在韓軍人軍属裁判を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.24 (2004.1.17発行)

横浜空襲でのやけどの
あとを見せる黄圭鐸さん
(2003年12月17日)

   

自衛隊派兵と小泉首相の靖国参拝を許さない!

 2004年は、めでたい気分を打ち砕く小泉首相による4度目の靖国神社参拝で幕を開けました。私たちが提訴した年、2001年8月の靖国参拝を機にGUNGUN原告を含め全国6ヶ所で違憲訴訟が起きましたが、その声を全く無視した行動に怒りを禁じ得ません。小泉首相は「伝統と文化」を理由にあげますが、創建してたかが130年の神社に何の伝統があるのか? この参拝が、自衛隊のイラク派兵と軌を一にするのは言うまでもありません。侵略戦争で靖国が果たした役割は、戦争で死んだ者を「神」に祭り上げて顕彰し、残った人に「あとに続け」と教育するシステムです。支配層が狙っているもの、それはグローバル経済下での現代版侵略を守る「自衛隊」出動と、犠牲があっても市民の怒りを抑え、新たな犠牲を恐れない「靖国システム」の再構築です。当然、韓国・中国政府からは非難の声があがり、GUNGUNの原告団体である、太平洋戦争被害者補償推進協議会は小泉首相を厳しく糾弾する声明を発しました。
 2004年、日本が新たな侵略に向かう中で、過去の戦争をきちんと反省し、被害者への補償を勝ち取るためのGUNGUN裁判の役割はますます重要になります。引き続きご支援ください。 

次回第11回口頭審理は2月18日(水)16時東京地裁710号法廷です。
(時間が今までと違いますのでご注意ください!)

GUNGUNの原告団体である太平洋戦争被害者補償推進協議会の声明(要旨)
小泉日本総理の靖国神社奇襲参拝を強く糾弾する

 2004年1月1日、小泉純一郎日本総理が靖国神社を公式参拝したことによって、またもやアジアの被害者たちの心に刃を突き刺した行動に対し、深い失望と憂慮を禁じえない。

 

太平洋戦争被害者補償推進協議会
李熙子さん

 

 我々は、小泉日本総理が「日本の平和と繁栄が戦争の時代に命を捧げた尊い犠牲の上に成り立っている」という名目で靖国神社を参拝した行動に対し、そのような行動が日本の平和と繁栄のためにも、アジアの平和と安寧のためにも決して望ましい行動ではない点を明白にしたい。小泉日本総理は靖国神社を参拝するたびに「平和」を振りかざしながら、日本国憲法を蹂躙して自衛隊の海外派兵を公式化し、日本人拉致問題をもちだして反北朝鮮感情を助長して数万の在日同胞たちに対する嫌悪感情をあおり、2005年に平和憲法の改正を通して軍国主義日本の復活を画策するなど平和に反する行動を露わにしている。そしてまた、わが国韓国政府は「未来志向的な韓日関係」だけを主張して、過去の植民地支配の不当性と強制動員被害の真実究明に対しては極めて消極的な姿勢を堅持してきた。不幸な過去を踏まえ未来志向的な韓日関係を構築するためにも、日本の自覚を呼び覚ますための措置が続かねばならず、それは「日帝強占下強制動員被害真相究明等に関する特別法」の速やかな立法を通して、過去の克服のためのわが国民の熱望を示してやることである。

 日に日に歴史を忘却して右傾化の方向に走っている日本社会に正しい歴史認識を確立するために、我々がどんな役割を果たすかを自覚できる機会を迎えることを願ってやまない。

2004年1月2日 太平洋戦争被害者補償推進協議会
 

  韓国人シベリア者問題が法廷に! 一次・二次提訴併合を決定!

横浜大空襲で大火傷を負った黄圭鐸氏が意見陳述!

 年の瀬も押しつまった12月17日、10回目の口頭弁論が開催されました。韓国から原告・黄圭鐸(ファン・キュタク)さんが来日し、法廷で意見陳述を行いました。
 この口頭弁論は、一次提訴と二次提訴の併合後初めての法廷であり、靖国合祀問題での書証の提出など重要な口頭弁論となりました。

靖国合祀で政府関与を示す書証を提出!

 第10回口頭弁論では、原告より国家無答責に関わる書証とともに、靖国合祀への直接的な政府関与を示す書証を提出しました。旧陸軍の部隊留守名簿には「合祀済」という印が押されており、旧海軍の身上調査票には「靖国神社/34・7・31/合祀手続済」という丸印と欄外に「34年10月17日靖国神社合祀済」という記載がなされています。これは、日本政府から韓国政府に引渡された資料の中から、原告らの請求によって韓国にある政府記録保存所で交付されたものです。この名簿は、「合祀手続済」「合祀済」とされた1959年(昭和34年)当時、日本政府が所有しており、1956年に厚生省が出した「靖国神社への合祀協力」通知を踏まえて行われた大量合祀に日本政府が直接関与していたことをはっきりと示すものです。
 
今なお、空襲の恐怖が残っている!

