在韓軍人軍属裁判を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.18 (2003.3.8発行)

「父は1945年4月15日より栄養失調で病院に収容され、6月1日戦病死しました」
海軍軍属身上調査表に残された記録を指し示して証言する原告・呂明煥さん
(1月21日 大阪)

   

世界世論を無視する開戦を許さない

戦争責任放置を許さない国際包囲網を!

 今、米ブッシュ政権は対イラク攻撃を最終局面として、開戦合意の工作に躍起になっています。しかし圧倒的国際世論は戦争NO!です。1000万人を超える2月15日世界同時デモは、戦争にはやる米英への足かせになりました。そんな時に対北朝鮮での「国益」を理由に攻撃支持を表明する小泉政権を、そして戦争そのものを私たちは許しません。
 1月15日、大江山中国人強制連行京都訴訟の判決は、時効・除斥期間の適用で原告の国・日本冶金双方に対する請求を棄却しましたが、一方で @国と企業との共同不法行為を認める A企業の安全配慮義務を認める B企業の不当利得返還義務を認める C国に対する国家無答責の原則適用を排除する という画期的なものでした。特にCの「国家無答責」(国が何をしても被害者に責任を問われないとする明治憲法下での見解)は今までの戦後補償裁判の大きな壁であっただけに、これを覆した意味は大きいのです。昨年の三井鉱山中国人強制連行福岡判決ではもう一つの壁「時効・除斥期間」を排除しており、この間の司法判断の変化が伺えます。
 今、私たちは「戦争か平和か」の瀬戸際に立たされていますが、戦争に歯止めをかけているのは、国際的な世論や国際法です。戦後補償においても「国際基準」に照らした際、放置し続ける日本政府の非人道的な姿勢が浮き彫りになります。かつてフランスは、セネガル兵に対する年金差別が「国際人権規約」第26条に違反すると問題にされ、是正した経過があります。GUNGUNもこうした闘いの先行例に学び、運動を広げていきたいと考えています。
 

次回GUNGUN裁判の第6回口頭弁論は4月16日(水)11時東京地裁722号法廷です。ぜひご参加ください。

 

第5回口頭弁論報告  地裁・内閣府・靖国神社で訴え

「私が死ぬ前に遺骨くらいは返してほしい」(呂明煥さん)
 

 

内閣府で訴える呂明煥さん

 

  「物事にはみな結末があるのです。その結末をつけずにこのまま見過そうとすれば同じ過ちを繰り返すことになるに違いないと思うから、私はこうしてここに立っているのです」「せめて、私が死ぬ前に遺骨くらい返して欲しい」
 1月22日、第5回口頭弁論で原告・呂明煥(ヨ・ミョンファン)さんは、このように訴えました。今回の来日で呂さんが一番訴えたかったのは、遺骨の返還。遺骨がないために、今なお、亡父・呂昌寛さんのお墓を作れないまま。祖先を大切にする韓国では非常に大切なことなのです。
 口頭弁論に先立ち、内閣府への申入れも行ないました。遺骨の返還と共に供託金の返還も強く訴えました。「父の死と引き換えとなった未払い金を、何故、返還してくれないのか」。海軍軍属身上調査表の供託金の欄には「俸:7083.8、引:2700、葬:40、扶:1100」の記載が。3年分と思われる7000円を越える俸給のみならず、葬祭料・扶助料まで供託し、返還しないという。また、太平洋戦争韓国人犠牲者遺族会、太平洋戦争被害者補償推進協議会、支援する会の連名で、1月14日の小泉首相の靖国神社参拝に抗議すると共に、「被害者がまだ生きているうちに解決」するよう要求しました。昨年、福田官房長官が「戦後処理の窓口の一本化の検討」と言ったが、未だその結論もまだでていないということでした。
 翌23日は、1時間に渡り靖国神社に合祀取消申入れ。呂明煥さんは「私たちは望んでいない。すぐに取消を!」と訴えましたが、対応した花田権宮司は「みなさんのお気持ちはよくわかる」と言いながら「合祀の取消はできない」を繰り返すだけでした。
 裁判(第5回口頭弁論)では、被告の国側は、40ページ近くの準備書面(3)を提出。靖国合祀通知については、相変わらず「一般的な調査・回答事務として行なっていたもの」とし、合祀は靖国神社が行なったことなので「損害賠償義務も負わない」としています。未払い金については、(日韓協定に伴う)法律144号により「(軍人軍属の給料債権は)既に消滅している」と予想通りの主張を並べています。
 次回は4月16日です。ぜひ法廷内外の闘いで、日本政府の不当な態度を打ち破っていきましょう。

