在韓軍人軍属裁判を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.25 (2004.3.14発行)

内閣府で未払い給与の
返還を求める金福漢さん
(2月18日)

   

憲法判断を避けた小泉靖国参拝違憲訴訟判決
アジアの被害者は戦争への動きを許さない

 2月27日、大阪地裁において小泉首相靖国参拝違憲アジア訴訟の判決がありました。判決では、参拝を「内閣総理大臣の資格で行われた」と指摘し、首相の職務としての公的参拝との見方を示しました。しかし憲法判断には踏み込まず、「原告らの信教や良心の自由は侵害されていない」として、請求を棄却・却下しました。在韓原告は戦後、生死確認すら放置され、一方で靖国合祀の手続きだけはなされたのです。「血が逆流するほどの屈辱」(李煕子さん)を受けた人が首相の参拝によって傷口に塩を塗られたわけで、「人格権の侵害(被侵害利益)はない」とする今回の判決を認めるわけにはいきません。ましてや判決後、小泉首相の「お互い立場を尊重する姿勢が大切。靖国神社には毎年参拝する」発言など、もってのほかです。韓国マスコミは一斉に反発。盧武鉉大統領も3・1独立運動記念式典で、「韓国の国民を傷つける発言を日本の国家的指導者がすべきではない」と強調しました。
 韓国では、2月13日「日帝強占下強制動員被害真相糾明等に関する特別法案」が通過しました。靖国合祀など戦後処理を含め、戦争被害を確定し、総括することは、次の戦争への抑止力になります。日韓市民の連携をより一層強めて、戦争犯罪と戦後処理の違法性を追及し、GUNGUN裁判を勝利させましょう!

次回第12回口頭審理は4月14日(水)13時東京地裁710号法廷です。

第11回口頭弁論報告
金福漢(キム・ボハン)さんが来日・意見陳述
無謀な作戦による安全配慮義務違反を書面で立証

 2月18日、第11回口頭弁論が行われました。法廷では、GUNGUN側が「安全配慮義務に関する準備書面」と、遺骨返還に関する13点の資料を書証として提出しました。準備書面では、戦況の悪化にも関わらず無謀な作戦を続行して無駄な戦死を強いたことを立証。今後安全配慮義務違反として追及していきます。書証は、遺骨問題に関する新聞記事と厚生労働省のホームページで構成。韓国の篤志家が韓国内の世論を敵にしながらも日本人の遺骨を保管し返還した記事。HPは現在も日本人に対しては手厚い遺骨収集作業を続け、DNA鑑定までしている事実を裏付けています。
 そして最後に、金福漢さんが意見陳述を行いました。1945年という戦争末期に徴兵によって中国戦線に送り込まれた金さん。飢えや空襲を生き延びましたが、戦後未払い賃金が供託され、軍事郵便貯金が放置されていることを知ったのは、2000年に入ってからのこと。戦後処理の理不尽さを切々と訴えました。
 次回(第12回)は、4月14日(水)13時10分開始です。法律144号が憲法に違反していることを立証する学者の鑑定意見書を提出する予定です。また次々回より本格的な証拠調べ(証人尋問)に入っていきます。ぜひ傍聴参加をお願いします。
 

金福漢さんの言葉
「大勢の人に裁判支援いただき、ありがとうございます。1番訴えたかったのは未払い金や貯金のこと。個人の財産を国家間で決めるのはよくない。韓国政府も良くないと思う。」

内閣府に要請

 
証拠を手に内閣府で要請する金福漢さん  

 口頭弁論の前に内閣府に要請を行い、「裁判で原告が問題にしている点は、全て戦後現在の憲法下で日本が行った戦後処理である。日韓協定で解決済みというが、協定を結ぶ前に未払い金を返そうと努力したことがあったのか?原告が生きているうちに解決を」「韓国内で先日、日韓条約時の文書について公開を命じる判決があった。こういう未払い金の存在を隠して経済協力で決着した舞台裏が明らかにされる。かつて外務事務次官をつとめた須之部量三氏が「日韓条約は財政的に苦しい、十分に補償できない時に結んだ条約であって、補償が可能になった今、もう一度きちんと補償する議論も必要だ」と言っている。(別掲)解決済みなどとんでもない」と要請 。内閣府の担当者は要請の内容を伝えると約束しました。


 

須之部量三(外務事務次官)氏の発言(『外交フォーラム』1992年2月号)
「一連の戦後処理を考えると、日本の経済力が本当に復興する以前のことで、どうしても日本の負担を"値切る"ことに重点がかかっていた。今となって見ると、条約的・法的にはたしかに済んだけれども、何か釈然としない。不満が残ってしまう」

