在韓軍人軍属裁判を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.34 (2005.8.26発行)


「60年後の出会い」で子どもたちの
チャング演奏を見る李炳柱さん(左)、
金幸珍さん(中央)、李熙子さん(右)
(7月16日・大阪)

   

60年後の出会いを大切に、
「あんにょん・サヨナラ」いよいよ完成へ!

 
 60年目の8・15。日韓共同ドキュメンタリー「あんにょん・サヨナラ」(8・15版)の試写会が、8月14日東京、15日大阪、16日ソウルで行われ、延べ500人が参加しました。「深く感銘を受けた」「日韓共同制作の意義を感じる」など多くの感想が寄せられました。最終完成は9月末ですが、言葉や習慣の違いなど、多くの問題を乗り越え、ここまで導いてくれた日韓のスタッフ、そして250名を越えるサポーターに感謝します。
 8月26日、韓国では日韓会談の文書が全面公開されました。私たちも日本政府に対して文書公開を求め、植民地支配に対する真の謝罪と補償を迫っていかなければなりません。今、小泉首相は「郵政民営化に賛成か否か」の選挙であるかのように宣伝していますが、これからのアジアとの関係を築く上での「靖国」「歴史認識」こそ争点にすべきです。
 GUNGUN裁判はいよいよ2回目の本人尋問。金景錫さんをはじめ、軍人軍属に対する理不尽な戦後処理を告発する証人が証言台に立ちます。9月1日(木)13時半〜東京地裁710法廷への傍聴をよろしくお願いします。

いよいよGUNGUN裁判本人尋問も大詰め

裁判所は被害者の訴え・事実に向き合い
日本政府の植民地支配・BC級戦犯・靖国合祀の責任をとれ!

7・14に続き、9・1東京地裁傍聴へ!
9月1日午後1時30分〜5時、東京地裁710号法廷
(報告集会:午後5時〜7時 弁護士会館17F)

 9月1日、グングン裁判一審の2回目の証人・本人尋問が行われます。金景錫(キム・ギョンソク)さん、羅鉄雄(ナ・チョルウン)さん、李洛鎮(イ・ナクチン) さんが証言台に立ちます。戦後(韓国にとっては解放)60年、そして、今回は韓国で日韓会談の文書の全面公開が行われる情勢のもとで行われます。是非、皆さんの傍聴が必要です。よろしく御願いします。

金景錫さん >>日韓会談公開で日本は免責されない。まず、真相究明を!<<

 
   

 金景錫さんは、自ら強制連行被害者であり、兄も強制連行され北海道の炭鉱で亡くした。強制連行で初めての提訴を日本鋼管を相手に行い、和解を勝ち取った。今、本訴訟の原告の半分を占める「太平洋戦争韓国人犠牲者遺族会」の会長でもあり、真相究明を機に結成された犠牲者団体の連合体「強制連行被害者団体全国連合」の代表でもある。
 韓国では、26日に日韓会談の会議録が全面公開され、犠牲者に対する名誉回復策も明らかにされようとしている。しかし、日本政府は、韓国・朝鮮の植民地支配責任は全く果たしていない。

羅鉄雄さん >>BC級戦犯として投獄された父の無念を晴らしたい。<<

 
   

 羅鉄雄さんの父・羅三柞さんは、日本陸軍の軍属・パレンバンの捕虜収容所監視員とし
て配属され、戦後、捕虜虐待の罪で戦犯に問われ、終身刑に処せられ、巣鴨刑務所に移送
された。 終身刑を宣告された時は日本人だから、そして、釈放されてからは日本人でな
いから何もできないと。これが日本のやり方。栄養補給不足で多くの捕虜が死んだのは、監視員のせいではない。国際条約を全く無視した日本の捕虜政策そのものが問題だったのだ。

李洛鎮さん >>戦後の9月20日に戦死。それも遺族に通知せず靖国に通知。<<

 
   

 父・李福圭さんは、1944年に徴兵。満州を経て、敗戦過程のフィリピンにと投入され、韓国の解放後の9月20日に戦死したという。遺族には、一片の通知の説明もない。にもかかわらず、靖国神社にだけは通知されているのだ。こんな理不尽なことはない。植民地支配を正当化する靖国神社への、父を死に追いやった戦争美化の神社に合祀されていると思うとたまらない。

 日本政府は真相を明らかにする義務があるはずです。彼ら遺族・本人の要求に応えよ!
 

