在韓軍人軍属裁判を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.16 (2002.12.8発行)

2002年11月23日、第2回ボランティアツアーを開催。
韓国、春川の納骨堂の前で手を合わせる参加者。
   

拉致被害もGUNGUN原告も痛みは同じ

個人の人権を政治利用するな!!

 9月17日の日朝首脳会談以降、日本のマスコミは「拉致問題」一色に染まっていますが、この状況にGUNGUN裁判の原告たちは一様に疑問を呈しています。「真相究明を!生死確認を!遺骨の返還を!そう求めている拉致被害者家族と、私たち遺族の考えは同じだと思います。本当に日本のマスコミが被害者の痛みに敏感なのであれば、なぜ戦後補償を要求している私たちの痛みを感じてくれないのでしょう」(李煕子さん)と。全くそのとおりです。被害や拉致の恐怖を強調し、相手国への憎悪を拡大している日本政府やマスコミ、支援団体は、本当に拉致被害者の側に立っているとは思えません。問題は、国交正常化交渉を有利に進めるために個人の人権が政治利用されていることにあります。拉致問題も過去の清算=戦後補償も被害者の人権を尊重しながら進められるべきものです。国家間の駆け引きを生む「経済協力方式」こそが問題の元凶です。個人への謝罪と補償がない限り、戦後補償裁判は継続され、今後も新たに提訴されることを日本政府は肝に銘じるべきです。
 GUNGUN裁判第4回公判(10月23日)では、裁判所が「争点整理案」を提示。靖国合祀問題をはじめとするGUNGUN裁判の争点を整理し、反論を国に求めています。次回第5回公判は1月22日(水)16時東京地裁722号です。引き続きご支援をお願いします。
 

次回第5回公判は1月22日(水)16時東京地裁722号です。引き続きご支援をお願いします。

 
第4回公判

「父の苦しみと家族の苦しみに
         『悪かった』となぜ言えない!」
(李侖哉さん)

 

「戦死通知すら来ない!」 李侖哉さん

 

 10月23日午後4時30分より、GUNGUN裁判の第4回口頭弁論が開催されました。当日は、韓国から原告・李侖哉(イ・ヨンジェ)さんが来日し、法廷で陳述しました。
 父親を海軍軍属として徴用され、中国東沙島沖で亡くした李侖哉さんは、「父の死について、日本政府からは何も通知がなかった。今日本は、拉致問題で真相究明を連日主張している。しかし日本は、拉致被害者の生死確認から遺骨の返還、賠償まで要求しながら、どうして私たち韓国人のこのような痛みに対して何故一言の言及もないのでしょうか。なんの措置も施さないでいるのでしょうか」と涙を浮かべて訴えました。李さんのお父さんは、海軍軍属として徴用され、1944年11月1日、中国東沙島沖で戦死。このことも、1999年に韓国遺族会が厚生労働省に問合せはじめてわかったのです。日本政府は、「拉致問題」で「人道」を口にするなら、自ら犯した非人道的行為をまず徹底的に明らかにし、全ての資料を公開し、心からの謝罪を行なうべきです。

裁判所から「争点整理案」が出される

 法廷では、裁判所から、「争点整理案」なるものが出されました。その中で裁判所は、原告側に被告が主張する「国家無答責」や「日韓協定に基づく措置により請求権消滅」についての反論や「安全配慮義務」の具体化を求めるとともに、被告・国に対しても「靖国神社に対する回答義務が憲法13条、20条2項、憲法前文に違反しないことを主張されたい」「(遺骨返還義務・死亡状況説明義務が被告にあるという原告の主張について)認否・反論を検討されたい」としています。 法的な面と、事実立証の両面で、原告・弁護団・支援する会一体となった取組みが求められています。

李侖哉さんの父親が乗っていた船は「浅間丸」?!
  戦没船を記録する会と厚生労働省の調査で真相究明に近づく

 

厚生労働省で訴える李侖哉さん

 

 この日の口頭弁論の前に行なわれた厚生労働省での確認、そして事前にお願いしていた「戦没船を記録する会」の調査で、李侖哉さんの父・李花燮さんは、徴用船「浅間丸」に乗船し、船と共に戦没した可能性が高いことが分かりました。李花燮さんが死亡したとされる1944年11月頃日本軍は、連合軍のフィリピン上陸作戦に備え、台湾・満州等からフィリピンに兵員を輸送。「浅間丸」は台湾からマニラに兵員を輸送し、帰国する軍人軍属ら約1400人を乗せて帰国する途中、東沙島沖で11月1日魚雷により沈没し、多くの人が亡くなりました。すでに制空権も制海権も失った日本軍の無謀な作戦が李花燮さんを死に追いやったのです。




次回口頭弁論は1月22日(水)。みんなでサポートを!