 

 

金福漢さんの示した資料に
見入る内閣府担当者

 

金福漢さんの資料から「読み取る」
・「特金第5号」:1951年のサンフランシスコ条約締結を踏まえて、GHQが未払い給与の供託を指示。政令22号に基づいて軍人軍属の債務を供託。「特」は政令22号に基づくという意味と思われる。
・「昭和20年12月30日現地召集解除」:金さんの話では8月15日以降は連合国(米)軍の管理下にあったはずなので、日本軍による給与の支給計算解除を12月にしたという意味と推察される。
・「権利は消滅することとなっています」:「消滅しています」と言わずに、責任を回避する言い方であり、郵政事業庁としての後ろめたさの表れ。

無謀な作戦・中国戦線とは?(藤原彰著『餓死した英霊たち』より)
そしてその中に投入された金福漢さん

 軍医だった長尾中佐の著書『戦争と栄養』によれば、「華中大作戦」の「SK作戦」は「1号作戦」と名づけられた湘桂作戦、いわゆる大陸打通(縦断)作戦で、「酷熱多湿なるうえ敵機の跳梁、道路の破壊等により補給は予定の如く行われず、敵味方の大軍により現地物資は消費し尽くされ、将兵の疲労言語に絶するものがあった」とし、44年5月から11月までの6ヶ月で戦死1万2千、戦傷2万2千に対し、戦病6万7千を出し、戦病による死亡率は著しく高かったとされる。230万人軍人軍属戦死者の2割にあたる45万人が中国戦線で死亡しているが、その大半は戦死ではなく、飢餓や栄養失調によって赤痢、マラリア等の伝染病になって死に至った「戦病死」だったのである。
 「1号作戦」とは、黄河を渡り京漢線を打通し信陽まで400キロ、さらに湘桂線を打通して仏印(ベトナム)まで1400キロに及ぶ長大な区間に16個師団、50万の大軍を動かした、日本陸軍始まって以来の大作戦であった。しかしこの作戦は「兵站」「補給」を軽視した、重大な欠陥作戦であった。その結果が上記の戦病死を生み、「現地徴発」によって南京大虐殺や多くの中国人民への殺戮が引き起こしたのである。
 太平洋方面の戦局が危機的状況に陥っている段階で、これだけの莫大な兵力と軍事物資、そして犠牲を払った作戦目的は二転三転している。当初は中国軍に徹底的打撃を与え、本拠地重慶を攻略すること、中国大陸を縦断し海上交通に代わってシンガポールに至る陸路連絡を確保すること、中国奥地にある米軍基地を占領して空襲の危険を避けることなどが挙げられていたが、最終的には最後の目的一点に絞られた。特に44年6月のサイパン陥落以降は、太平洋地域に米軍基地が整備され、作戦の意義は完全に失われた。しかし陸軍はそれ以降も湘桂作戦を中止しなかったのである。

 金福漢さんの徴用は45年1月という戦争末期。連れて行かれた新郷、開封は、1号作戦の当初の目標である北京と信陽の中間地点にあたる。金さんの話によれば部隊約90人の9割が朝鮮人だったという。消耗戦だった中国戦線の補充に朝鮮人が充てられたのである。給与は一切なく、軍事郵便貯金に回された。タバコの支給はあったので、現金化し、週に一度の外出の際に使った。新郷近くにある朝鮮人の家でご馳走になったこともある。8月15日の解放後は連合国軍の指揮下に入り、日本兵とは別に収容された。
 2000年代に入ってから日本政府(厚生省・郵政事業庁)への照会をし、その回答で初めて未払い給与354円が52年に供託され、460円50銭の軍事郵便貯金がそのまま保管されていることを知った。しかしいずれも「日韓請求権協定」と国内法により権利が消滅したという。

韓国で二つの大きな前進

強制動員真相究明法が韓国国会で成立

 2月13日、韓国国会で「日帝強占下強制動員被害真相糾明等に関する特別法案」が通過しました。本来こうした法律は加害国である日本が先に成立させるべきものでした。成立までに2年半近くかかり、いくつかの修正はあったものの、過去の植民地支配を検証する法律が通過した意義は計り知れません。この法案通過は、GUNGUN原告団体である「太平洋戦争韓国人犠牲者遺族会」と「太平洋戦争被害者補償推進協議会」の並々ならぬ尽力の結果です。戦後韓国社会の中で、元軍人軍属や強制連行被害者は「日帝の協力者」というレッテルを貼られ、不条理な扱いを受けることがありました。戦後60年を経て、「戦争被害者が生きている間に」という機運のもと、被害者の名誉回復とともに、戦争被害の真実が明らかにされるのです。

ソウル裁判所が日韓条約時の文書公開を命じる判決!

