクニに集まり始め」(安田浩一)ていると指摘。戦争国家づくりの下で不安定雇用、貧困を強いられる若者に現実は決して「平和」ではなく、ナショナリズムがよりどころにさえなろうとしています。このシンポに参加したある20代前半の女性は「今回のキャンドル行動で一番よかったのはシンポジウムだった」と言っています。

 もう一つの特徴は、美術展の開催です。韓国の洪成潭(ホン・ソンダム)さんの作品に応え、日本からの多くの出品がなされヤスク二をテーマとした多分はじめての美術展が成功したことです。長年にわたりお蔵入りになっていた作品が今回初めて陽の目を見たことは、このテーマがいかに重いテーマであるかを、そしてこの成功がいかに深い意味をもっているかを示しています。

 今回の行動の成功は、ヤスクニ問題が、首相が靖国参拝するかどうかの問題ではなく、日本・韓国・台湾・沖縄の4地域の提起からはじまる合祀・「英霊」・戦争思想と対決する大きな問題であることが着実に広がっていることを明らかにしています。

 韓国人・家族としての人格権侵害を立証

   
 

内海愛子さん

 

 いよいよ証人尋問が始まります。10月28日は、BC級戦犯問題に取り組んでこられた内海愛子さんに民族的人格権の侵害を中心に証言していただきます。内海さんは、「母国に帰った人は『自分の村に帰れなかった』『軍属だったことを語れなかった』と語った。それが朝鮮における軍人軍属の意味。日帝に協力したことで戦後の今まで発言できずにきた。一方で日本はそれをいいことに無視してきた」といいます。

 国立国会図書館編の「新編・靖国問題資料集」により、国と靖国神社が一体となって合祀を行ったことは誰の眼にも明らかです。2回の証人尋問で原告等の権利、感情がいかに侵害されているかを立証します。法廷一杯の傍聴をお願いします!
 

2008平和の灯を!ヤスクニの闇へキャンドル行動報告

   
 
 

ヤスクニ・アート

 2年前の夏、反ヤスクニ共同行動に4000人が参加“YASUKUNI NO”の人文字を作りました。昨年は、アメリカ・ニューヨークでキャンペーン行動。そして今年8月9、10日に行われた行動のタイトルは“ヤスクニ・戦争・貧困”。アメリカでは格差が広がり、貧困層の若者が就職先に軍隊を選び、戦場へ送られています。貧困層の拡大する日本でも同じ道が容易に想像できます。その時「靖国」は再び戦争を賛美し若者を戦争へ駆り立てる役割を果たしていくのではないか。すでに今の若者に広がる戦争・ナショナリズムへの傾倒がなぜ起こっているのかがトークで深められました。

 証言は各地域の遺族から。平和遺族会の吉田哲史郎さんのお父さんは愛媛で貨物船機関長をしていて船ごと徴用。「最前線でアジア侵略に加担した。戦後母子家庭で就職も困難だった」「靖国は陸軍からの戦死公報より詳しい情報を持っていた」「国は靖国に個人情報を流し、憲法違反を堂々と行っている」。積年の憤りが伝わっくる。沖縄は靖国合祀取り消し訴訟原告の金城実さん。お父さんは19歳で戦争に行きブーゲンビルで戦死。「遺骨を取りに行く時母は気を失っていた」。その母の「靖国に連れて行ってくれ。天皇の近くだ」という懇願で靖国の社務所まで行くと「親父の傍に置いてくれ」と島のきれいな貝殻を渡したという。「天皇制は離島での言葉狩りから始まった。ヤマト言葉でないと恥ずかしいという精神的なところにくいこんできた」と。

   
 

韓国の若者の踊り

 
 

「キム次長」の熱唱

 
 

キャンドル・ウォーク

 

 韓国はイ・ヒジャさん。チョゴリ姿は今まで何度かあったが、髪をキリッと結い上げた姿に思いの強さを感じる。3人の子どもの母になってから父のことを探し20年になる。父の娘としてどこでどう死ななければならなかったか記録を探していて“靖国”の問題に至った。「なぜ家族にも知らせることなく合祀したのか。許せない」「父は未だに靖国から解放されず、そればかりか死者を利用することは許せない」「靖国の闇を追及し灯をあてていきたい。何が正しく真実なのか靖国に認めさせ合祀を取り下げるその日まで協力を」と。

