在韓軍人軍属裁判を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.30 (2005.1.22発行)

お父さんの沈んだ海に献花する林西云さん
(12月6日・舞鶴)

   

日韓両政府の責任で戦後補償実現へ!

 昨年12月8日のGUNGUN口頭弁論のために原告の林西云(イム・ソウン)さんが来日しました。お父さんは浮島丸とともに舞鶴の海に沈み、一方で靖国に合祀されています。私たちは、林西云さんと一緒に舞鶴へ行き、殉難碑の前でささやかな供養を行いました。海に花束を投げ入れ、「アボジー!娘が来ましたよ!」と呼びかける林西云さん。3歳で父を亡くした彼女は孤児同然の生活になり、その後8歳で朝鮮戦争に巻き込まれます。そして11歳から働いたため、十分な教育を受けることができませんでした。陳述原稿を一生懸命指で追いながら読む姿に、彼女の半生が凝縮されています。「もし父が生きていればと何度思ったか」「写真が一枚もないのです」「父の魂が強制的に連れて行った人と一緒に祀られていると思うと心が落ち着かない」と語る林西云さん。戦争被害が60年経過した現在まで続いているということを、私たちの心に強く訴えかけました。

 韓国政府は1月17日に韓日会談文書5冊1200ページを公開しました。これにより日韓両政府によって戦争被害者個人の請求権が切り捨てられ、経済協力に至った「断片」が明らかになりました。しかし「謝罪」が込められていない条約で「過去の清算」が済んだとは絶対に言えません。何より日本政府に全文書を公開させなければなりません。韓国国会では12月7日に「小泉首相の靖国参拝中止と韓国人合祀取り消しを求める決議案」を提出。2月からは、「真相究明法」に基づく被害申告と真相調査申請の受付を開始 、と解放60年を迎えての行動や問題提起が続々とされています。韓国との連携をさらに強め、日本政府に「過去の清算」を迫っていきましょう。

次回GUNGUN第15回口頭弁論は、2月16日(水)11時東京地裁722号法廷です。

新年のメッセージ 金景錫さん(太平洋戦争韓国人犠牲者遺族会会長)

 新年のご挨拶を申し上げます。韓国では今、補償問題にめどがつきつつあります。皆さん今年もがんばりましょう!!

太平洋戦争開戦日の12月8日 第14回口頭弁論行われる
浮島丸犠牲者遺族・林西云(イム・ソウン)さんが意見陳述

 12月8日、ちょうど64年前、日本がアジア全域を戦火にさらしたアジア太平洋戦争に突入した日。その戦争に父を奪われた原告・林西云さんが東京地裁の710号法廷で、悲しみの意見陳述をしました。

 アジア各国の共同アピール記者会見に参加

 

記者会見にのぞむ林西云さん

 

 午前10時、一日行動のスタートは、衆院第2議員会館会議室で、アジア各国犠牲者の「12月8日にあたり日本の国連安保理事会常任理事国入りに反対し戦争犠牲者への謝罪と個人賠償を求める国際共同声明」 (声明文)の記者会見が行われました。原告・林西云さんと金銀植さん(太平洋戦争被害者補償推進協議会事務局長)が出席、戦後補償問題の解決を強く求めるアピールを行いました。会場には12月7日韓国国会に提出された「韓国人の靖国合祀の取消し、小泉首相の靖国参拝中止を求める決議案」も配られました。

 林西云さん意見陳述 〜 生活が厳しく、学ぶ機会もなかった

 
 

