在韓軍人軍属裁判を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.7 (2001.10.24発行)


STOP戦争法・小泉首相靖国参拝違憲提訴へ

 「テロ防止」に名を借りた戦争、そしてその戦争に自衛隊を参加させる法案の国会通過を私たちは断じて許しません。
 小泉首相は首相就任後の記者会見で次のように語りました。「万が一のとき、命を捨てる覚悟で訓練をしている集団に敬意をもって接する法整備、環境をつくるのが政治の責務だ」と。だからこそ靖国神社への公式参拝を強行したのです。
 そして小泉首相は10月15日に訪韓しました。自らがまいた靖国参拝・教科書問題での関係悪化の修復が目的でしたが、ソウルでは抗議行動が燃え上がり、国会訪問が中止になりました。金大中大統領からは「刺さったとげをぬくことはできない」と言われ、テロ報復についても「平和憲法の枠内で」と釘をさされました。
 再び戦争できる国家体制づくりの前にたちはだかっているのが、こうしたアジア市民の声であり、私たちGUNGUN裁判をはじめとする、歴史総括を求める闘いなのです。
 11月1日、新たなアクションを起こします。GUNGUNの原告も加わって、小泉首相の靖国参拝が違憲であると、大型訴訟を全国の地裁で提訴します。韓日市民が手をしっかり携え、歴史総括の一つとして、戦後補償を実現させましょう。

小泉首相靖国参拝違憲訴訟団を結成!
       GUNGUN原告も参加! 11月1日大阪地裁に提訴
原告・弁護団結団集会 10月31日 18:30 エル大阪(地下鉄天満橋駅)

小泉首相靖国参拝違憲アジア訴訟団事務局 菱木 政晴

 小泉首相は内外の強い反対警告にもかかわらず、八月一三日に違憲な靖国参拝を強行しました。こういうことを決して許してはならないと、『小泉首相靖国参拝違憲アジア訴訟団』を結成し、大阪地裁へ11月1日提訴します。すでに原告募集も終盤に入り、10月12日現在で、330名の委任状が届いています。国籍も年齢も居住地も問わずこの暴挙を許さない全ての皆さんが原告になれます。これから参加しようという方はお急ぎください。
 また、GUNGUN裁判の原告も、靖国に親族が合祀されてしまった方を中心に40名以上がこの裁判にも参加されます。ご協力ありがとうございます。
 訴えの柱は3つです。@基本的には、小泉の参拝によってさまざまな権利を侵害されたことに対する国家賠償訴訟になります。Aまた損害はともかく、小泉参拝の違憲違法性は確実であるから、違憲確認を求めましょう。Bさらに小泉にかぎらず参拝を将来にわたって許さないために、「将来にわたる参拝差し止め」を請求します。
 原告の構成は、国賠訴訟としての方法論からいえば、その中核は「遺族」ということになります。すなわち、靖国に親族が合祀されている遺族(小泉の参拝によって自分の親族を日本軍の侵略賛美に利用され、死者と自分の「名誉」や宗教的人格権を侵害されたもの)です。これは、中曽根の靖国公式参拝に対する大阪訴訟の経験にもとづいています。とはいってもこれまでと同じことをまたやろうというのではありません。遺族といっても、日本人遺族だけでなく在日の「旧植民地軍人軍属」遺族や在韓・在台・在中国などの「旧植民地軍人軍属」遺族もいます。これらの人々と日本の反靖国遺族がともに闘うという構図を考えたいのです。
 さらに、靖国に親族が祀られていない遺族や、遺族でない人々にもさまざまな立場があるのは当然です。日本人、在アジア・在日の人々、そして沖縄のひとびと。戦没者を侵略賛美に利用することに異議を唱えることが主目的です。さまざまな意見を取り入れて、幅広い豊かな闘いを構成したいと思います。よろしくお願いします。

小泉首相靖国参拝違憲アジア訴訟団
(連絡先)大阪市西成区津守1−13−28フリースペースローカル内 
FAX 06−6562−6905  
郵便振替 00980−8−35073 (靖国抗議アジア訴訟団)



●大阪訴訟以外の各地の訴訟
同様の訴訟が東京、千葉、松山、福岡、那覇で準備されています。これら近辺にお住まいの皆さんは、ぜひそこに参加ください。 連絡先は以下のとおりです。
《東京》 日本基督教団 靖国・天皇制情報センター
TEL 03−3205−7363 FAX 03−3207−3918 
     東京SD訴訟の会 FAX 03−3611−6409
《千葉》 植竹法律事務所  FAX 043−222−9738
《松山》 専念寺  FAX 089−932−2993
《福岡》 光照寺  FAX 092−592−9022
《那覇》 中城村バプテスト教会 FAX 098−895−5466