 遺族の方の思いは一つだと感じると共に、日本人の問題でありながらこうして韓国・台湾という外からの灯によって問題が更に鮮明になることも感じました。

 平和コンサートには、韓国の学生がマイム・歌・踊りを披露。昨年も来日交流した大学生グループ「希望(ヒマン)」には新しいメンバーが大勢参加。会場で通訳イヤホーンを耳に熱心にトーク・証言に聞き入っていた彼らも、舞台に上がると明るく元気な踊りを見せて、私達にとって正に希望を示してくれました。またサンミョン大学からも学生が多数参加。従軍「慰安婦」をテーマにした劇等多彩な舞台でした。アン・チファンが事故で来れなかったのは残念でしたが、冬ソナのキム次長役の権海孝(クォンヘヒョン)さんが歌を熱唱。最後は会場が一つになってイムジン河を大合唱しました。

 集会後のキャンドルウォークは、手にしたキャンドルを掲げ「ヤスクニ」の闇を照らし、戦争・貧困に反対し、東アジアの未来への道を照らしだすものになりました。(木村)
 

「ヤスクニ・戦争・貧困」をテーマにトーク

 
 

パネラーのみなさん

 
 

韓明淑さん(韓国元首相)

 今年は、韓国から韓明淑さん(韓国元首相)、中島岳志さん(北海道大学教員)、安田浩一さん(ジャーナリスト)、高橋哲哉氏(東京大学教員)の4名がパネラーとして「靖国がどんな問題をはらんでいるのか」「若い世代の貧困層がヤスクニにからめとられていること」をテーマに語られました。印象に残ったことを報告します。(大幸)

韓明淑さん
 「遊蹴館の展示の中の『1948年に、大韓民国成立』という文言に大きなショックを受けた。「独立した」という表現を使おうとしないことには、怒りというより日本のおろかさを感じた。天皇のために犯した植民地支配の歴史をどう反省するかということこそ大切である。真の先進国となるには、過去の歴史を克服する意志を持ち続けることこそ必要である。「靖国に魂が閉じ込められていることは心が痛い」と日本政府が画期的判断をすることを期待する 」
 
安田浩一さん
 「靖国の風景を取材してきたが、2002年に北朝鮮が拉致を認めて変わった。以前は軍服姿のコスプレのキャラが目立った神社として報道されていたが、25万人が集まり、あたかも祭りの様相を呈していた。しかし右翼の構成員が増えたわけでなく、ヤスクニブームに過ぎなかった。戦争の道具としてヤスクニが機能していることをどう発信していくかが問われている 」

中島岳志さん
 「月刊誌『論座』で『希望は、戦争』と提起したフリーターの青年は、戦争になってほしいとは思っていない。就職氷河期に大学を卒業した30代前半の彼はコンビニでバイトをしている。懸命に働いても働いても自立する蓄えもなく、年金もかけられない。結婚もできない。『親の死に目が自分の死に目』という現実。今の生活から脱却するのは、すべてをチャラにする戦争に期待してしまう。戦争に行き、靖国神社に祀られたい。国家に承認されたいということが最大の問題である。小泉改革は反中国、反北朝鮮を煽ってナショナリズムを使い、若者に架空の平等性を幻想させた。雇用問題が改善しても問題は解決しない。不安と承認を求める意識を社会がうけとめねばならない 」

(写真:韓明淑元首相)

韓明淑さん
 「韓国でも新自由主義による貧富の格差は広がり、貧困によるナショナリズムとつながることに注意する必要がある。民族主義の問題は日本とは違う。日本の植民地支配と闘った民族主義があった。今韓国では、BSE輸入問題で命を守ろうとするキャンドル行動で市民が立ち上がった。個人の権利、市民参加が大事で日本の運動と交流していきたい 」

高橋哲哉さん
 「抽象的な平和ではなく、アメリカ帝国主義が見えているところが、沖縄だ。自分たちの平和からこぼれ落ちているところがあることを自覚すべきだ。靖国が聖なる場所へと変質させないように監視していく必要がある 」
 

「父の魂が靖国に閉じ込められている限り
                  チェサ(祭祀)ができない」

第38回全交in京都にコ・インヒョンさんを迎えて

 