東京地裁前でビラを配布

 11時からの口頭弁論。まず原告側から、安全配慮義務違反、靖国合祀問題での準備書面と書証を提出。安全配慮義務では、来日原告の父・林萬福さんの浮島丸爆発沈没による死亡について、それが回避できるにもかかわらず回避しなかったことの責任を明らかにしました。また、二次提訴原告の餓死・玉砕の強要も問題として主張しました。
 そして最後に、林西云さんが意見陳述。父を亡くし、小さい時から一人暮らしを余儀なくされた林西云さんが、50歳を過ぎて学んだ言葉で、緊張しながらも切々と陳述しました。
「家族を破綻に追いやり、幼い年で苦痛の中で生活しなければならず、学ぶ機会を持つことをできなくした日本に対しての恨みは言葉では表現できない」「父が今も舞鶴の冷たい海の底にいるのかと思うといたたま りません」「父の魂が父を強制的に連れて行った人たちと一緒に祀られていることに対して父はやはり心落ち着かないだろうと思い眠れない日が続きました」と。
 
 沖縄公文書館所蔵の靖国関係書類を提出

 口頭弁論では、靖国合祀問題で新たな証拠(甲341号〜352号証)を提出しました。それは、沖縄県公文書館に保存されていた1954年〜1963年頃の靖国神社関係書類の一部で、合祀が日本政府(厚生省)、琉球政府(当時)、靖国神社一体となって行われていたことを示す貴重な資料です。
 裁判は大詰めを迎えています。一層のご協力を! 大きく前進する韓国での取り組みと連帯し、取り組みを強めましょう!

今回提出した書証
〜政教分離の憲法の規定にもかかわらず、こういうことが日本全国で行われていた!
【甲第343号証】 沖縄県公文書館に保管されている靖国神社に関する書類の表紙。
【甲第344号証】 靖国神社から琉球政府社会局宛に「昭和25年10月17日合祀。合祀者名簿、合祀通知状及び遺族特別参拝券の送付の件」という送付通知書。
【甲第346号証の1枚目】 上の通知を受けて、琉球政府社会局から関係市町村に合祀者名簿・合祀通知状を送付した通知書。
【甲第348号証の1、2枚目】1962年に琉球政府厚生局援護課で日本政府厚生省援護局業務第二課長宛に合祀に関する依頼文書を起案している。
【甲第349号証】
 1961年2月28日、厚生省引揚援護局未帰還調査部第四課調査室長から琉球政府社会局援護課長宛の「戦没者合祀(回答)」。上の文書とあわせて考えると明らか。

林西云さんとともに 、お父さんの眠る海・舞鶴へ(大幸)

碑の前でご供養する林西云さん

浮島丸殉難者の碑

 東京での口頭弁論に先だつ12月5日、6日にかけて、私たちは林西云さんを舞鶴の下佐波賀にある「浮島丸殉難者追悼の碑」までお連れしました。浮島丸とともに舞鶴湾に沈んだ林西云さんのお父さん、林萬福さんを供養するためです。林西云さんが韓国から持って来た梨、なつめ、ろうそく、線香、花、そして酒、するめを碑の前に並べて追悼しました。海に花を投げ入れ、浮島丸が沈んだあたりを眺めてしばらくすると林西云さんは「アボジー、アボジー、娘が来ましたよー」と呼びかけます。そして碑まで戻り、ろうそくを紙コップの上にたて、プラスチックの箱に乗せて急ごしらえの灯篭を作り、海に浮かべました。

 

アボジー!と呼びかける林西云さん

 

「船が沈んだことは知ってはいたが、やっと父の死んだ現場に来ることができました。ずいぶん冷たかったでしょう」「亡くなったおばあさんから生前よく、『魚は食べてはいけない。父を食べているような気がするから』と聞かされていました」「父の遺骨だと言って戻されたけど、本当かどうかわからない。地元の人が懸命に救助してくれたことはうれしいが、日本政府がもっと早く動いてくれていたら…」「息子の死を受け入れることもできず、おばあさんは51の若さで亡くなってしまいました」

 父を失い、母の再婚の後、孤児同然のくらしを余儀なくされた林西云さんは、父の無念を晴らすのは自分の務めとして裁判の原告となってきました。しかし、浮島丸裁判の最高裁棄却(11月)を受け、この先どういったことをすればいいのかと心重く来日されたそうです。でもこの日舞鶴へ行ったことで、浮島丸事件の真相究明や遺骨返還、そして靖国合祀に対する理不尽さへの怒りが蘇り、8日の裁判では思うことを陳述できたようです。少しは林西云さんのためになれて、同行してよかったと思っています。

現在事務局では林西 云さんの舞鶴での模様をドキュメント「理不尽な戦後処理シリーズ・靖国編」として制 作中です。1月末にはシベリア編を日韓で共同制作するために訪韓します。乞うご期待!


