在韓軍人軍属裁判を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.2 (2001.3.27発行)

6月提訴に向け、準備会スタート集会を開催!!

  2月末に、裁判の打ち合わせで韓国(ソウル・江原道)に行ってきました。着いた夜は雨。さっそく太平洋戦争被害者補償推進協議会で会議。こちらから弁護団等の準備状況や今後韓国側で準備すべき書類などを説明しました。原告の数は70〜80名になるとのことでした。翌日は雪。江原道までバスで移動。太平洋戦争韓国人犠牲者遺族会の金景錫会長らと会議。こちらの原告はなんと120名。合わせると200名という大原告団になることが判明!というお土産を持って帰ってきました。
 提訴は6月と決まりました。大原告団をがっちり支えるサポート体制が急務です。支援する会は、提訴と同時に発足させますが、それまでの助走を「準備会」で行ないます。4月14日に大阪で裁判スタート集会を開催します。前日13日には原告に来日いただき、厚生労働省・法務省・国会議員への要請行動を行ないます。日本全国からサポートできるよう、運動を展開していきますので、ご支援をよろしくお願いします。(古川)                     

東京での弁護団体制固まる!

 李宇海(イ・ウヘ)、大口昭彦、鶴見俊男、古川美、殷勇基(ウン・ヨンギ)以上5名の弁護士の先生に担当していただきます。すでに3回の弁護団会議が開かれ、3月6日には古川も上京、出席してきました。会議の結果、次回の4月4日までに原告ごとの請求内容(たとえば戦死・遺骨・未払い金の有無等による請求項目)をグループ分けするための資料を作成することになりました。

ワンポイントGUNGUN裁判

 今回の裁判での特徴は、多くの原告が厚生省に照会して軍籍を確認し、供託金の金額まで調査していること。供託金(未払い給与や弔慰金)の多い人では8872円にものぼります。大事な事は、こうした供託がなされた背景です。本籍を知りながら通知すら行なわずに供託はなされました。軍人軍属の場合、手続きを行なったのは雇用主である日本政府そのものです。そして還付請求する余地を与えることなく、日韓請求権協定・法第144号によってその「権利を消滅」させたのも日本政府本人です。 まさに「自作自演」の詐欺に他なりません。日朝国交正常化交渉の中で、必ずこうした補償問題が浮上してきます。だからこそ「今」なのです。

舞鶴(3/20)フィールドワークから・・・

 舞鶴市役所を出発した私たちは、リ・ビョンマンさんの案内で浮島丸殉難者追悼の碑に連れていっていただきました。
 大浦半島の下佐波賀という静かな入り江にその像は立っていました。チマ・チョゴリを着た女性をぐったりとしている赤ん坊を抱き海の方を見つめて立っています。その傍らには横たわり空を仰ぐ男性や、口を固く結んだ男性が座しています。解放された祖国で生活を始める喜びを胸に、帰国する人々の夢が無惨にも打ち砕かれた無念さが伝わる群像です。
 黙祷の後、リさんから当時の状況など説明していただきました。「女性が見ている方向に小島が二つあるでしょう。右側の島のすぐそばが沈没した現場なのです。」見ると海岸線からわずか三百メートルぐらいのところです。地元の人々が重油の海の中を小舟で何回も往復して救助活動されたにもかかわらず、戦後海難史上二番目という犠牲者を生じたということです。(政府発表では、朝鮮人524人、日本人乗組員25人)水深が浅いので、浮島丸は沈没後もマストを突き出していたといいます。びっくりしたのは、スクラップとして売却される1954年まで海中に放置されていたということです。爆発の原因などの調査を事故直後に行っていないので真相を明らかにすることは、今となっては非常に困難ですが、サルベージの時に船体にあいた穴が外側にむかっていたことが目撃されているので、機雷に触れたとする原因説は事実と矛盾するとリさんは指摘されました。
 犠牲者のうちまだ引き取られていない遺骨280体が東京目黒の佑天寺に祀られているそうです。現在、厚生省が遺骨を引き取った人には30万円出すと言っているらしいですが、真相究明をしなかったことへの謝罪なしに、いや、それ以前に植民地支配したことへの真摯な反省を朝鮮半島の人々に伝えること抜きに、金銭で解決することは許せないことだと感じました。
 昼食後は、舞鶴海上自衛隊基地を見学に行きました。「愛される自衛隊」を目指してか、この基地は毎日曜ごとに市民に公開しているそうです。私たちは、「たかつき」という護衛艦に乗船しました。実際に、「一月には日本海で演習してきました。」とか「ハワイで米軍との共同演習をやっています。」と、柔和な表情で若い隊員が説明してくれましたが、装備しているミサイルが実際に使われないことを願わずにはいられませんでした。
 今、舞鶴は新しくヘリポート基地建設の真ただ中だそうです。浮島丸や戦争被害者が数多く立ち寄り過ごしたこの町の歴史には、新たな戦争への準備に足を踏み出す動きは、似つかわしくない思いを感じました。(大幸)