またもや生存者合祀の新たな事実!
 先日、GUNGUNの原告(bR9)の金智坤さんが、靖国神社に合祀されていることが判明しました。前号でお知らせした李淡泰さんのお父さんに引き続き2例目ですが、今回は正真正銘、現在の「生存者」。今、生きている人が「神様」になっているわけです。さらに国・靖国を追及する有効な材料が一つ増えました。

新たな事実戦没船資料館フィールドワーク
 9月23日、私たちは神戸での戦没船フィールドワークに取り組みました。この日の目的は、私たちのGUNGUN原告が関係する戦没船についての調査でした。
 「戦没した船と海員の資料館」は、神戸元町の全日本海員組合関西地方支部のビル2階にあります。「開館から1年、毎日遺族の人が訪れない日は一日もない」そんな研究員・上沢さんの説明を聞いている時にも、広島から一人の女性が父の乗船した船の行くへを求めて、来館されていました。
 資料館の全ての壁に、びっしりと1200枚の戦没船の写真が並んでいます。しかし、こうして船の写真が残っているのは戦没船の3分の1。7200隻もの船が犠牲になって戻ってこなかったのです。そのなかには、一般の漁船もあります。運航中や漁のさなかに、海軍や陸軍から現地調達として、徴用されたのです。家族に連絡するすべもなく、突然海洋に連れ出され、何の武器も持たない漁船とともに運命をともにした人の無念や、帰らない男たちを待つ家族の思いがいかほどのものだったか・・・・・。
 私たちの原告の無念、遺族の悲しみと重なります。
 上沢さんの協力を得て、原告の関係する戦没船を探し始めると・・・「あったー!」・・・座っているすぐ後ろの壁に「辰武丸」の額縁が。原告bP42 張学順さんの父、張在珞さんが乗っていたという船が、何とすぐに目に飛び込んできました。1943年5月10日トラック島付近で米軍の魚雷で撃沈。陳述書に書かれている内容が、その額の絵の中に書かれていたのです。
 次いで、戦没者(韓国朝鮮人)の名簿の中に、原告bP50 金金洙さんの父、金福童さんを探し当てました。日本名「朝本福重」とあり、「童」と「重」のちがいはあっても、生年月日、出身地から間違いないと判断できました。船は「第七快進丸」。沈没したのは山口県とある。「ああ関門海峡ですね。米軍は関門海峡に約五千もの機雷を敷設して海峡封鎖しましたからね」と上沢さんが教えてくれる。1945年、6月27日に沈没、船員24名が戦死とある。金福童さんは機関部の軍属乗務員として記録が残っていたのです。しかし遺族の金金洙さんは、お父さんの戦死については何も知らされておらず、死亡通知も受け取っていません。なんと理不尽なことか。
 「海を再び戦場にしてはいけない」と誓う上沢さんたちの長い間の努力で、この日ひとつの真相が明らかになったけれど、私たちの国は、真相究明に何の努力もせず、放置したままなのです。
 上沢さんは語ってくれました。「海軍はまだ徴用する際に契約を交わしていますが、陸軍は漁船を沖でそのまま徴用し、手続きなど無視したのです。だから徴用された小さい漁船や乗組員などについては、一切不明のものも多いのです。」・・・そう。陸軍の発想は「現地調達」だったのです。侵略した先で焼き尽くし、奪いつくした、あの軍の同じやり方で民間船も徴用していたのです。
 私たちの役割は、上沢さんたちのような活動をされている方たちと結びつき、真実を明らかにしていくことだと強く感じました。
 この日午後からは、GUNGUN呼びかけ人代表の飛田雄一さんとともに、「神戸港における中国人朝鮮人の強制連行を調査する会」のフィールドワークと合流、神戸港や川崎重工・三菱重工に関連した強制連行のあとをたどりました。
 暑い暑い日でしたけれど、支援する会の役割を胸に刻んだ有意義な日でした。



平和の意志

(石)を持ち寄って、韓国に供養塔をつくろう!
石を持ってまつりに集まろう!
前号でもお知らせした、韓国春川にあるボランティアツアーの企画が膨らみました。日韓の石で供養塔づくりを行い、親善サッカー大会も開催します。ワールドカップ日韓共同開催に向けた「市民外交」で、日韓の「未来への架け橋」をつくる一歩にしたいと考えています。ぜひ一緒に行きましょう! ツアーに参加できない方は、石とカンパでご協力願います。

●携帯電話の半分程度の小石にメッセージを書いて
(東京)10月28日 亀戸中央公園
(大阪)11月 4日 大阪扇町公園
で行われる「団結まつり」のGUNGUNブースにお持ちください。