 次回口頭弁論は、1月22日(水)午後4時から、東京地裁722号法廷で行なわれます。
 李さんをはじめ252名の原告たちの被害実相を日本の資料の中から明らかにしていかなければなりません。また新年早々、韓国人シベリア抑留者29名を含む103名の二次提訴の準備を進めています。GUNGUNでは別掲のとおり「マンツーマン・サポート」を考えています。ぜひ原告一人一人のためにちょっとずつ力を貸してください! 引き続き傍聴参加等ご協力をお願いします。
 

新年に追加提訴! シベリア抑留者をはじめ103名が
 
 

シベリア抑留された李炳柱さん

 

 昨年6月に提訴した時から韓国側から要望の高かった追加提訴が新年早々実現します。
 原告は103名で、1次提訴と合わせると355名の大原告団になります。今回提訴する原告の中にはシベリア抑留生存者が含まれます。戦後ソ連の捕虜となった63万人中6万4千人が極寒の地で死んだシベリア抑留。その中には本来終戦と同時に釈放されるべき朝鮮半島出身者が含まれていました。その数3500人。その三分の一の1200人が亡くなっています。全体の死亡率1割に比べていかに高い確率で死んでいったか。この数字だけでも捕虜収容所という「軍隊」での差別実態が想像できます。その貴重な生存者による韓国内の団体「シベリア朔風会」から李炳柱(イ・ビョンジュ)会長をはじめ29名が追加提訴に加わります。アジア太平洋戦争の実相を明らかにするGUNGUN裁判の意義が深まります。
 

未来を築く日韓市民の共同作業!

「マンツーマン・サポート」で原告と直接対話する支援を!

 第4回公判で来日した李侖哉さんのお父さんのことがいろいろと判明する中、呼びかけ人の内海愛子さんより、下記のようなメールが送られてきました。
 「原告一人一人にサポーターをつけてはどうでしょう? 例えば私なら、BC級戦犯関係は一手に引き受ける、南方関係は数人引き受けるというように。支える側も相手の顔が見えて勉強になります。わたしも勉強したいので南方関係を調べる役目ならやらせてください」・・・

 

南洋の激戦地を生き延びた金幸珍さん

 

 原告一人一人にサポーターをつけては?という提案です。皆さんどうですか?自分のサポートする原告を決めてみませんか。ちなみに原告関係の死亡地、最終配備地を地図に落としてみたところ(おおよそですが)、南洋群島、ニューギニアなどで死亡されている方が非常に多いことがわかります。
 例えば、【ニューギニア島】戦死者15名、生還者1名 【トラック島】戦死者4名、生還者2名 【パラオ諸島】戦死者7名、生還者1名 【南洋群島】戦死者15名、生還者4名 【クエゼリン島】戦死者4名 【ブーゲンビルなどニューギニア以外のソロモン諸島】戦死者2名、生還者8名 【フィリピン】戦死者13名、生還者1名・・・まだまだあります。
 サポーターが直接原告と連絡をとっていただき、聞き取りや日本側での調査を通じて原告と信頼関係を作り上げることができればどんなに素晴らしいでしょう。できることからやってみませんか? 文献など真相究明の手がかりは圧倒的に日本側に残っています。身近にいる韓国語のできる人を間に入れればFAXでのやりとりなどで、韓国語ができない方も原告との交流ができます。355人の原告と友達になりましょう! 詳細は次号で!
 

強制労働跡にタイムスリップ タチソ・フィールドワーク報告

 

タチソの説明をする洪仁成さん

 
 

槌の音が聞こえてきそう

 