コ・インヒョンさん舞台で(中央)

 

 

京都霊山護国神社

 
 

分科会で

 
 

パーティで歌うコ・インヒョンさん

 

 8月2、3日に開催された平和と民主主義をめざす全国交歓会(全交)第38回大会in京都にグングン裁判およびノー!ハプサ訴訟原告のコ・インヒョン(高仁衡)さんをお招きしました。
 お父さんはコ・インヒョンさんが生まれて7ヵ月後に徴用され、1944年9月3日に東部ニューギニアで戦病死し、靖国に合祀されています。戦後まもなく母と2人のお兄さんまで亡くされ孤児同然で生きてこられました。

 大会に先立つ8月1日、京都東山の山腹にある霊山護国神社にご案内しました。坂本龍馬と中岡慎太郎の墓があり明治維新の「志士」を祭る神社として発祥した場所ですが、その一角に「昭和の社」と銘打った慰霊碑が立ち並んでいます。アジア太平洋戦争の戦死者を部隊ごとに慰霊・顕彰する目的で11年前に完成したものです。なかには機関銃と鉄兜を飾っている碑も。「これらは侵略戦争の戦死者を賛美している碑で、靖国神社につながるものです」と説明すると黙ってうなずくコ・インヒョンさんでした。

 今回の来日のメインは8月3日の分野別討議「国際連帯でノー!ハプサ〜靖国訴訟の勝利を〜」での証言。「遺骨を放置したまま、魂だけを靖国に祀るというのはおかしい。日本政府は遺骨を収集し、すぐに遺族の元に帰るように実行しなければならない。そして魂が靖国から自由になれるようにしたい。私は父のチェサ(祭祀)をすることができないでいる。私の父の魂が靖国に閉じ込められているから、チェサをしても出てこれないと思っているからだ。チェサができないので、やむをえず父の誕生日にお祝いの行事をやっている。もし合祀が取り下げられれば父は靖国から出てこれる。魂を迎えてすぐにでもチェサをしようと思っている」と怒りをこめて証言されました。

 この分科会には沖縄の「靖国合祀ガッティンナラン」訴訟を支援する石原昌家さん(沖縄国際大学)と大阪の「靖国合祀イヤです訴訟」原告の古川佳子さんも参加。石原さんは「戦傷病者戦没者遺族等援護法」の沖縄への適用拡大により0歳児までが靖国に合祀されている理不尽さを明らかにされました。古川さんは箕面忠魂碑訴訟の大阪地裁勝利判決から20年以上たった今、靖国神社を相手取りお兄さんの合祀取消を求めて立ち上がった気持ちを表明されました。お二人を前にしてコ・インヒョンさんは「韓国、沖縄、台湾、日本の合祀取消の運動が一つになって強くなればと思う」と訴えられました。

 コ・インヒョンさんは閉会集会で壇上に立ち、チェサができないでいる悲しみを証言したうえで、「私たちを助けてください。1990年に済州島で遺族会を発足し、20年活動し、たくさんのことを感じた。日本には心から支援してくれる人もいる。心からお礼を申し上げたい」とアピールされました。その後のフェアウエルパーティでは民謡を披露され、全交参加者との交流を深めることができました。(塚本)
 

ノー!ハプサ原告・浮島丸遺族の
      林西云(イム・ソウン)さんを招いて
〜関西集会報告

 
 

ミュージアムで

 7月26日京都でノーハプサの原告の林西云さんをゲストに迎えて「愛する人の死を悼む遺族の心を踏みにじる靖国の闇を照らしだすノーハプサ裁判を支援してください!」と題してつどいを開催しました。つどいに先立ち、ちょうど立命館大学国際平和ミュージアムで開催されていた浮島丸展をぜひ見てもらおうと関西空港からホテルに着いたばかりの林西云さんを、休む間もなく会場に案内しました。ミュージアムの常設展は展示に工夫が凝らされていて、日本の侵略戦争から現在のイラク戦争に至るまで豊富な資料をもとに、戦争をなくすために自分たちが何をしなければいけないかを考えさせてくれるようになっています。浮島丸展を見た後に林西云さんにもこの常設展を観てもらおうと案内しました。