 

東京地裁前で(7月14日)

 


7月14日の本人尋問のために来日した、李熙子(イ・ヒジャ)さん、李炳柱(イ・ビョンジュ)さん、金幸珍(キム・ヘンジン)さん。 今号では、交流の中身を重点的に報告したいと思います。



 

「李熙子さんの講演会を終えて」
            和光大学非常勤講師、ホン・ジウォンさん

 李さんにはじめてお会いしたのは、今年5月東京での戦後60周年国際集会であった。通訳のために参加した私は、午前中の予定が二つに分かれ、参議院会館で待機することに。そのとき隣にいらしたのが李さんだった。挨拶を交わしてから2時間半、集会が始まるまで、私は李さんから靖国神社に関する集中講義を受けることになる。李さんの話は、通訳や翻訳の中で知っている靖国神社にかかわる問題とは、全く質を異にしていた。しかも今までの漠然としてしか理解できていなかった靖国神社の本質ともいえるものが見えたような気がした。自分の聞いた貴重な話を学生たちと分けたい、というのが講演を依頼した動機であった。

 

 講演は7月12日、午前10時50分から和光大学にて始まった。約50分にわたる李さんの話、それに続く20分くらいの質疑応答で行われ、参加者は40名弱であった。具体的な講演の内容は、学生らが書いた感想とともに紹介したい。
 多くの学生に共通した感想は、自分が戦争のない今の時代に家族とともにいることが、どれほどありがたいことなのかを改めて感じたと言っている。李さんの子供の父のいない、そして新しい父を迎えるときの寂しさや悲しみ、子供ながらの我慢といったものが伝わったからだろう。
 靖国問題に関しては、小泉首相の靖国神社参拝に対して、アジア諸国からの反対を理解できなかった。しかし、李さんの話で理解できたという意見がほとんどの感想で見られた。死亡通知もせず、合祀してしまい、名簿からの取り除きも不可とはあまりだと、日本は、小泉首相は謝罪すべきだと感想文では書かれている。自分がしたことではないが、同じ日本人として恥ずかしい、謝罪したい、という感想もみられた。これこそ自虐的な歴史観だと思う人は、どうかいないことを祈る。これは学生らが自分の体に傷をつけ、それを楽しむマゾキスト的な気質があるからでは決してない。ただ、彼ら、彼女らが持っているモノは、人の話を聞き、相手の心情を納得し、それに共感できるだけの心構えがあった。そして、日本の靖国神社問題を取り上げるのを、自分自身への人身攻撃と勘違いしないだけの良識があったから可能であったと、私は理解している。

 

無断合祀を取り下げよ!と靖国神社の
絵馬に書いた李熙子さん

 

 講演と学生たちの感想を通して、本質でなく現象だけを伝える今のマスコミが抱えている問題を改めて認識した。そしてそれを鵜呑みにしないための一つの方法として、相手に自分の声を聞かせること、相手の声を聞くという、双方の積極的な歩み進みの可能性を再確認した。
 「父が亡くなったのが23歳だから、ちょうど皆さんの年頃かも知れません。」といった李さんの言葉に、ちょうど23歳の二人の男子学生がいつまでも教室を離れず、李さんに声をかけようとしていた。習ったばかりの「パンガワヨ」「カムサハムニダ」「チョヌン○○○○イムニダ」などのことばで…。日本側から補償してもらい、自分が幸せになるため、60歳を過ぎてこんなことをしているのではない。これからの世代に決して戦争が起きてはならないので、このようにやっていると李さんは言った。その真意がきちんと伝わっていることをなかなか帰れない学生らの姿で見受けることができた。
 影の部分を言うのは人間誰しもが好むことではないだろう。しかも家族にまつわることを、誰かもはっきりわからない不特定多数に言うのは特にそうであろう。それなのに辛い記憶を取り出して話してくださった李熙子共同代表に深く感謝したい。「聞いてくれた学生や手伝ってくださったみんなに感謝したい。こうして感謝の気持ちがこみ上げるとき、コンサート会場ではこう言うらしい。「みんな、愛してる!!!」。

 

「60年後の出会い」(大阪)60名の大人と子ども20名参加で成功!

