在韓軍人軍属裁判を支援する会ニュースレター 「未来への架け橋」 NO.16 (2002.12.8発行) |
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2002年11月23日、第2回ボランティアツアーを開催。 韓国、春川の納骨堂の前で手を合わせる参加者。 |
拉致被害もGUNGUN原告も痛みは同じ
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「父の苦しみと家族の苦しみに
10月23日午後4時30分より、GUNGUN裁判の第4回口頭弁論が開催されました。当日は、韓国から原告・李侖哉(イ・ヨンジェ)さんが来日し、法廷で陳述しました。 裁判所から「争点整理案」が出される 法廷では、裁判所から、「争点整理案」なるものが出されました。その中で裁判所は、原告側に被告が主張する「国家無答責」や「日韓協定に基づく措置により請求権消滅」についての反論や「安全配慮義務」の具体化を求めるとともに、被告・国に対しても「靖国神社に対する回答義務が憲法13条、20条2項、憲法前文に違反しないことを主張されたい」「(遺骨返還義務・死亡状況説明義務が被告にあるという原告の主張について)認否・反論を検討されたい」としています。 法的な面と、事実立証の両面で、原告・弁護団・支援する会一体となった取組みが求められています。 李侖哉さんの父親が乗っていた船は「浅間丸」?!
この日の口頭弁論の前に行なわれた厚生労働省での確認、そして事前にお願いしていた「戦没船を記録する会」の調査で、李侖哉さんの父・李花燮さんは、徴用船「浅間丸」に乗船し、船と共に戦没した可能性が高いことが分かりました。李花燮さんが死亡したとされる1944年11月頃日本軍は、連合軍のフィリピン上陸作戦に備え、台湾・満州等からフィリピンに兵員を輸送。「浅間丸」は台湾からマニラに兵員を輸送し、帰国する軍人軍属ら約1400人を乗せて帰国する途中、東沙島沖で11月1日魚雷により沈没し、多くの人が亡くなりました。すでに制空権も制海権も失った日本軍の無謀な作戦が李花燮さんを死に追いやったのです。
次回口頭弁論は、1月22日(水)午後4時から、東京地裁722号法廷で行なわれます。 |
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新年に追加提訴! シベリア抑留者をはじめ103名が
昨年6月に提訴した時から韓国側から要望の高かった追加提訴が新年早々実現します。 |
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未来を築く日韓市民の共同作業! 「マンツーマン・サポート」で原告と直接対話する支援を!
第4回公判で来日した李侖哉さんのお父さんのことがいろいろと判明する中、呼びかけ人の内海愛子さんより、下記のようなメールが送られてきました。
原告一人一人にサポーターをつけては?という提案です。皆さんどうですか?自分のサポートする原告を決めてみませんか。ちなみに原告関係の死亡地、最終配備地を地図に落としてみたところ(おおよそですが)、南洋群島、ニューギニアなどで死亡されている方が非常に多いことがわかります。 |
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強制労働跡にタイムスリップ タチソ・フィールドワーク報告
11月17日、洪仁成(ホンインソン)さんにタチソのトンネル群を案内していただきました。洪仁成さんは成合北の町に住む在日2世。大阪市内に住んでいたお父さんが大阪大空襲にあい、難を逃れて成合に来られたとのこと。
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いやがらせをふきとばせ! アボジチームとサッカー親善試合
10月12日、生野朝鮮初中級学校アボジチームとGUNGUNチームの二回目の交流試合が行われました。仕事を終えてからということで夜8時からの試合開始。さすがサッカー大好き青年の集まり。夜の校庭でボールを追っかける姿は真剣そのもの。会場には、日本製鉄元徴用工裁判で通訳をしてくださっている李東石さんの姿も。聞くとご子息が在学中にサッカーをしておられたとのこと。試合観戦そっちのけで、学校建設の話などを伺っていて、いつのまにか交流試合も終わっていました。GUNGUNみんなで作ったタペストリーをアボジチームに贈りました。みんなで、もっともっとなかよくなろうというメッセージを一人一人が書いたものです。「拉致問題によるいやがらせが頻発するなか、朝鮮学校には激励の電話などももちろんとどいていますが、形のあるものは大変、うれしい」と喜んでいただきました。二次会ではざっくばらんな話で大いに盛り上がりたのしかったです。(大幸)