参加者の感想から

舞鶴を再び出撃拠点にするな

 抵抗と加害の記憶を消し戦争責任を問わない「平和の祈り」のなかで、舞鶴の出撃拠点化は市内を軍事文化でおおいながら着実にすすんでいる。しかし、地下壕に閉ざされたままの解放への叫び声、海底に沈められたままの死体の無念の怒り、軍事に彩られた町並みの奥にある生命への想い、市民の戦争拒否へのまなざし、これらの思念は軍都を串刺しする力を持っている。そのような力をささえたいと思った。(浜松・竹内康人)

お世話になりました

 浮島丸については、爆発して沈没したということ、爆破説があるということぐらいしか知りませんでした。過去の事件としか思っていませんでしたが、生存者の方が提訴 の準備をしていらっしゃること、また、李さんが真相究明の活動をしていらっしゃることなど初めて知りました。浮島丸関連の本なども読んでみたいと思います。 案内して下さった李さんの控えめで柔らかな物腰も印象的でした。昨日のTVニュースでもヘリコプター基地の開所式をやっていましたが、舞鶴港の軍港としての充実ぶりにも驚きました。いわゆる「朝鮮半島有事」をにらんでのことと思いますが、およそ「反省」とは無縁のところで事態が進んでいることに強い危惧を感じます。 (鵜飼 勤)

今日は、、ほんとありがとうございました!

 めちゃ楽しかったです!いろんな人と出会えたし、学校の社会見学(?)を思い出したり・・・。いろんなこと知りました。舞鶴というところは自衛隊の基地がいっぱいで昔の海軍みたいだったこと、浮島丸には軍人以外にもいっぱい乗っていたこと、8月24日には毎年追悼祭をして事件?事故?を伝えていることなどなど、あー、いっぱいなので頭がごちゃごちゃです。(のぶやま)

 

翻訳で「ぐんぐん裁判」をサポートします!(神戸、 金泰洪さん)

 我が朝鮮は、昔から外勢の侵略によって長い間、苦しめられてきました。特に、日本帝国主義の植民地時代は、多くの人々が言葉では言い表せないほどの苦痛を味わいました。日本軍は朝鮮の若者を戦場に追いやり、多くの犠牲者を産みました。今回、日本の有志達が裁判によってその償いを求める行動をおこし、犠牲者及びその家族に何らかの助けにでもなったらという切実な思いで、日夜努力を続けている姿を見て、私は感動を受けました。そして私の得意分野である翻訳面で支援するようになりました。侵略戦争の問題は、未解決で済まされるものではありません。必ず何らかの賠償によって、具体的な措置を取らなくては歴史の制裁を受けると思います。

*金泰洪さん
 神戸赤塚高校卒業後、81年延世大学留学中に政治犯として拘束され、以降96年まで15年にわたり拘禁。獄中生活を余儀なくされる。現在神戸で生活、翻訳でこの裁判をサポート中)

 

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