 GUNGUN裁判本人尋問の翌々日の7月16日、大阪で「60年後の出会い」(主催:同実行委員会)を開催しました。李熙子さんが「『あんにょん・サヨナラ』が、暗かった過去を変えていく道筋になる」と挨拶。『あんにょん・サヨナラ』の試写を(もっと見たい〜!)の恨めしい声を残して、集会メイン企画・原告との膝を交えた交流分散会が始まりました。

 
 

終了後の交流会で熱唱する李炳柱さん

 私はシベリア抑留を体験された李炳柱さんの分散会に参加しました。交流時間は短かったのですが、どんなに李炳柱さんの人生が狂わせられ、苦しめられたか・・・加害責任を痛感しました。一場面だけ紹介します。
 植民地支配に対してどう感じているのかという質問に李炳柱さんの答えは、「捕虜収容所で、自分たちは韓国人だと主張するために旗を掲げようとしたが、日本の徹底した皇民化教育のせいで112名の韓国人捕虜の誰一人テグ旗(大極旗)を描くことができなかった。私たちはテグ旗(大極旗)を見ることなく育ったのだ。これを植民地支配と言わずしてなんだというのか!」というものでした。また李炳柱さんは「私は過去のわだかまりを消すために裁判を起こしている。司法府だけでも良心の一片を見せて欲しい。良心と人情で判断して欲しいと裁判長に頼んできた」とも発言されていました。歴史を歪曲しようとしている集団に、この事実を突きつけたい。こうした事実を知らしめていくためにも『あんにょん・サヨナラ』の上映活動は非常に意味のある行動だと思います。

 

 

金幸珍さんの分科会

李熙子さんの分科会

 今憲法改悪の動きの中で、日本は戦後60年間戦争を起こさなかったということが平和国家日本を強調するために使われますが、日本は過去清算をしていない国なんだということを、もっともっとアピールしなくてはいけないと思います。原告の人に日本の良心を伝えなくてはいけないと思います。

   

 集会の最後は、小中学生によるチャングの演奏と和太鼓演奏で盛り上がりました。本当に「出会い」を体現できた集会となりました。皆さん、ご苦労様でした。(小川)

「あんにょん・サヨナラ」(8・15版)」の試写会を開催!
     8月14日東京・15日大阪・16日ソウル

 
 

ナレーション録音(ソウル)

 8月14日、東京の星陵会館で、日韓共同ドキュメンタリー「あんにょん・サヨナラ」(8・15版)の記者発表と試写会、レセプションが行われました。
 李熙子さんと古川はその2日前にソウルでナレーション録音。14日は靖国で写真撮影。絵馬に「今すぐ合祀を取り下げよ」と書いてさげる。その後14日当日の朝6時までかかった編集作業を終えた金テイル監督が、自らテープを持って来日しました。金テイル監督は、「いろんな壁もあったが、この作品づくりを通じて、未来に向けた日韓市民の友好関係が築けたと思う」「私は皆さんの心を盗む泥棒になりたいと思いながら、この作品を完成させた」と挨拶。大きな共感を呼びました。

記者会見と試写会(14日・東京)

レセプション後に乾杯

 作品は9月末完成予定で、すでに10月の山形国際ドキュメンタリー映画祭、釜山国際映画祭に出品されることが決定しています。10月には東京、大阪をはじめ全国で上映運動を開始していきたいと思っています。ぜひ「自分の地域で上映したい」という方はお知らせください。(連絡先:情報工房スピリトン 03-3403-1902) また引き続き、サポーターを募集していますので、記念すべき事業へのご支援をよろしくお願いします。(古川)

大阪試写会報告(大幸)
 大阪の試写会は、「アジアを共に生きるための戦後60年集会」(主催:同実行委員会)の6つの分科会の中の第3分科会で上映されました。観客数は、およそ250名。上映が終わると拍手が自然におこりました。ヒジャさんにかけより話しかける女性の姿もありました。アンケートを見ると沖縄や愛知県からの参加者もあり、この映画に寄せる期待の高さを伺わせました。「教材として使いたい」「町内会で上映したい」などの声も寄せられています。翌日の新聞では「靖国神社に二十万人」の文字。「戦争で死んだ人を追悼して何が悪い」という声が一段と大きくなるような不気味さを感じざるを得ません。わずか半年の制作期間で仕上げたので字幕の誤字や場面の説明不足などの指摘などもありますが、皆さんの声を届けてよりよいものにこれから仕上げて行くことになります。みなさんの、一層の支援をよろしくお願いします。


上映後のアンケート感想から(抜粋)

キム・テイル監督(右)と
イ・ヒジャさん(左)が挨拶
(15日・大阪試写会)

○今まで、テレビなどを見て知っているような気がしていましたが、ほとんど何も実状を知らないことがわかりました。感情に訴えかけられ、心が動くドキュメンタリーで、私はもっと知り、考えていかなければならないことに気づかされました。(21歳女性)

○映画で語られる言葉の一つ一つがとても重く、深く考えさせられました。特に、南京虐殺についての「10万ならちがいますか。3万でも大虐殺でしょう」という言葉や「国のために死んだ人を国が追悼して何が悪いのかという人たちをどう説得していくのか。大変むずかしいです」といった言葉が非常に心に残りました。(36歳男性)