  ◆ 次回 第6回口頭弁論 4月16日(水)午前11時〜 東京地裁722号法廷
 

関東 みんなでワークショップ

大宮島ってどこ? 原告の父らの足跡を辿ってみよう

 2月8日、関東でも“メイク・ア・ウィッシュGUNGUN版で”のワークショップを持ちました。第1回目で6人の参加でしたが、初めてわかること、難しいこと?肩のこらない集まりがもたれました。
 戦没船を記録する会の篠原さんからは、戦没船の一覧地図を持ってきていただきました。原告らの最終配備地、戦死場所の一覧表(事務局で作成した未完成版)のなかからおかしなところを見つけていただき、「バシー海峡はここだよ」(わかるかな=フィリピンと台湾の間の大きな大きな海峡なのだ)、大宮島はこれ、なんと、グアム島なのだ。知らなかった。
 フィリピン・レイテの「従軍慰安婦」問題に取り組んでいる竹見さんからは、丁勝鎮さん(原告番号193)のお父さんの戦死地のレイテ島カンギボット山は、日本軍は米軍に蹴散らされ、皆逃げ込んだのがこの山だということがわかりました。
 みんなでやれば分からないことも分かってくる。こんなワークショップをやっています。最後に、上海・南京や玉砕の島・クウェゼリン島などを調べてみようと分担を決めました。皆さん、アジア太平洋戦争の原告たちの足跡を辿ってみませんか。

(第2回は3月8日。第3回以降のお問い合わせは090−4220−5427ミソノオまで

 

原告・呂明煥さんを迎えてのワークショップを開催!(1月21日大阪)

 

トラック諸島の地図を見る呂さん

 

 1月21日GUNGUN関西では、翌日に第4回公判での意見陳述のために来日された原告・呂明煥さんを迎えて、ワークショップを開催しました。
 ワークショップは、@真相究明の助けになる事実関係を調査し、原告の望みを実現するために何ができるかを考える Aできれば裁判に役立つ資料を発掘する B原告との関係を密にし、サポート体制の強化に役立てる 、などを目標にしました。



 

呂さんの証言を聞く!

 まず、呂さんのお話し。呂さんが満5歳の1942年春、父の呂昌寛さんは強制徴用されました。1945年6月1日、南洋諸島のトラック諸島夏島で死亡したと連絡があり、知らせと共に髪の毛、手足の爪が同封されましたが、遺骨はありません。若い母と幼い息子を残して死んだ父の心情を思うと胸がつまると語る呂さん。何よりも遺骨と、未払い金を返して欲しいと強調されました。
 

呂さんのお父さんの戦場は?

 次に、私たちが呂昌寛さんの死亡時の事実関係について調べた内容を報告しあいました。
 呂昌寛さんが亡くなったトラック諸島の夏島(デュブロン島)とは、グァム島の南東約100km、現在はミクロネシア連邦内にあり、戦争中は日本の連合艦隊の泊地でした。
 1941年12.8ハワイ真珠湾攻撃により、日米は開戦。1942年ミッドウェー海戦以降、米英などの連合軍は、攻撃を強め、周辺の島々を全滅させた後、1944年2月17〜18日にトラック諸島を空襲。事前に危機を察した日本の連合艦隊は、数日前にパラオに逃走。この空襲で戦力のほとんどを失った日本軍部隊は、直後から自給生活に。当時トラック諸島近辺には10島ほどに分散し、日本の陸軍・海軍合わせて43000人が駐屯。孤立し残された軍人たちは、貯えていた食料を食い尽くし、小さな部隊ごと自らの食料を守ることに必死でした。1945年8.15の敗戦時、生還者は37000人いたが、この自活生活の約1年余の間に、餓死や飢餓がもとで病死した者が6000人にも達しています。ここでの死亡のほとんどが「餓死」なのです。
 