 林西云さんは、浮島丸事件でお父さんを亡くされて後、孤児同然の生活を余儀なくされ、8歳で朝鮮戦争に巻き込まれ、11歳から働かざるを得ず、学校にも通えず、最近になって戦後補償裁判の原告になったのがきっかけで文字を習いだしたそうですが、林西云さんの展示を食い入るように見つめている姿は「なぜ父が、遠く日本まで連れてこられて悲惨な死を迎えなければならなかったのか、自分の目で見極めたい」という気持ちが表情に表れているようでした。父を奪われ、そして文字を奪われた自分の人生をグングン・ノーハプサ裁判を通じて取り戻したいと願う彼女の意思がその横顔からひしひしと伝わってきて、関西の地で、もっと会員を増やしていかなければと気持ちを新たにしました。(中田)
 

ノー!ハプサ(合祀)第6回口頭弁論報告

 

イム・ソウンさん

 

 7月28日ノー!ハプサ裁判の口頭弁論が開かれました。今回の口頭弁論で一番重要なことは、原告側から「被侵害利益」に関して50ページにわたる準備書面を提出したこと。国と靖国神社が一体となって行った合祀がいかに原告等の権利・利益を侵害しているかを主張。「原告の合祀取下げ要求を頑なに拒否し続けている被告靖国神社は、傷口に塩をすり込み続けている」とし、敬愛追慕する人格権、姓名権、民族的宗教・習俗に従って「慰霊・追悼」する権利、民族的人格権等10点で構成する被侵害利益を主張。また「なぜ戦後の1959年という時期に外国人である韓国人の合祀を行ったのか」という当然の求釈明に対して、靖国神社側は「法律上の争訟性がない」「現段階では釈明する必要がない」と拒否。大口弁護士は「本件においては日本国家と靖国神社の関係が非常に重大。両者の癒着こそ靖国神社が宗教を装った国家機関であることを示す証左。今後は被害に対しどういう解決がなされるべきなのかという主張を展開する。」と報告。林西云さんは、「2 歳の時に父が徴用されたので父の顔を知らないし兄弟もいない。父が亡くなったのは解放後だから、浮島丸の爆沈事件さえなければ生きて故郷に帰って来られたはず。私の家庭は父が徴用され亡くなったことによって本当に滅茶苦茶になってしまった」「合祀を取り下げさせることができたら、子としての務めを果せるのではないかと思う」と切々と訴えました。(御園生)
 

この夏、各地で「あんにょん・サヨナラ」を上映

 
 

8月、東京でのイ・ヒジャさん

 皮切りは7月19日の大阪・大東文化情報センターでの上映会。小規模でしたが、みなさんが感想用紙に思いをいっぱい書いてくださいました。続いて8月2日〜15日には横浜の「シネマ・ジャック&ベティ」での劇場上映。当初、動員が伸び悩みましたが紹介記事が朝日新聞に掲載されてから急増。ある観客は「感動しました」との言葉を劇場スタッフに言い残されたそうです。8月3日には「平和と民主主義をめざす全国交歓会(全交)in京都」の企画の一つとして大谷会館ホールで上映。全交の大会決議の中には「映画『あんにょん・サヨナラ』全国展開でノー! ハプサ会員を全国に拡大しよう」との方針が盛り込まれました。8月9日は「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動」のプレ企画として上映。翌10日の本番の集会では主人公のイ・ヒジャさんの証言もあり、DVDが飛ぶように売れ、取材に訪れていた韓国KBS放送のクルーも購入していかれました。また、自主上映会を20人で開催された方が上映料金を持ってきてくださりました。感謝です。8月28日〜9月2日には「神戸映画資料館」で劇場上映。奇しくも、この映画館は震災の年にイ・ヒジャさんと古川さんが最初に出会った公園のすぐ近くにあります。地元の神戸新聞に紹介記事が載ったことや古川さんのトークショーも加勢して短期間にもかかわらず83人の入場がありました。トークの後では、古川さんと顔なじみの方が、「こんなにいい映画だと思っていなかった」とその場から5人ほどの人に「絶対にいいから見に来い」と知り合いに連絡していただく一幕もありました。2005年秋の完成発表から3年近くがたちましたが、いまなお観ていただいた方々からは良い感想を聞くことができます。