浮島丸事件とは・・・

 
 

後の島の近くで浮島丸は沈んだ

 戦争が終わって9日目の1945年8月24日午後5時20分頃、京都府舞鶴市佐波賀沖で、海軍特設輸送艦浮島丸(4730トン)が突如爆発・沈没し、乗員乗客549人(政府発表)が死亡した。青森県地方で働いていた朝鮮人労働者とその家族3735人(政府発表)が乗っていたとされるが、6000人という証言もある。8月22日22時頃青森県大湊港を出港、釜山を目指し航行中、進路を突如変更、舞鶴に寄港。入港直後に爆発。政府は触雷が原因としているが、当時の状況から自爆の可能性もある。当時日本は敗色が濃く、本土決戦に備えて青森県でも下北半島などに強力な防御線を築くための要塞や、鉄道の建設、弾薬など資材の備蓄のための工事が進められた。日本の労働力不足を補うため、朝鮮半島から多数の労働者が集められ、青森県にも 21000人といわれる多数の朝鮮人労働者が投入された。終戦直後「朝鮮人が暴動を起こす」というデマにのった海軍が朝鮮人の帰国を急がせるため、浮島丸が配船された。

「2005年」韓国の動き急ピッチ

@「靖国神社の韓国人合祀取下げ等を求める国会決議案」を提出
 12月7日、カン・チャンイル議員ら79人の与野党国会議員が靖国問題決議案を共同で提出。昨夏、李熙子さんが中心になって集めた国会議員署名などの働きかけが実を結んだもの。靖国合祀取消しを求める遺族の声が国民の総意として採択されれば、解決に向けて大きな力となるでしょう。
(決議案および関連文書)

靖国神社の韓国人合祀取下げおよび日本閣僚の靖国神社参拝中止を求める大韓民国国会議決議案(主文)

 大韓民国国会は日帝の侵略戦争に強制的に動員され犠牲となった韓国人を、その遺族にはいかなる事実も知らせないまま侵略戦争の首謀者や積極的に参加した者と一緒に靖国神社に合祀したとの事実に深い遺憾を表し、これに関連する遺族の意思により日本政府が合祀取下げに積極的に踏み出すことを求める。

 大韓民国国会は小泉純一郎首相と日本の閣僚が侵略戦争を挑発したA級戦犯を軍神として崇めている靖国神社を毎年参拝しており、今後も参拝を続けていくとの意思を明らかにしていることに対し深い憂慮と遺憾を表する。大韓民国国会は村山富一首相が不幸な過去史に対する謝罪と反省を表明してから回復に向かっていた韓日関係が日本の首脳部の靖国神社参拝により毀損されており韓日関係の未来のためにも決して望ましくない点を指摘し、靖国神社参拝を中止することを丁重に求める。

 大韓民国国会は日本政府が両国の首脳会談を通して持続的に明らかにしてきた「不幸な過去史清算と未来指向の韓日関係」の精神にのっとり、過去の侵略戦争を美化するなど日本国内での歴史歪曲の動きに賢明な対処をすることを求める。