「身上調査表」から見えてきたもの

 呂さんが、韓国大田にある政府記録保存所で手に入れた「海軍軍属身上調査表」(別紙陳述書の裏面参照)の記載内容からは、呂昌寛さんは「1945年4月15日より栄養失調で病院に収容され、6月1日、栄養失調症で戦病死した」ことが読み取れます。おそらく前年から武器などもなく戦うにも戦えない状態で、一方で「よその縄張りからサツマイモ一本でも盗んだら銃殺しても文句は言わないという暗黙の了解があった」というほどの極度の食糧不足状態で栄養失調になり、最後は病院で亡くなられたのでしょう。
 

呂さんの望みをかなえるために・・・

 呂さんの、望んでいる「遺骨返還」は、お父さんが死亡した病院での埋葬場所等の記録が確認できれば、可能かも知れません。(現在、夏島には日本人向けの戦跡ツアーコースがあり、当時の建物跡等もいくつかは保存されているらしい) また、調査表には「遺骨は23.5.31に送還」との記述があることから、厚生労働省に、もっとあるはずの資料を開示させ、日本人遺族にしてきた遺骨収集などの取り組みをGUNGUN原告たちに対しても行うよう、要求を突きつけることも必要だと感じました。一方で私たちサポ ーターが生存者から話を聞き取ったり、現地調査に取り組むなどできることをやろうといった意見が出されました。
 このワークショップだけでは到底呂さんの期待には応えきれませんでしたが、原告をサポートしていくための具体的な課題が見えてきました。今後できるだけ多くの原告に、私たちが個人やグループでサポート体制をとり、原告の望みを少しでもかなえることができればと思います。(大釜)
 

国会図書館・関西分館フィールドワークを実施

 2月1日、マンツーマンサポートのために、関西にオープンした国会図書館へ出かけました。ゆったりとした館内で、各々が思い思いの書棚を見て回りました。初めてで、あまり多くは期待できないと思っていましたが、過去の新聞等の資料がそろっていることや、日本軍関連の書籍、日本の戦後賠償に関する資料等も多いことがわかりました。厚生省発行の「援護行政の50年」には、日本人の軍人軍属にはいかに丁重な援護がなされてきたかが記録されていました。原告の「生死確認すらない」という陳述の多い南洋群島では、日本人遺族の為に遺骨収集や慰霊碑建立等の記録や、一つ一つの島の写真と説明がありました。資料は館内閲覧のみなので、何度も足を運んでいきたいと思います。そして、二、三行にしかならない陳述書を埋める「事実」を見つけたいと思います。(木村)

 国立国会図書館は、「軍国主義を防ぐためには、まず官僚主義復活を防がなければならない。それには政治経済の資料が官僚に独占されているのを打破して、国会がその資料をもたなければ」(羽仁五郎参院図書館運営委員長)という意識のもとで設立されました。関西分館はJR学研都市線「祝園」駅からバスで10分。

HPは  http://www.ndl.go.jp/jp/service/kansai/ です。
 

 

シベリア抑留生存者が
   未払い金を求め署名行動
(2月19日 大阪)

 小雨の中「近畿地区シベリア抑留者未払い賃金要求の会」の署名行動が大阪難波で行われ、GUNGUNも参加しました。終了後、顧問の池田幸一さんにお話しを伺いました。現在池田さんたちは生存者有志で「カマキリの会」を作り、最高裁で闘っています。

 

署名をよびかける池田さん(中央)

 

●池田さんのお話● 

 シベリアからの引き揚げ時に舞鶴港で金を渡されたが、後で聞くと抑留中三年間の給料であったらしい。しかしヤミ市で巻き寿司二本に忽ち消えてしまった。裁判では国に対し国際法で定められた強制労働の賃金を支払うよう求めているが、国は"放棄したのは外交保護権であって、個人請求権は放棄していないから支払の義務はない。"と主張する。一方アメリカやオランダの捕虜に対しては"サンフランシスコ条約で相互放棄しているから払う必要はない"と突っぱねて訴えを退けている。つまり「両方とも払わない」というダブルスタンダードである。終戦時、日本の支配層は天皇制を存続させるため、我々を役務賠償としてソ連に引き渡した、その真相を明らかにするため、それをひた隠しにして逃げようとする国の不条理を糾すため、老兵は闘っている。
 

