在韓軍人軍属裁判を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.15 (2002.10.5発行)

 

経済協力でなく個人補償を!

 
 

弁護団報告集会に集まったGUNGUN原告
2002年10月1日 ソウル

 

 9月17日、小泉・金正日による初の日朝首脳会談が行われ、両首脳は日朝共同宣言に署名しました。共同宣言では「日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びを表明」し、@財産および請求権を相互に放棄し、A国交正常化ののち日本側が経済協力を行うこと、Bその規模と内容について正常化交渉で協議することが確認されました。私たちは、65年日韓経済協力方式の援用は真の過去清算とはいえないことを強く主張します。「拉致問題」を交渉取引に使おうとする日本政府を許さず、「過去の清算」をはっきりさせなければなりません。確かに「拉致」は犯罪行為であり許せません。
 しかし過去の自国の犯罪行為や与えた苦痛に対して看過・黙認しながら、他国の犯罪行為だけを一方的に指弾する言動とそれを煽るマスコミ報道、そしてそれに続く朝鮮学校等に対するいやがらせ等は絶対に許されません。戦争被害者が望むものは真相究明であり、被害の正当な補償です。これは「拉致」被害家族とも共通の要求であることを日本人として認識しなければなりません。「生死確認を」「遺骨の調査を」「未払い給与・軍事郵便貯金の返還を」GUNGUN原告と同じ切実な要求が共和国内にも存在します。「経済協力でなく個人補償を!」の声を日朝交渉に反映させましょう!
 

次回GUNGUN裁判第4回公判は、10月23日(水)16時30分東京地裁710号法廷です。

 

「BC級戦犯者」遺族を迎え、第3回公判!
矛盾だらけの国側答弁

  9月11日(水)午前11時30分より、第3回口頭弁論が行なわれました。口頭弁論そのものは短時間で終わったものの、靖国問題が重要な争点に浮かび上がった口頭弁論でした。
 まず、最初に、すでに提出されている原告の準備書面V(国の靖国合祀への協力)、被告の準備書面U(上記原告準備書面への答弁)を確認し、前公判で裁判所より提出の通知のあった書証が確認されました。
 原告準備書面Vは、1956年厚生省引揚援護局長名で出した「靖国合祀事務に対する協力について」通達などを具体的にあげて、靖国合祀が靖国神社と国が一体となって行ってきたことを明らかにしました。これに対して、被告・国は、下記のように、「靖国合祀事務に対する協力」を通知しながらも、これは援護行政のためで靖国合祀ではないと矛盾した答弁をしています。
 公判は急ピッチで進んでいます。
 

靖国合祀をめぐる原告及び被告の準備書面(抜粋)

原告 準備書面V

被告 準備書面U

「(1956年合祀協力通知の別冊第一)第4項は、事務要領の大綱について定め、その3においては、靖国神社は引揚援護局から回付された戦没者カード(祭神名票)によって『合祀者を決定し』『合祀の祭典を執行する』と規定されており、日本国と靖国神社とが一体となって合祀を進め、あるいはむしろ日本国が主導して戦後の靖国合祀を行なっている事実が明らかになっているのである。

 「別冊第一 靖国神社合祀事務協力要綱の内容」に原告らが指摘する記載があることは認めるが、「日本国と靖国神社が一体となって合祀を進め、あるいはむしろ日本国が主導して戦後の靖国合祀を行なっている」とする部分については否認ないし争う。
 旧厚生省(引揚援護局)は、靖国神社から戦没者の氏名等の照会を受けた際には、一般的な調査・回答業務としてこれに対して回答していたが、合祀の決定及び実施は、靖国神社の判断である。

「第6項では、合祀事務協力に係る『経費は、国庫負担とする』と銘記されており、靖国合祀のための経費は日本国が負担するということが明らかになっている。」

「靖国合祀のための事務経費は日本国が負担する」とする部分は否認ないし争う。

 