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日韓市民レベルの交流広げる 第2回GUNGUNボランティア・ツアーを開催(11/22〜24) 直前に風邪が流行し、4名がキャンセル。14名(内6名が初参加)で行ってきました。サッカーも形になって、健康が危ぶまれた金景錫さんもお元気で(よかった!)、わくわく楽しいツアーでした。
私達を迎えた金景錫さんは「私は命がけ。命かけて闘います」と語り、拉致問題に触れ、「拉致された家族の苦しみは、誰よりも私達がわかる。私達は50年以上生死確認を求め、遺骨を探し、苦しみ続けているのだから。日本人も、私達遺族の痛みにも想像力を働かせて欲しい。コネズミ(小泉)日本政府のやり方は、逆拉致だ」と明解に語られた。いまだからこそ、戦後補償裁判を強く語らなければと力が入りました。さて力が入るとお腹もすいて、この夜は春川名物[タッカルビ]で舌鼓をうちました。
23日は、朝から納骨堂の清掃とサッカー。納骨堂は金景錫さんが私財を投じられて改修し、非常に立派になっていました。日本より持参したお供え物を供え、皆で礼拝し、清掃をしました。報道陣に取り囲まれて緊張しながらも、昨年参加メンバーは慣れたもの。若い福祉労働者の細川君と寺坂君は鍬を持つ手も鮮やかに頑張りました。清掃後、GUNGUN原告・吉光植(キルカンシク)さんのお話を聞き取り。「徴用先の福岡の炭鉱で、不発の発破を手にしたときに暴発し、右手を怪我した。(親指がなく、第1〜4指は変形)5〜6ヶ月治療した。双子の弟は私より先に日本に行き、消息が知れない」
。19歳から6年もの炭坑生活、利き手を損傷した不自由なその後、50年以上帰らぬ弟さんを待ち続ける思い・・・。映像担当の加藤さんの目を通して、ビデオカメラにしっかりと取り込まれました。
いよいよサッカーです。今年の我らのチームカラーは「赤」。ユニフォームは真っ赤。東京から参加の海野さんは「いやーこれはうれしいなー!」を連発。今年の対戦相手は、電気安全公社の職場サッカーチーム。結成後3ヶ月で、ワールドカップに触発されて結成したとのこと。GUNGUNチームのメンバーが足りないので、相手チームから助太刀を4名いただいて、監督は大阪から参加の李亥鎮(イ・ヘジン)さん。
サッカーのあとは、垢すり体験とキムチ講習会。垢すりは女性陣だけが希望しました。感想は・・・あなたも来年参加して体験すべし! キムチ講習会は、金景錫さんの奥さんの日本語教室のお友達と、料理学校の先生が私達のために準備してくださいました。そのキムチをいただいて、日本に持って帰ってきました。
翌24日は最終日。朝早く春川を出発し、ソウルの西大門刑務所を見学。日帝時代、抗日運動に闘った朝鮮の人々に何をしたのか・・・。歴史を歪曲しようと目論んでいる人たちに、「事実」を塗り替えることはできないのだと語っているようでした。
「サッカーをしたり、清掃したり、キムチを作ったり・・・原告の方たちと直接触れ合い、交流することにこのツアーの意味があるのですね」と丁さんがツアーの感想を締めてくれました。私達の大切な友人の問題として、もちろん日本人としての自分自身の問題として戦後補償の運動に取り組むために、市民レベルの草の根交流「ボランティア・ツアー」。さあ!次はあなたも参加しましょう!(小川) ※紙面の都合上、参加者の感想は次号で! |
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『続・平壌からの告発 日本軍慰安婦・強制連行被害者の叫び』 伊藤孝司 著、写真 風媒社ブックレット 800円+税 あとがきに「日本人拉致被害者には思いを寄せても、他民族に対しておこなった拉致について関心を示さない日本。自らの痛みの大きさに気づいたのならば、他人に与えた被害の深刻さを知るべきだ」とあるように、朝鮮を植民地支配する中で、労働者や日本軍「慰安婦」として拉致(強制連行)した事実を明らかにしています。第一章:墓標なき海に収録されている「太平丸」被害については、GUNGUN原告、朴鉉東さんにも重なります。写真からも証言者の心の叫びが伝わってきます。ぜひ、一読をおすすめします。(木村)
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GUNGUNインフォメーション
12月13日(金)日本製鉄元徴用工供託金裁判(11:30 東京地裁606号) |