多文化共生サッカー
第1回プチ・ワールドカップ2003にアボジチームが出場
 

 

2日の予選でアボジチーム

 

 3月2日・23日にかけて神戸で多文化共生サッカー大会が開催。GUNGUNと交流のある大阪府アボジサッカー連盟(朝鮮初中級学校生徒のアボジたち)の選抜チームが出場。この大会は、多文化共生の取り組みの一環で、「NGO神戸外国人救援ネット」の主催。コリアのほか、ペルー、ブラジル、ボリビア、日本のアマチュアチームが出場。2日に明石公園球技場で行われた予選では、惜しくもペルーチームに敗れましたが、23日にも親善試合と決勝戦が行われます。会場は収容6万人の神戸ユニバー記念競技場(三宮から地下鉄で25分)です。ぜひ応援に来てください。

大阪アボジサッカー連盟 李英好(リ・ヨンホ)さん
 

 

神戸住吉カトリック教会で(中央)

 

 今回、在日外国人の交流の場に参加できることを嬉しく思っています。元はと言えば、GUNGUNチームとの「草の根サッカー交流試合」から始まりましたが、事務局の方々との交流を通じて今では心の底から信頼できる親しい友人ができて嬉しい限りです。己のテロ行為を正当化するブッシュの低次元の言動や、日本国内の様々な情勢を見るとき、GUNGUNニュースからの情報は崇高な見地からの知的で冷静な判断として重要な参考材料となっています。これからもお互いに力を合わせて、真実を直視し、揺るぎない信念を持って、共に歩んでいきましょう。
 

4月に「過去から未来へのエキスプレッション」

 拉致問題で運動が萎縮しているように見える戦後補償をはじめ、いろんな団体に呼びかけて表現のためのフリースペースを開催したいと考えています。とりあえず、4月末(26日あたり)を目指して、大阪城公園の自由に使える空間を利用して、いろんな団体と一緒に通行人に「見て・聞いて・しゃべる」ことができるような「何か」を作っていきたいと思います。例えばGUNGUNであれば「遺骨を探しています」という原告パネルを作っ たりしたいと思います。従軍慰安婦問題、南京大虐殺、戦跡保存、シベリア抑留など諸問題を取り組む団体などがそれぞれ創意工夫を凝らした方法で、自由に展示し、歌や踊りなど表現する空間をつくることができればと思います。通行人にアンケートを取ってもおもしろいかも知れません。ご意見をお寄せください。(078−360−2171 古川まで) 
 

 読書案内
  『戦時下朝鮮の民衆と徴兵』
        樋口雄一 著  総和社 3000円+税 


 40万人もの朝鮮人青年たちは、どのようにして日本軍の兵士や軍属になり、そして傷つき、死んでいったのか? 本書は、戦争末期の1944年から45年、軍と警察権力により強制として遂行された徴兵の過程を、史実にもとづいて実証したものである。犠牲を強いられた軍人・軍属の正確な事実調査と個人補償が急がれることを著者は訴えている。(塚本)

月刊誌『世界』(岩波書店)の連載に注目を!
「連続討論 戦後責任」(編者:田中宏・内海愛子・大沼安昭)
1月/東京裁判 2月/BC級戦犯裁判 3月/在日の国籍・参政権 4月/指紋押捺制度 5月/サハリン残留朝鮮人 6月/一連の戦後補償裁判 7月/中国と戦争責任
 

  

GUNGUNインフォメーション

3月23日(日) プチ・ワールドカップ2003(10時神戸ユニバー記念競技場)
  26日(水) 日鉄釜石東京地裁判決(16時傍聴券 東京地裁103号)
95年東京地裁提訴の日本製鉄元徴用工裁判がいよいよ判決。日鉄釜石製鉄所に強制連行され、連合軍の艦砲射撃により死亡した遺族が原告。特に、供託金の是非を問うている点はGUNGUNと共通。ぜひ傍聴を!
4月 5日(土) ILO国際シンポジウムin東京(10時半シニアワーク東京)
  16日(水) GUNGUN裁判第6回公判(11時東京地裁722号)