 大韓民国国会は韓国政府が先頭に立ち、靖国神社の韓国人合祀取下げ問題を解決する一方、日本の首相や閣僚の靖国神社公式参拝が中止されるような措置をとること強く求める。

A2月から強制動員被害の申告受付を開始
 「日帝強占下強制動員真相糾明法」に基づき昨年11月に発足した真相糾明委員会は本年2月1日から6月30日までの5か月間、日本植民地支配のもとで行われた強制動員の被害申告と真相調査の申請を受け付ける。満州事変(1931.9.18)から太平洋戦争に至るまでの時期に日本帝国に強制動員され、軍人、軍属、労務者、軍慰安婦などを強要された人やその親族関係にある人は誰でも被害を申告することができ、また被害事実や事件を知っている人も真相調査の申請をすることが可能だ。委員会や市区郡で受け付けるが、海外同胞は在外公館でもでも申請できる。届出には申告事由の証拠資料あるいはその事実をよく知る人の保証書を添付する。強制連行真相究明委員会は、申告された内容の事実確認を経て、結果を申告人に知らせる。委員会はまた、強制動員によって死亡した人を追悼し、歴史的な意味を改めて心に刻むための慰霊施設(墓、塔、公園等)と史料館も建設する計画だ。韓国の動きにこたえ、資料収集など日本側の共同活動の開始が不可欠になっている。

B日韓協定交渉の議事録を政府が公開
 韓国外交通商部は1月17日韓日会談文書5冊1200ページを公開。65年5月14日に日本の外務省会議室で行なわれた第7次韓日会談の請求権及び経済協力委員会の第6次会議議事録には、日本側首席代表(西山)が『我が方の提供は、どこまでも賠償のように義務的に与えるのではなく、経済協力という基本的な思考を持っている』と言ったことになっているなど、日本が当時賠償や補償は初めから排除したまま「経済協力」を主張したことが各所に現われている。これによって、日本政府は日帝強制動員被害者救済と関連し、最小限道義的・人道的責任を負わなければならないという声が高まると思われる。
 特に今日、強制動員被害者たちの対日戦後補償要求訴訟で通恨の足かせとして作用してきた請求権協定2項の「(個人請求権が)最終的に完全に解決されている」という条項と合意議事録の「(韓国側は)今後いかなる主張もできない」という条文をめぐる双方の終盤の神経戦は、日本政府が「請求権資金」の金額などにのみ執着した韓国側の焦燥感と交渉戦略の不在を利用して、個人請求権の「完全消滅」を周到綿密にせき立てて誘導し、貫徹させたことを示している。政府は昨年11月特別チームを稼動させたのに相継ぎ、昨年12月韓日修交会談文書公開対策企画団を構成、個人被害の救済時に必要となる財源の規模と確保方法、関連補償の立法体系などに対する検討作業に入っている。

 
 

鶴橋駅前はコリア文化の宝箱

GUNGUNフィールドワーク  2004.11.23
 猪飼野・コリアタウンを歩く (小川)

 春の大阪城フィールドワークに続き、今回も朝鮮半島と日本列島との歴史的関係に造詣の深い、宮木謙吉先生にご案内をお願いして、“おいしい”フィールドワークを開催しました!

 食べることと買い物好きな私は、国際市場とコリアタウン(朝鮮市場)について報告しますね。歴史的な物語がお好きな方は、次回の機会でね。

 
比売許曾(ひめこそ)神社の説明をする
宮本さん
 

 コリアタウンはどのようにして形成されたか? 生野の小工場への労働者として多くの朝鮮人が渡来し、1923年済洲島と大阪の直通航路が開設したことで済洲島からの渡来者が増えるにしたがって多くの食材、雑貨へのニーズが生まれ市場が形成されたとのことでした。とはいえ渡来した朝鮮人への差別と抑圧は厳しいものがあり、在日の人々は生活不安に脅かされていた。とりわけ敗戦後の大阪最大の闇市は、在日の人々の生活を支える活動の場所となりました。そこから発展した現在の国際市場は、青果エリア、雑貨エリア、焼肉エリア、鮮魚エリアの4つの部分に分かれ深夜に開店する鮮魚市場が明け方まで活気づき、24時間フル操業しています。