原告・羅鐵雄(ナ・チョルウン)さんを囲んで
空白を埋める父の同僚との出会い

 
 9月11日、第3回公判終了後、「原告・羅さんを囲む集い」を開催しました。会場には、羅さんの父と同じ体験を余儀なくされた李鶴来(イ・ハンネ)さん、兪東祚(ユ・トムチョウ)さんが駆けつけてくれ、羅さんが知ることのなかった空白の部分が明らかにされました。12日には、父・三祚(サムチョウ)さんが収容されていた巣鴨プリズン跡地を同僚の案内で訪ねました。


 

「戦犯者」にさせられた羅鐵雄さんの父

 父は、羅さんが3歳のときに徴用。解放後も父は帰ってこず、母は教会の手伝いをしてわずかな収入を得て暮らしました。父は、羅さんが21歳のときに帰ってきました。死んでいたと思っていた父の突然の帰国は、言葉では表せないほどの感激でした。「BC級戦犯者」として「有罪」判決を受け、刑務所生活を余儀なくされた父は手ぶらでは帰れないと思い、釈放後もすぐには帰国できなかったのです。その父も生活は苦しく、1982年に他界しました。

一緒に徴用された仲間

 駆けつけた仲間の一人・兪さんは、羅三祚さんと一緒に徴用され、俘虜収容所に配置され、「戦犯」の汚名を着せられ、チャンギー刑務所から巣鴨プリズンに移された同僚です。1942年に俘虜収容所の監視員(いわゆる、コウリアン・ガード)として徴用され、解放後も祖国には帰れず125名が有期刑を受け巣鴨プリズンに収監されました。直属上司の日本人将校は、裁判が始まる前は「責任は全て私にある」と言っていたのに、裁判では「私には全く責任はない。部下がやったこと」と責任を転嫁。「無茶苦茶だよ」と兪さん。

みんなで要求して闘う

 李さんは語ります。「巣鴨プリズンでは、@差別待遇の撤廃 A即時釈放 B釈放後の受け入れ体制の補償を要求。仮釈放となっても仕事もなければ蓄えもない。日本政府からの何の手当てもない。日本人には手厚い保護があるにもかかわらず、我々には何もない。闘わざるを得なかった。仲間で「同進会」を作り、相互に助け合った。日本人篤志家の援助でタクシー会社を始め、何とか生活できるまでになった。日本政府には35年にわたり謝罪と補償を求めてきた。裁判では8年間闘った。しかし、何も解決していない。今、立法化を求めている。 
 

応援しています!!  同進会 会長  李鶴来(イ・ハンネ)

 
 

李鶴来さん(左)と兪東祚さん(右)

 

 グングン裁判の第3回公判に原告として羅鐵雄さんが来日されました。昨年来日されたときもお会いしたのですが、ゆっくり話す時間がありませんでした。今回はゆっくり話しをすることができました。羅さんの父親・羅三祚さんは私たちの同僚で、同じ巣鴨プリズンで苦労した仲間です。力が強いので「羅将軍」と呼ばれていました。
 私たちは、日本軍軍属として強制的に徴用され、3000余名が俘虜収容所の監視員として配属され、解放後も、日本軍の責任の肩代わりをさせられ、「捕虜虐待」などの責任を負わされ、刑務所生活を余儀なくされたのです。148名の朝鮮人「戦犯」のうち23名は死刑となり、残る125名は終身刑などの懲役刑を受けました。こんな非道な、条理を逸したことはありません。
 恩赦により釈放されてからも苦労の連続でした。仮釈放されても仕事もないのです。勿論、日本人のように恩給などもありません。日本人の篤志家の援助でタクシー会社を始めることができましたが、「戦犯タクシー」とも呼ばれました。1956年頃から、謝罪と国家補償を求め、35年にわたり日本政府に要請をし、また、8年間にわたって裁判を行なってきました。しかし、日本政府は全く応えず、司法の判断は「立法化」を促す付言判決というものでした。

 

父の話で涙ぐむ羅鐵雄さん

 