 現在、2つの劇場で上映を検討していただいていますが、靖国合祀取消訴訟をバックアップする意味でも、今後、各地の市民団体、劇場、映画センターなどを通して上映の機会を広げるとともに、DVDの販売も増やしていこうと計画中です。(「あんにょん・サヨナラ」上映委員会:塚本)
 

「韓国併合」100年市民ネットワーク(仮称)

   
 
 

キャンドルウォークの子どもたち

<運動の趣旨>
 日本は、いわゆる「韓国併合条約」を強要し、1910年(明治43年・隆煕4年)8月29日から35年間、朝鮮半島を植民地としました。2年後の2010年でちょうど100年の節目を迎えます。私たちは、日本と朝鮮半島に暮らす人々がこの100年の歴史をふまえて、相互に深い信頼の関係によって結びつくこと、この信頼の下で、これまでの国家の論理を超え、人類の普遍的な価値に基づく国際連帯の市民社会を創造すること、これを東アジアで実現することを目指すべきであると考え、今から、「韓国併合」100年の「反省と和解の市民宣言運動」を日韓両国で展開したいと思います。

「韓国併合」100年市民ネットワーク

 日本での展開と日韓連携のために、情報センターの機能を担う組織として、「韓国併合」100年市民ネットワーク(仮称。略称「100年ネット」)を立ち上げたいと思います。私たちの提起を理解し、受け止めてこの運動の発起人になっていただくようお願いいたします。
 発起人受諾のお申し込み、その他のお問い合わせ先は当分、下記のEメールだけとなります。「韓国併合」100年市民ネットワーク(仮称) nikkan100net@hotmail.co.jp へ。
GUNGUNも趣旨に賛同し古川が発起人になりました。詳しくは上記アドレスまでお問い合わせください。
 

 
   
 読書案内

 『靖国戦後秘史〜A級戦犯を合祀した男』    

 
   

                毎日新聞「靖国」取材班 
                        毎日新聞社 1500円+税

 「A級戦犯合祀に慎重だった筑波(宮司)時代から水面下では戦犯合祀をめぐって靖国神社と国の間で生々しい協議が重ねられていた。07年3月国立国会図書館は30年ぶりに「靖国神社問題資料集」の新編を作成した。資料集から浮かび上がったのは会議のたびに旧厚生省の役人が神社まで出向いて合祀を働きかけ神社も国も一体となってそれを受け入れていった構図だった」(本書P142)とあるように、戦後厚生省引揚援護局次長になった美山要蔵(陸軍高級副官)は戦前を引き継いで合祀事務を行った。本書はA級戦犯合祀を主軸に据えながら、靖国神社が政教分離に逆行する官民一体の合祀作業を続けた経過と靖国神社の変遷を紐解いている。GUNGUN・ノーハプサ支援必読の文献である。(古川)

GUNGUNインフォメーション

 9月30日(火) 沖縄「靖国合祀ガッテンナラン」訴訟第3回口頭弁論(16時那覇地裁)
                (前日29日(月)18時半・沖縄船員会館で前夜集会)
10月 6日(月) ノー!ハプサ訴訟第7回口頭弁論(15時30分東京地裁103号法廷:抽選30分前集合) 
10月 9日〜12日 第8回草刈りボランティアツアー
10月26日(日) 東京・団結まつり(10〜15時亀戸中央公園)
10月28日(火) GUNGUN裁判証人尋問(内海愛子さん:14時東京高裁102号法廷)
11月 3日(祝) 大阪・団結まつり(10〜15時扇町公園)
11月25日(火) 合祀イヤです訴訟(10時すぎ抽選 大阪地裁)
12月 2日(火) GUNGUN裁判証人尋問(周剛玄さん・李熙子さん:14時東京高裁822号法廷)
12月18日(木) ノーハプサ訴訟第8回口頭弁論(11時東京地裁103号法廷:抽選30分前集合)

第8回草刈りボランティアツアーを開催 10月9日〜12日

 

昨年のツアー

 

 ソウルから80キロ北東にある「冬ソナ」で有名になった春川。そこに故・金景錫(キムギョンソク)さんが残した強制連行被害者納骨堂があり、GUNGUN裁判提訴の年から日本人の手で草刈りをしています。8回目になる今年は、官民合同で慰霊祭も行われます。その後、ソウルで行われる「歴史NGO大会」にも合流します。ぜひご参加ください。
お問い合わせ:090−1135−1488 古川