 11月17日、洪仁成(ホンインソン)さんにタチソのトンネル群を案内していただきました。洪仁成さんは成合北の町に住む在日2世。大阪市内に住んでいたお父さんが大阪大空襲にあい、難を逃れて成合に来られたとのこと。
 「タチソ」は敗色も濃くなった1944年の秋から陸軍によって工事が始められた軍需工場用のトンネル。成合には、当時労働者の飯場がひしめいていました。おだやかな晩秋の青空のもとでは、本土決戦に備えて2万人もの人を使役して昼夜兼行の突貫工事が行われていたことなど想像することも難しい、今は田畑に囲まれた20世帯ほどの静かな町です。山麓に沿って約2キロメートルにわたって広がっているトンネル群は、便宜上5地区に区分されており、その中の2地区と呼ばれるトンネル群に入りました。一本の懐中電灯の光では、深い暗闇に吸い込まれてしまい、真っ暗なトンネルの奥は何も見えません。どのトンネルもほとんど素堀のまま。大きな落盤事故がなかったのが不思議なほどです。
 なんと無益な労働を強いられたことかと思います。成合の新しい住宅のはずれには、かつての飯場を改造した古びた木造の建物と共同便所が残っていました。水道が引かれたのは戦後30年もたってから。住居の建て直しも、地主と成合の住民との間で「土地の売買」がなされた1983年以降。補償どころか戦後処理さえも怠ってきた政府の無責任さはあきれるばかりです。洪仁成さんからお話を伺うことができて、印象深いフィールドワークとなりました。あらためて感謝申し上げます。(鵜飼)
 

いやがらせをふきとばせ! アボジチームとサッカー親善試合

 

アボジチームに
激励タペストリーを贈呈

 10月12日、生野朝鮮初中級学校アボジチームとGUNGUNチームの二回目の交流試合が行われました。仕事を終えてからということで夜8時からの試合開始。さすがサッカー大好き青年の集まり。夜の校庭でボールを追っかける姿は真剣そのもの。会場には、日本製鉄元徴用工裁判で通訳をしてくださっている李東石さんの姿も。聞くとご子息が在学中にサッカーをしておられたとのこと。試合観戦そっちのけで、学校建設の話などを伺っていて、いつのまにか交流試合も終わっていました。GUNGUNみんなで作ったタペストリーをアボジチームに贈りました。みんなで、もっともっとなかよくなろうというメッセージを一人一人が書いたものです。「拉致問題によるいやがらせが頻発するなか、朝鮮学校には激励の電話などももちろんとどいていますが、形のあるものは大変、うれしい」と喜んでいただきました。二次会ではざっくばらんな話で大いに盛り上がりたのしかったです。(大幸)
 

日韓市民レベルの交流広げる

第2回GUNGUNボランティア・ツアーを開催(11/22〜24)

 直前に風邪が流行し、4名がキャンセル。14名(内6名が初参加)で行ってきました。サッカーも形になって、健康が危ぶまれた金景錫さんもお元気で(よかった!)、わくわく楽しいツアーでした。

 

納骨堂

 
 

清掃

 
 

原告の話を聴く

 
 

電気公社チームと

 
 

キムチづくり講習会

 
 

西大門刑務所跡

 

 私達を迎えた金景錫さんは「私は命がけ。命かけて闘います」と語り、拉致問題に触れ、「拉致された家族の苦しみは、誰よりも私達がわかる。私達は50年以上生死確認を求め、遺骨を探し、苦しみ続けているのだから。日本人も、私達遺族の痛みにも想像力を働かせて欲しい。コネズミ(小泉)日本政府のやり方は、逆拉致だ」と明解に語られた。いまだからこそ、戦後補償裁判を強く語らなければと力が入りました。さて力が入るとお腹もすいて、この夜は春川名物[タッカルビ]で舌鼓をうちました。

 23日は、朝から納骨堂の清掃とサッカー。納骨堂は金景錫さんが私財を投じられて改修し、非常に立派になっていました。日本より持参したお供え物を供え、皆で礼拝し、清掃をしました。報道陣に取り囲まれて緊張しながらも、昨年参加メンバーは慣れたもの。若い福祉労働者の細川君と寺坂君は鍬を持つ手も鮮やかに頑張りました。清掃後、GUNGUN原告・吉光植(キルカンシク)さんのお話を聞き取り。「徴用先の福岡の炭鉱で、不発の発破を手にしたときに暴発し、右手を怪我した。(親指がなく、第1〜4指は変形)5〜6ヶ月治療した。双子の弟は私より先に日本に行き、消息が知れない」 。19歳から6年もの炭坑生活、利き手を損傷した不自由なその後、50年以上帰らぬ弟さんを待ち続ける思い・・・。映像担当の加藤さんの目を通して、ビデオカメラにしっかりと取り込まれました。
 この日の昼食は、「カルビタン」。これが、何というのかおいしい!最高やね!試合前にはちょっとヘビーかな?なんて思いながらも、平らげました。