○とても良い映画ですが、時間を短くすることが問題ですね。右翼の発言はとても効果的ですが、繰り返されているので、中だるみを感じます。最後の方の日本の運動の紹介は、とってつけたようで、唐突な感じがします。(56歳男性)

○韓国の人々の思いと日本の戦争に反対する人たちの現在の運動とのからみがよく描けていたと思います。ヒジャさんの恨がはらしきれないまでも、日々の運動する人たちとの出会いの中で心がほぐれてきたという意味のことをいわれていたところは、ホッとします。若い人たち、特に教師に見せたいです。(57歳女性)

○内容はとてもよかったが、「靖国問題」をあまり理解していない者にはどこまで伝わるかと思いました。焦点を「靖国」にしぼれたらと思った。(43歳男性)

○李さんと古川さんのナレーションはよかった。2人のストーリー以外の細かいできごと、伝えたいことが多くて、少々散漫になった感じがする。90分くらいにするとしまるのではないか。加害者は被害者の声を聞いて加害を知る(と、いったかな)という言葉がすとんと心におちました。右翼のエピソード、南京の出会いは意味があると感じます。(40歳女性)

○私は、今まで戦争問題をしっかりと考えたことはありませんでしたが、こんなに怒りや悲しみを抱える人がいる事実を知り、なんとも言葉にできない、憤りのような物を感じます。被害者に寄り添って行動する方たちに涙がでました。私にできることを探したいです。(22歳女性)

○韓国に興味を持つようになってから、少しずつ日本とアジアの関係をべんきょうを始めました。歴史の問題はそれぞれに意見があって事実をきちんと把握するのは難しいですが、お互いよりそう気持ちがあれば、平和な世界をつくることができるかもしれないと、この映画を見て感じました。(10代女性)

○靖国神社については、ほとんど知らなかったので、いい勉強になりました。中国、韓国、日本がより近い国になり、世界平和の道をすすむためには、日本人が加害者として行ったことに対して謝罪することは、絶対必要と強く思いました。イ・ヒジャ最後に言われた遺族の許可なく合祀したこと(1959年?)を、映画に入れて欲しい。 <52歳女性>

第5回ボランティアツアー参加のご案内
     10月7日(金)〜9日(日)(参加費:飛行機代+2万円)

 
 

昨年の草刈りボランティア

 韓国春川にある強制連行被害者の納骨堂の草刈りボランティアも今年で第5回。今回は春川の奥にある湖畔の古寺や「チャングムの誓い」のセットにも寄りたいと思います。また希望者は6日出発で「あんにょん・サヨナラ」が上映される釜山映画祭に参加してから春川を訪れるプランも計画中です。
   お問い合わせは、090-1135-1488 まで

 
   

 ビデオ案内

 60年の孤独』−韓国 シベリア朔風会
    
   制作 民族問題研究所(韓国) 32分(日本語字幕)
   2005年 3000円(送料込み)

 日本の関東軍に強制徴兵・強制徴用された朝鮮人のうち1万人以上が敗戦後ソ連に抑留された。8・15で解放されたはずの彼らが、日本名のまま、酷寒の地で強制労役に苦しまなければならなかったのだ。彼らが国に帰ってきたとき、朝鮮半島は分断されていた。韓国では「敵性国家」ソ連から帰った彼らに対する周囲の目は冷たかった。しかし、韓国人シベリア抑留者たちは91年から集まり始め、「シベリア朔風会」を結成した。日本の抑留者たちの運動とも手を取り合いながら、戦争責任者たちの謝罪と誠意ある補償を要求する活動を始めた。「シベリア朔風会」会長の李炳柱さんをはじめ多くの会員がグングン裁判の原告に加わっている。このビデオは、彼らが残された僅かな人生の中で声をあげている姿を収録したドキュメンタリーである。作品に登場している李圭哲さんが、編集中の本年1月24日に享年81歳でこの世を去った事実を伝えるエンディングが私たちの胸を打つ。(塚本)
(購入のお申し込みはgun2@r9.dion.ne.jp まで。なお、本作品は、『あんにょん・サヨナラ』サポーターの方には特典として差し上げます。)


GUNGUNインフォメーション
9月10日(水) 関西GUNGUN原告を囲む集い(18時半 エル大阪)
 9月 1日(木)  13時半〜17時 第18回GUNGUN裁判本人尋問(東京地裁710号)
       17時〜19時 裁判報告集会(弁護士会館:東京地裁裏)
10月7〜9日 第5回春川納骨堂草刈りボランティアツアー
●「あんにょん・サヨナラ」の上映スケジュールについては次号ニュースに掲載します。