 
 

猪飼野ウォークの最後は平野川

 そしていまコリアタウン人気はなぜか? それは在日の人々が連綿と続けてこられた地域運動がもたらしたものだと言うことでした。(確かに韓流ブームの影響はあるでしょうが・・)在日の人々が自らの衣食住、文教の環境を整えていく営みが、日本の排外主義の体質を変化させてきたのだという考えに、私は深く考えさせられました。おりしも「不法滞在」の外国人がロープでぐるぐる巻きにされ強制送還されたという、今なお根強い私たちの国の排外性を示す報道が続く中では、私たち日本人が韓流現象で歩み寄ったのではなく、在日の地域運動の努力だと痛感します。

 「共生と人権」について、地域からの国際化・民主化について宮木先生から大きな宿題を頂きましたが、コリアタウンから元気も頂きました。ありがとうございます!

 
 

昨年のキムチづくり

お待たせしました! 李熙子さんと作るキムチ
   今年も一緒に作って、一緒に食べよう!

 李熙子(イ・ヒジャ)さんが韓国から持ち込んでくれた「野菜」と「オキアミ」etcを使って・・・昨年はおいしさ大好評でした! 今年もわいわい作りましょう!

●前日(2月12日 木村さんのお宅で)
白菜の塩漬け、ニンニクをつぶす、人参・大根を千切りにする、カッ=高菜を洗う etc
●当日(2月13日 ドーンセンター:午前の部、午後の部)
薬味(ヤンニャン)を作る、薬味を白菜に巻き込む 、みんなで作る! そして・・・・みんなで食べる!
お申し込みは名前と希望時間を「078−360−2171」までFAXを。
キムチ販売も同時にします。(当日か翌日のアジア訴訟で)

 読書案内

  『浮島丸 釜山港へ向かわず』
           
金賛汀 著 かもがわ出版(2136円+税)

 林西云さんのお父さんを乗せた浮島丸は1945年8月24日、舞鶴湾で爆沈した。祖国に帰還できる喜びで胸が一杯だったろうに…。戦争末期、浮島丸の母港・青森県大湊では本土決戦に備えた地下壕の建設のために数千人の朝鮮人工員らが徴用されていた。日本の敗戦により彼らは浮島丸に乗って釜山に無事送り届けられるはずだった。しかし浮島丸は釜山港に向かわず、針路を舞鶴にとった。なぜ出航当初から浮島丸は舞鶴に向かったのか? また、沈没原因は機雷への接触とされているが、日本人乗組員による自爆説を裏づける事実も発見されている。なんのための自爆だったのか?本書は、これらの疑問や謎を解明するために、関係者の証言を集め、当時の史料を発掘して書き上げた渾身のルポである。日本政府は今なお被害者への補償はおろか真相調査すらおこなわず、数多くの遺骨も放置したままだ。事件の真相に迫る本書の果たす役割は大きい。(塚本)


GUNGUNインフォメーション
9月10日(水) 関西GUNGUN原告を囲む集い(18時半 エル大阪)
 2月11日(祝) シンポ「公開された日韓協定!今、請求権協定を考える!」
       13時30分 南部労政会館(JR大崎駅3分)
       パネリスト
         太田修(仏教大学教授)
         李熙子(太平洋戦争被害者補償推進協議会共同代表)ほか
  12〜14日 第7回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議(韓国YMCAホール)
  13日
(日) 李熙子さんが教えるキムチ作り教室
        (10時・14時 大阪ドーンセンター)
  14日
(月) 小泉靖国参拝違憲訴訟控訴審
        (14時 大阪地裁202号)
  16日
(水) GUNGUN裁判第15回口頭弁論
        (11時 東京地裁722号)
  22日
(火) 日鉄釜石裁判控訴審
        (10時30分 東京高裁824号) 
  24日
(木) 名古屋三菱訴訟判決