 

黄圭鐸さん

 

 黄圭鐸さんは、徴用前に10代で日本に渡り、広島に住み、仕事をしながら夜間学校に通い、自動車の運転免許も取りました。1943年陸軍の運転手募集に応募して軍属として採用され、満州に配属。満州ではソ満国境で陣地構築作業に従事し、続いて44年には八丈島で、45年2月には横浜に移動させられ同じく陣地構築作業に従事させられました。この横浜で、横浜大空襲に会い、大火傷を負いました。幸い病院に収容され治療を受けたものの今なお、その癒されぬ傷は心深く残っています。「日本人と同じ」と言いながら戦争に引っ張り出し、戦争が終わると「日本人ではないから」と何もしない、未払い賃金さえ支払わないのは非道だ、と訴えます。

二次提訴を一次提訴に併合!

 今口頭弁論では、他にも政府の主張する国家無答責論を「現行憲法及び裁判所法の下においては『国家無答責の法理』に正当性ないし合理性は見出しがたい」とする東京高裁判決を書証として提出しました。そして、原告側より申請していたシベリア抑留生存者原告30名を含む二次提訴の一次提訴への併合が決定されました。
 グングン裁判は、いよいよ、遺骨返還、死亡結果未通知、未払い金の返還という最も基本的な問題を基礎に、靖国合祀問題、韓国人のシベリア抑留問題という戦後起こされた問題を焦点化してきています。次回、次々回の口頭弁論期日も決まっています。是非、可能な限りのご支援をお願いします!

第11回口頭弁論 2月18日(水)16時 東京地裁710号法廷
第12回口頭弁論 4月14日(水)13時 東京地裁710号法廷

※関西ではそれぞれ前日の19時にエルおおさかで原告との交流会を行います。

日本版「記憶・責任・未来」2005キャンペーンを開始!
 1905年、乙巳保護条約(第二次日韓協約)によって朝鮮統監府がソウルに設置されました。2005年は、その植民地支配の始まりから100年目、そして解放(終戦)から60年、日韓条約から40年という節目にあたります。今、日韓市民が共同でその節目に向けて、日本政府に過去の清算を迫っていこうという動きがあります。GUNGUNでも2005年キャンペーンを開始しました。
 

乙巳(ウルサ)保護条約とは?

 乙巳(ウルサ)保護条約とは、1905年、日本が韓国から「独立国」としての地位を、実質的に奪ってしまった条約である。乙巳(ウルサ)とは、1905の干支からつけられた名。

 日露戦争開戦直後(1904年)、日本は韓国政府に国内での日本軍の自由行動を認めさせ<日韓議定書>、翌年4月、韓国政府に日本人の外交・財政の顧問を置くことを押しつける<第一次日韓協約> 。 それに続く1905年11月結ばれたこの乙巳(ウルサ)条約では、韓国の外交権を完全に奪い、「統監」と名乗る日本人の管理下に韓国政府を置いた。この条約を結ぶために全権大使として乗り込んだのが伊藤博文であり、彼は韓国側決定権を持つ大臣を多数の憲兵を引き連れて脅し、強引に承諾させた。この条約に賛成した8人中5人の大臣は、「乙巳五賊」とよばれ、韓国民衆から避難をあびる。乙巳条約以降、日本政府の代表として統監府が置かれ、これが外交だけでなく内政全般も握る。初代統監には、「功労者」伊藤博文が任命される。日本の横暴に対して、韓国内ではさまざまな抵抗の動きは起こるが、1907年皇帝が退位させられ、第三次日韓協約で支配は強化され、1910年8月、「韓国皇帝陛下は・・・一切の統治権を・・・日本国皇帝陛下に譲与」<日韓併合条約>という形で、韓国は地図の上から消され、完全に日本の領土に組み入れられた。

金慶海さんを交えてキャンペーンをスタート!
 