いま、裁判の支援会は、「韓国・朝鮮人『BC級戦犯者』の補償立法をすすめる会」に改組し、法案を作り、国会議員などに働きかけ、立法化を求めて運動をすすめています。羅さんは、新たに提訴しましたが、大変だろうと思います。しかし、私たちは全面的にバックアップをします。支援する会の皆さんも大変でしょうが頑張ってください。


 
今年もボランティアツアーを開催!
11月22日(金)〜24日(日)、25日(月)に
   
 

春川の納骨堂

 

 昨年に引き続き、今年も韓国・春川にある金景錫さん(太平洋戦争韓国人犠牲者遺族会会長)の建立した強制連行被害者の納骨堂を清掃ボランティアし、その後地元のサッカーチームと親善交流サッカー大会を行います。過去に目を背けずに、未来への友好を築くツアーです。ぜひ一緒に韓国へ行きましょう。GUNGUN原告との交流や、豊かな春川の自然に触れるプログラムも計画中です。連休中のプランですので早めにお申込みください。
 

11月
22(金)
成田・関空⇒仁川  貸切バスで春川へ
到着後:納骨堂の下見・翌日準備  夜:金景錫さん・原告との交流
23(土) 午前:清掃・供養塔への石積み  午後:日韓市民親善交流サッカー大会
夜:対戦チームとの交流
24(日) 午前:ソウルへ 午後:西大門刑務所を見学後自由
夜:仁川⇒成田・関空
25(月) 自由行動(希望者) 夜:仁川−成田・関空

 

昨年参加の細川鉄平くんより(メッセージ)
 

細川くん(右から3人目)・納骨堂で

 
   

 昨年サッカーをしに韓国へ行きました。政治的・歴史的な問題点を理解するといった目的は正直いってほとんどありませんでした。しかしサッカーを通じ、韓国の方々と酒を飲みながら色んなことを交流し、相手チームの方々を「好き」になりました。もっと仲良くなるにはどうしたらいいだろう。相手のことを知り歩み寄る形で接すればもっと仲良くなるのではないか・・・日本へ帰り日本と韓国の問題が自分の中で現実感を持ち始めました。歴史の事実の中できちんとしなければならないことが多くあると思う。当事者の感情は想像すらできないものがあるかも知れない。ただ相手のことを理解しようとするのも感情からくるものなのです。僕はサッカーがきっかけでこの問題に現実感を持ちました。この旅行にはそんなきっかけがたくさん転がっています。ソウル・トゥ・ソウルの旅に一緒に行きましょう!

 

いやがらせをはね返そう! サッカー練習
ボランティアツアーへ向けて

  この間サッカー交流を続けてきた朝鮮初中級学校(アボジチーム)に対して、「拉致」問題便乗のいやがらせが起こっています。偏向的な報道といじめ的な行為を恥ずかしく思います。こんな時だからこそ、ボランティアツアーに向けてサッカー練習を行います。終了後はビールで交流しましょう!


10月12日(土)19時半 生野朝鮮初級学校グラウンド
         18時半 JR鶴橋駅(大きい方の改札)集合

 
ソウルからの留学生だより  丁 智恵(チョン・ジエ)さん
    
 
 

丁智恵さん
(7月映像に残すツアーで)

 
   

 韓国で暮らしていると、日本との相違点で、とくに私が感じているのは「公共」に対する感覚です。韓国では人と人の距離が近く、街を歩いていても皆一定のルールを守っているような気がします。それが「礼節」というものなのかも知れないですね。初めて訪れた方は、道を歩いていて他人にぶつかられても、謝ったりもせずに通り過ぎていくので、なんて無礼なんだと感じるかもしれません。しかしバスなどが混んでいるときに、重い荷物を持って立っていると、座っている見知らぬ人が、何も言わずにその荷物をひざの上に載せてくれるのです。お年寄りが乗ってきても、若者は何も言わずにそっと席を立ち、お年寄りも何も言わずに座ります。この光景は、韓国を訪れた方なら多く目にされたことでしょう。そして、どうして何も言わないんだろうと疑問に思われた方もいるかも知れませんが、言葉を多くは必要としないのです。私は、韓国社会は「個人の総合」ではなく、「家族」であるという認識があるのではと感じています。街角にある誰でも水を飲めるようにした浄水器も、韓国社会と日本社会の違いの象徴です。日本では、韓国の街角の浄水器は安全面で実現不可能でしょう。公共に対する信頼心、家族意識、そして近年の個人主義化の到来によるゆらぎ、韓国社会は今まさに変化の真っ只中にあります。
 