 また同じ2月13日、ソウル行政裁判所は、植民地支配時の被害者99人が「韓日協定に関する57の条文を公開せよ」と韓国政府を相手に起こした訴訟で、「原告53人に対し、損害賠償請求権に関する5つの条文を公開するように」と一部勝訴判決を出しました。公開対象は、1次(52年)〜6次(63年)韓日会談のうち、請求権に関する部分を整理したものと、その後開催された6次・7次韓日会談のうち請求権に関する資料。「原告が、日本と日本企業を相手に損害賠償訴訟を起こして以来、日本側は韓日協定の請求権協定2条などを根拠に『請求権が消滅した』と主張している」「従って、原告の立場から、果たして日本側の主張が正しいかどうかを判断するためには、請求権協定の合意過程と内容を検討する必要がある」と判決を下したのです。これが最高裁で確定すれば、39年目にして、韓日協定締結の過程が盛り込まれた文書が部分的に公開されることになります。この判決前から日本政府は韓国政府に対して「公開しないよう」圧力をかけています。この会談の内容を公になると、未払い金などの資料を隠蔽し、経済協力方式をごり押しして、補償を値切った日本政府の悪辣さが明らかになるからです。

 この二つの韓国内での動きは、戦後補償実現の壁を突破する可能性を秘めているだけでなく、今、戦争に向かおうとしている日本政府への抑止力としても働きます。日韓市民の連携で必ず過去の清算と、歴史認識の共有、そして東アジアの平和を創り出しましょう!

李煕子さんが教えるキムチ作り講習会

 

 1月31日、2月1日、大阪と東京で2005年キャンペーン新年企画「李煕子さんが教えるキムチ作り講習会」を開催しました。両日とも、李煕子さんファン、キムチファン、韓国ファンの70名が参加し大盛況でした。終了後も近所のおばちゃんからも「今度はぜひ参加するからね」と予約が入っています。李煕子さんが望む、女性原告と日本の支援女性の連帯をつくっていくためにも、もっともっといろんな方に参加してもらえる楽しい企画を考えていきたいと思います。ここでは大阪会場に参加された久米さんの感想を紹介させていただきます。(木村)  
 


感想
久米 悠子さん
(真宗大谷派僧侶)

 

 キムチ講座のおさそいを受けて、イ・ヒジャさんに会いたいなぁという思いと「キムチのお土産」付きに惹かれて参加しました。会場の階につくなり、キムチの匂いが迎えてくれました。会場の調理室に入ると、すでに10人くらいの人たちがいて、試食を勧めてくれました。キムチのようなものを白菜に巻いての試食です。これが、実はキムチの薬味(ヤ ンミョン)で、実においしいのです。黒板にはレシピがあり、白菜、大根、にんにく、にんじん、わけぎ、唐辛子、しょうが、カッ(高菜?)。材料の説明、確認、そして、カッと発音の練習。前日スタッフが準備した白菜塩漬けの説明、ヒジャさんの実演の後、それぞれ白菜の一枚一枚に薬味をはさみます。まるで白菜のクレープです。まずは自分のお土産用。大きな株にたっぷりの薬味を入れています。最後は薬味がなくなり、ヒジャさんが特別に、大根と白菜の即席のキムチを作ってくれました。流し台の洗い場に、角切りにした大根と白菜、にんじんやにんにくなどを入れ、唐辛子をたっぷり混ぜ込み、4人くらいで混ぜ合わせます。塩、いわしの魚しょうを入れ、さらに混ぜ合わせます。その後は炊き立てのごはんにキムチの試食。試食用には牡蠣を加えて。自分たちで作ったキムチの美味しさ。「スーパーで買うキムチと違うねっ」とワイワイ言いながらの試食会。

 

 そのあと、ヒジャさんのお父さんのお話しを聞きました。日本軍に徴用され、中国戦線で亡くなりましたが、ヒジャさんたち遺族には何も知らされていなくて、裁判にかかわるようになって、初めて靖国神社に祀られている事がわかったのだそうです。日本が行った戦争について、なかなか関心をもとうとしませんが、今回のように、キムチ講座に参加することによって、日本の戦争責任にふれることができ、だれにでも気軽に参加し、そこでの出会いがあるこの企画は、とてもいい企画だと思います。今回は、20人くらいの参加がありましたが、私と同じように、グングンの証言を記録に残すツアーに参加した人、グングンの裁判にボランティアで関わっている人、ハングル講座の参加者とさまざまな方と一緒にキムチを作り、おしゃべりしながら、そしてヒジャさんの証言を聞く、とてもステキな出会いでした。今回は大阪と東京の二ヵ所での講習でしたが、次回はぜひ京都でも開催してほしいと思います。「おばちゃんは好奇心が旺盛で、どこでもしゃべるから歓迎します」とハンセン病回復者のことばです。おばちゃんを集めますのでぜひ京都での開催を企画してください。もう、お土産のキムチがなくなりました。また、おいしいキムチが食べたーイ。