 

講演する金慶海さん

 

 GUNGUNの2005年キャンペーンは、金慶海(キム・ギョンヘ)さんの講演でスタートを切りました。金慶海さんの活動拠点である「兵庫朝鮮関係研究会」は、在日コリア1世の足跡を調査しようと結成。戦時中の鉱山や神戸港での朝鮮人強制連行問題などを中心に研究“事実を残す”ための活動をされてきました。

 講演では、「コリア&ジャパン未来に向けて・今」というテーマで、“神戸第一警備大隊洞窟の(ニ)地点について”という研究を題材に丁寧な報告がされました。米国戦略爆撃調査団報告書の略図から調査が始まり、現地を訪ね、周辺の方の証言を拾い、神戸では初めての地下軍事施設を確認できたそうです。このことが「神戸新聞」で報道されるや“弾丸列車を走らせる試掘坑跡だ”という証言があり、再調査を始めるという話の展開に、ついつい身を乗り出して聞き入りました。結局、第二次大戦の戦況に応じ、弾丸道路⇒地下軍需工場軍施設⇒防空壕などに次々と転用され、最後は本土決戦の「警備大隊」(ゲリラ戦部隊)の司令部基地が構想されていたのです。わずか300人程が30発までの弾薬のみで武装(銃は全員分なし)後は住民を巻き込んでゲリラ戦が予定されていたといいます。

 

聞く人を思わず引き込む説明

 

 私は神戸空襲については、母親から何度も聞いていました。六甲山へ逃げたこと、防空壕があって助かったが満員で入れなかった人が焼死したこと等など。もし神戸が地上戦の戦場になっていたらと思うと、沖縄の悲惨な状況が重なり背筋の寒くなる思いがしました。そしてこの地下壕もまた朝鮮から強制連行された多くの人々によって工事が行われたことが、当時工事を請け負った熊谷組の社史で明らかになったそうですが、具体的なことは解っていません。

 「GUNGUN原告の中に知っている人がいないか調べて欲しい」といわれました。地道に強制連行の事実を足元から解明されていることに感銘を受けました。しかしまだまだ明らかにされない事も多く、GUNGUN原告から証言を丁寧に聞き取り、事実を明らかにすることの大切さを感じました。「あなた達の活動に期待しています。」という言葉を胸に力を尽くしていきたいと思います。(木村)
 

2005年キャンペーン特別企画
李煕子さんが教えるキムチづくり講習会

関西:1月31日(土)10時と14時 大阪ドーンセンター料理室
関東:2月 1日(日)13時      新宿若松地域センター(地下鉄大江戸線若松河田駅)



キムチ作り広島リサーチツアー報告
            リサーチのため、いざ尾道へ・・・

 
   

 昨年11月の韓国ツアーの春川で、金景錫夫人、洪さんのお世話でキムチ作りを体験しました。「私が教えるからキムチ講習会を開催したら」という李熙子さんの助言のもと、贅沢な催しが実現しました。李熙子さんは毎年、広島に交流・学習会に行かれた時にキムチ作りも地域の方と取り組まれており、今回の催しの下見として、GUNGUN関西・関東から2名が広島・尾道までリサーチに行ってきました。
 尾道では、「戦後補償ではじまる国際連帯」の集いとして、シンポジウム・「アジアの平和と女性」の後、キムチ講習会が企画されていました。シンポジウム、交流会は女性の立場から人権・平和等の問題提起があり非常に有意義なものでした。キムチ作りについては、「下ごしらえ」から手伝わせていただき韓国の春川では体験できなかったキムチ作りの「奥深さ」を、身をもって知ることができました。
 尾道には、戦後補償運動で活躍されている福留さんが、通訳のため福岡から来ておられていました。福留さんは関東の御園生さんの高校時代の同級生とわかり、うち解けて交流できました。催しの中心の花岡さんをはじめとして、参加されている女性がたいへん元気でした。特に、今、厳しい状況にある広島県教組の方々が、たいへん明るかったのが印象的でした。尾道の地域では、地道に韓国の元「慰安婦」の方や戦争被害者との交流を10年以上も続けられているという話を聞いて、「継続は力なり」、改めて考えさせられました。尾道は、風光明媚、歴史的な趣のある街で、今度はゆっくり見物したいと思います。(大釜)
 

キムチ作りレシピ・メモ

 
   

材 料:白菜と具が大根、高菜、わけぎ、ねぎ、長ネギ、セリを全て千切りに。
香辛料:トウガラシ、ニンニク、しょうが→粉に。アミ塩漬け、魚しょう、新生粉(もちごめの粉)、塩
下ごしらえ:白菜を前日、塩水につけておく→1個につき150g 白菜は葉の厚い物。塩は、韓国製の方がミネラルが含まれ良いそうだが、ふつうのものでも可 。
尾道では、大きなポリバケツを使用。1個のバケツで20個分入る。
白菜はタテ切りで、4等分に。水は替えなくてもよいが、3回ぐらい上と下を入れ替えるため混ぜる。
具の野菜:わけぎ:3〜4cmに切る。 ねぎ:白い所はタテに千切り、緑の部分は3cmに切る。他も切っておく。
香辛料:粉々に
調理レシピ 白菜を水洗い、2度洗いした方がよい。洗い終わったら根の部分を切り落とす。具を混ぜる。調合、配分が難しい? 白菜に具を入れ、完成。