●供養塔づくり資金カンパは下記郵便口座までお願いします。
00930−7−64674「在韓軍人軍属裁判を支援する会」


私も参加します!(本田都南夫さん)
 私は、このたびのGUNGUNボランティアツアーに参加する本田といいます。
 私は1942年2月13日の生れです。その3日後の16日に大日本帝国陸軍によってシンガポールが陥落し、東京では街中に提灯行列ができたそうです。私の親父も調子に乗って、あろうことか私の名前を「都南夫」などとつけました。シンガポールは東京の南にあたるから、というわけです。小さい頃は嫌で嫌でたまらない名前でしたが、成長してからは「大日本帝国による聖戦」を署名するたびに、思い出すのでなかなかいい名前だと思うようになりました。因みに、調子に乗ったのは提灯行列をした人々や私の親父などよりむしろ、「昭和天皇裕仁」だったようです。「陛下にはシンガポールの陥落を聴し召された天機殊のほか麗しく、次々に赫々たる戦果の挙がるについても、木戸には度々云う様だけれど、全く最初に慎重に十分研究したからだとつくづく思ふとの仰せあり。」と側近・木戸幸一の日記に書かれています。このことからも「昭和天皇裕仁」は確信犯だったいわざるをえません。皆さんがんばりましょう!

GUNGUN原告を知ってねコーナー

戦後の戦死で通知なく補償はされず、でも合祀済のゴム印
《原告bP02》 李洛鎮(イ・ナンジン)さん

 父の李福圭(イ・ボッギュ)さんは1944年の春に徴兵時、国民学校の先生をしていた。徴用後フイリピンに移ったようで、「暑いところで勤務している」「スコールがある」という内容の手紙が2通届いた。45年9月20日に、フィリピン・ミンダナオ島のランカシャンで戦死。韓国の75年の補償法適用を受けることはできず、補償はされませんでした。その理由は、戦死時期が45年9月20日で8月15日以降であったため。99年12月に厚生省から正式に戦死の確認書が届くまで戸籍の整理はしていませんでした。戦死通知はなく、遺骨も当然のことながら戻っていません。提訴後の調査で靖国に合祀されていることが判明しました。

8月のNTVニュース「今日のできごと」で紹介・学徒出陣の兄が合祀されている
《原告bP88》 林孝順(イム・ヒョウスン)さん

 兄の林龍澤(イム・ヨンテク)さんは1940年ごろ志願し軍隊に入隊。兄は当時、国策映画で「君と僕」という志願を促す映画に出演。戦場に行くと手紙が来た後、連絡も来ず、何の消息もない。同じ部隊に勤務していた人から、南洋群島に行く途中で船が爆撃されて破船し、死亡したと推測できるが、詳しい事は分らないと聞いた。母は病気になり亡くなり、2年後に父も精神的打撃を受けて亡くなった。死亡通知書は来なかった。
91年に内海愛子さんに会い、兄が映画に出演した写真を見せた。その後、厚生省から兄の死亡通知書を受取った。兄は陸軍軍人で歩兵75連隊に服務、45年1月9日に台湾で死亡したと記録。「靖国に合祀されていることは兄も望まないと思う。」

読書案内 

 今「靖国」を問う
 かもがわブックレット137 平和を願い戦争に反対する戦没者遺族の会編 571円+税

 今夏、小泉首相は、国内外の批判にもかかわらず「靖国神社」参拝を強行した。「遺族の心情」や「戦没者追悼の純粋な気持ち」を強調する小泉首相の言動に危機を感じ、本書が平和遺族会から緊急出版された。戦没者を「英霊」とたたえることで、もう一度国民を戦争にかりたてる、そんな道具に「戦没者」を利用するなという「遺族」の思い。靖国の正体と、歴史、「靖国」と政教分離にかかわる住民訴訟の経過を簡明に記している。

GUNGUNインフォメーション

10月27日 東京・「どこにいくの日本!ともに生きるアジアを考えよう」(13:00荒川区旧真土小学校)
   28日 東京・団結まつり(10:00亀戸中央公園GUNGUNブースで石集め)
   31日 大阪・靖国違憲訴訟結団集会(18:30エル大阪 1日:大阪地裁)
11月 4日 大阪・団結まつり(10:00扇町公園GUNGUNブースで石集め)
    9日〜12日 韓国・ボランティアツアー
   11日 大阪・「新世紀のアジアを語る集い:私たちはこう見る!」(詳細未定)
   15日 東京・グングン連続講座パートU第1回「靖国合祀の歴史と問題」(仮題)
          講師:今村嗣夫弁護士(18:30シニアワーク東京第1セミナー室)