大阪城公園周辺歴史ウォーク「軍都大阪の裏面史を歩く」
4月3日(土) 14時〜16時(集合:JR森之宮駅改札付近)
講師:宮木謙吉さん
<全朝協(考える会)大阪事務局長・大阪市外教フィールドワークの責任者として日本と朝鮮・韓国の関係を残す史跡を調査、研究されています。>

 朝鮮侵略した豊臣秀吉の築いた大阪城は、太平洋戦争中はその北と東側一帯が東洋一の兵器工場として使われました。春の一日、大阪城の歴史を正しく学びましょう!  親子連れ大歓迎です。フィールドワーク終了後は、お楽しみのコリアンタウン探検隊! 講師おすすめの「キムチの穴」(鶴橋)へ行きます。(大幸)

@ JR森之宮駅集合(14時)→A鵲森之宮神社→B(森之宮遺跡・ピロティホール展示室)→C「巽門」址・「貨物積卸場」址→D「第二旋盤工場」址(噴水広場〜市民の森)→E「第一鋳造所」址(記念樹の森)→F「砲兵工廠跡」石碑(大阪城ホール南側・1959年廠友会建立)→G大阪城 置口→H「砲兵工廠本部址」→I新鴫野橋(1976年)→J第二寝屋川・平野川→K鴫野端案内板→L砲兵工廠石造アーチ荷揚門→M「旧弁天橋址」→N大阪城新橋(1983年)→O大阪ビジネスパーク界隈→P弁天橋(1992年竣工)→Q「断梁射架(射撃場)」址→「城東線・環状線」ガード下→R旧「アパッチ部落」エリア・「水道管」址・車両工場遠望→JR大阪城公園駅解散

 

小泉首相靖国参拝違憲アジア訴訟団声明(2004年2月27日)
 2月27日、大阪地裁は、2001年8月の小泉首相による靖国参拝が、憲法20条3項に言う「国の機関」としての公的な参拝であるという事実を認定した。20条3項は、国及びその機関による宗教活動を禁止する条文であるから、これは、参拝が違憲であると判断したと考えうるものであり、その点で評価できる判決である。私たちは、さらに明快な判断を求めるために控訴する方針であるが、「違憲である」と認定したに等しい判断が司法によってなされたのであるから、小泉首相はこの判断を尊重し、直ちに参拝を中止しなければならない。小泉首相や今後の首相が二度と靖国参拝をしないことを強く要求する。
 

 読書案内
  『餓死(うえじに)した英霊たち』
    
藤原 彰著  青木書店 2500円+税

 2月に来日した原告・金福漢さんが陳述された中国戦線においては、戦没者の半数にあたる22万7800名が、戦死ではなく飢餓や栄養失調に起因するマラリア・赤痢・脚気などによる病死でした。第二次世界大戦で戦没した230万人の軍人・軍属の大部分が、戦闘による「名誉の戦死」ではなく、「餓え死に」だったのです。日本軍は世界でも稀有な特質をもった軍隊であり、補給と兵站を軽視した無謀な作戦、白兵戦を優先した精神主義、降伏の禁止など、兵士の命はまったく尊重されていませんでした。無残な死を招いた責任は重大であり、グングン裁判で安全配慮義務違反として追及します。有力な史料を提供している本書をぜひ一読してください。(塚本)                 


GUNGUNインフォメーション
9月10日(水) 関西GUNGUN原告を囲む集い(18時半 エル大阪)
 3月17日(水)  「韓国人は日本をどう見ているのか」柳在順さん(ジャーナリスト)講演
        18時 シニアワーク東京・第5セミナー室
   20日
(日)  World Peace Now世界の人々とともに 12時30分 日比谷公園野外音楽堂
        国際行動大阪集会 13時 扇町公園
 4月 3日
(土)  大阪城歴史ウォーク「軍都大阪の裏面史を歩く」14時JR森之宮駅改札集合
     13日
(火)  GUNGUN原告を囲むつどい 19時 エルおおさか
     14日
(水)  GUNGUN第12回口頭弁論 13時10分 東京地裁710号
     23日
(金)   日鉄第1次供託金裁判 13時30分 東京地裁606号