「過ちを認めること」こそ未来への推進力
      〜佐賀県立名護屋城博物館を訪ねて

 
   

 年末に九州佐賀県鎮西町にある名護屋城跡へ行ってきました。ここは、豊臣秀吉が起こした文禄の役(1592年)慶長の役(1597年)という、足掛け7年に及ぶ朝鮮への侵略戦争の拠点として、わずか5ヶ月で築城させた城跡です。この戦争には、全国の諸大名のほとんどが参集し、名護屋城の周囲3Km内に百数十もの陣屋がありました。今では、石垣だけが残っているだけですが、名護屋城は大阪城につぐ規模で、最盛期の城下町には10万人を超す人口を誇っていたそうです。当時、玄界灘周辺の大名は、対馬を介して朝鮮との交流を深めていましたが、この戦いにより関係は硬化。戦争が終わった後も朝鮮半島の人々の心に深い傷を残しました。この戦争により、朝鮮からは優れた陶工たちが日本に連行され、九州で美しい焼き物をつくりはじめます。有田焼、唐津焼、伊万里焼、薩摩焼など日本の伝統工芸である焼き物のルーツはこの侵略戦争での「拉致」にあったのです。

 
   

 城跡横には立派な建築物が。「佐賀県立名護屋城博物館」です。入場料は何と無料! 一番感銘したのがその博物館としてのスタンスです。パンフレットの館長の挨拶には「文禄・慶長の役を侵略戦争と位置づけ、その反省の上に立って、日本列島と朝鮮半島との長い交流の歴史をたどり、今後の双方の交流・友好の推進拠点となることを目指して1993年に開館しました」とあります。そう、過去の事実から過ちを認め将来の友好のために生かしていこうとする姿勢なのです。これこそ今の「北朝鮮バッシング」や「教科書問題」への答えだと感じました。

 常設展示では「日本列島と朝鮮半島との交流史」をテーマに、名護屋城跡の出土品や、原始から現代までの交流の資料約500点が展示されてあり、日本と朝鮮の交流の歴史を学習することができます。特に朝鮮出兵で朝鮮にいかに損失を与えたかの事実をきちんと展示しているところは必見です。こういう展示内容が大阪城にも必要だと感じました。

 詳しくは・・・電話で名護屋城博物館 TEL0955-82-4905 か、佐賀県HP http://www.pref.saga.jp/ の「観光・文化」から入ってください。(古川)

GUNGUNでは、2005年キャンペーンの一環として九州フィールドワークを5月頃に企画する予定です。
 

 読書案内
  『近代の朝鮮と兵庫』
    
兵庫朝鮮関係研究会 編
                  明石書店 2300円+税 
 
昨年末の2005年キャンペーンの講師、金慶海さんはじめ8名が執筆。神戸電鉄や川崎製鉄、石川島播磨などをはじめ、兵庫の「今」につながる基礎を築く過程でいかに朝鮮人が関わったのか? 事実究明のための作業を通じて、コリア&ジャパン市民同士が連帯する意義を示してくれます。尹達世さんは秀吉の朝鮮出兵後にも日本が「拉致」した人の送還をめぐって政治取引がされているなどの事実を紹介。外交姿勢として「互いに欺かず争わず」と臨んで危機を回避したことなど、非常に興味深いものがあります。


GUNGUNインフォメーション
9月10日(水) 関西GUNGUN原告を囲む集い(18時半 エル大阪)
 1月23日(金)「戦後補償の現況と今後の課題2004」
           18時 東京弁護士会館1003号室
   25日(日)ワールド・ピース・ナウ1・25
         「私たちは自衛隊のイラク派兵に中止を求めます」
           13時 日比谷野外音楽堂

  30日(金)日鐵供託金裁判
 原告証人尋問(3名の原告来日!)
           14時 東京地裁606号法廷

    31日(土)李煕子さんが教えるキムチ作り教室in大阪
       
 10時・14時 大阪ドーンセンター料理室
 2月 1日(日)李煕子さんが教えるキムチ作り教室in東京
              
13時 新宿若松地域センター(地下鉄大江戸線若松河田駅下車すぐ)
                   イラク国際民衆法廷第1回公聴会(大阪)
                10時 中之島公会堂(地下鉄・京阪淀屋橋駅下車7分)
      17日(火)日鉄釜石裁判 控訴審 15時30分〜 東京高裁
             GUNGUN原告との交流会(大阪)
           19時 エルおおさか

    18日(水)GUNGUN裁判第11回口頭弁論
(16:00〜東京地裁710号)