 いよいよサッカーです。今年の我らのチームカラーは「赤」。ユニフォームは真っ赤。東京から参加の海野さんは「いやーこれはうれしいなー!」を連発。今年の対戦相手は、電気安全公社の職場サッカーチーム。結成後3ヶ月で、ワールドカップに触発されて結成したとのこと。GUNGUNチームのメンバーが足りないので、相手チームから助太刀を4名いただいて、監督は大阪から参加の李亥鎮(イ・ヘジン)さん。
 前半中盤で、あろう事か、細川君の強烈なパスが留学生の丁(チョン)さんの右顔面を直撃!結果は大事には至らなかったが、細川君はショックからしばらく立ち直れず・・・。
 今年大いに頑張ったのは誰あろう、事務局長の古川さん。ゴールキーパーを努めました。最初はパンチングで防ぎ、その後はぷよぷよした胸やお腹にがっちりボールを受けとめて、前半は無得点で折り返し。本人は「ドッチボールを思い出した」とのこと。しかし、キック力はなく、蹴り出したボールが全くのびず、ぽとんと落ちて・・すかさずゴールされてしまったのでした・・・!
 何と云っても頑張ったのは、後半再出場の丁さん。相手チームのボールに、ちょこちょこと近づいては奪い、いつの間にかキーパーと一対一。得点にこそつながらなかったが、すごい根性!やっぱ未来の大阪のおばちゃんやね! さらに後半中盤で、監督からの交代の指示を待ちきれず自主参加の東京の加藤さん。走る、走る。やっぱり重量級のカメラ・ビデオを担いで走り回ってるだけのことはある。カットもするし、パスもできる。おみそれしました。結果は2−1で、ちょっと悔しい試合でした。

 サッカーのあとは、垢すり体験とキムチ講習会。垢すりは女性陣だけが希望しました。感想は・・・あなたも来年参加して体験すべし! キムチ講習会は、金景錫さんの奥さんの日本語教室のお友達と、料理学校の先生が私達のために準備してくださいました。そのキムチをいただいて、日本に持って帰ってきました。

 翌24日は最終日。朝早く春川を出発し、ソウルの西大門刑務所を見学。日帝時代、抗日運動に闘った朝鮮の人々に何をしたのか・・・。歴史を歪曲しようと目論んでいる人たちに、「事実」を塗り替えることはできないのだと語っているようでした。
 細川君が近づいてきて「ひどいですね。拷問死の写真を見ました。すごいことしたんですね」「(日本人も精神的に)ぶっとばされてたんですね」と。そう、人間の心をなくしていた過去を清算し、正常な知識人の心で、最も近い国・韓国の人たちと、友人として交流していきたい。

 「サッカーをしたり、清掃したり、キムチを作ったり・・・原告の方たちと直接触れ合い、交流することにこのツアーの意味があるのですね」と丁さんがツアーの感想を締めてくれました。私達の大切な友人の問題として、もちろん日本人としての自分自身の問題として戦後補償の運動に取り組むために、市民レベルの草の根交流「ボランティア・ツアー」。さあ!次はあなたも参加しましょう!(小川)

※紙面の都合上、参加者の感想は次号で!

 
読書案内
 『続・平壌からの告発
   日本軍慰安婦・強制連行被害者の叫び』

        伊藤孝司 著、写真   風媒社ブックレット 800円+税 

  あとがきに「日本人拉致被害者には思いを寄せても、他民族に対しておこなった拉致について関心を示さない日本。自らの痛みの大きさに気づいたのならば、他人に与えた被害の深刻さを知るべきだ」とあるように、朝鮮を植民地支配する中で、労働者や日本軍「慰安婦」として拉致(強制連行)した事実を明らかにしています。第一章:墓標なき海に収録されている「太平丸」被害については、GUNGUN原告、朴鉉東さんにも重なります。写真からも証言者の心の叫びが伝わってきます。ぜひ、一読をおすすめします。(木村) 
 

GUNGUNインフォメーション

12月13日(金)日本製鉄元徴用工供託金裁判(11:30 東京地裁606号)
12月14日(土)イラク攻撃反対!有事法制廃案国際連帯集会
          (18時 東京・労働スクエア)
12月15日(日)アフガニスタン国際民衆法廷
          (10時〜16時、東京あいおい損保新宿ホール)
12月25日(水)小泉靖国参拝おかしい人発言名誉毀損裁判第3回公判
          (10時 大阪地裁202号) 
 1月22日(水) GUNGUN裁判第5回公判
          (16時 東京地裁722号)
 1月24日(金) アジア訴訟団台湾学習会(18:30エル大阪)