弁護団が訪韓し裁判報告 9/30春川・10/1ソウル

 
 

ソウル集会で報告する李宇海弁護士

 

 9月末、GUNGUN裁判の弁護士4名が訪韓し、原告を前に4月に始まった法廷でのやりとりや、課題、展望について報告しました(春川で約25名、ソウルで約100名の原告が参加) 。
 まず李宇海弁護士から、訴状の説明と靖国合祀絶止の意味合いを、殷勇基弁護士から韓日併合条約が無効とする主張からの違法性を、古川美弁護士からは軍人軍属という契約行為(雇用や給与支払い等)に対する違法性を、鶴見弁護士から提訴以降の法廷でのやりとりの現状についての説明を分担して行い、今日の戦後補償裁判を取り巻く厳しい情勢とその背景について説明しました。

(原告)「なぜ供託した事実までわかっているのに返してくれないのか?」
(弁護団)「日韓請求権協定に基づく国内によって、韓国人が日本に請求する権利が消滅したことになっている。」
(原告)「それならこの訴えも無駄なことではないのか」
(弁護団)「何をもって無駄とするのかだ。何もしなければ何も変わらない。裁判だけでは解決しない。日韓両政府に立法措置をさせなければならない。」

といった率直なやりとりを通じて、GUNGUN裁判が持つ意義について議論を深めまし
た。原告の皆さんからは「困難な中で支援してくれている日本の弁護士や支援の皆さん
に感謝したい」という声が寄せられました。(古川)


 

GUNGUN原告知ってねコーナー

「遺骨返還を求める」 朴梅子(パクメジャ)さん

 

 

映像を残すツアーでともに
踊る朴梅子さん

 

 今年7月の映像に残すツアーに参加して、ソウルで朴梅子さんに会いました。「私の名は日本にもある名・・」とソウルの屋台で隣り合わせたときに、自己紹介されました。両親と姉2人の5人家族で農業を営んでいたのですが、暮らし向きは大変で、家族を助けるために「金儲けになるから」と、軍属としてお父さんは徴用されました。写真と便りが何回か送られてきましたが,1944年4月1日に死亡通知だけが届きました。このとき朴梅子さんは1歳になったばかり。全てのことは、お姉さんから聞かされました。お父さんが亡くなったあと、お母さんは勧められて再婚し、お姉さんたちは叔父宅に、梅子さんは母の実家に・・と、貧しさの中で家族は離ればなれになりました。厚生省に問い合わせ、やっと第4海軍施設部に軍属として配属され、供託金が6888円あることがわかりました。遺骨は,1948年に送還されたことになっていますが、家族のもとには届かず、不明のままです。
 「家族を助けるための」徴用がお父さんの命を奪い、家族のためのお金さえ手渡されず、遺骨さえ帰らず、朴梅子さんの悲しみはどんなにか深いのに、訪韓した私達を屋台で、カラオケで明るく接待し、好意を寄せてくださいました。生まれてすぐに父を奪われ、1歳で父を亡くし、遺骨が帰らない悲しみ・・・肉親を理不尽に奪われた60年に近い永きにわたる嘆きは、北朝鮮に拉致された家族の嘆きと同じものだと思います。どちらの嘆きも私の胸に迫ります。日本が過去の戦争で、何十万という他国の人々を強制連行・徴用したのは、「拉致」に等しい行為だと思います。日本人は拉致された家族の痛みに共感し、朴梅子さんの痛みにも思いを馳せるべきだと考えます。(小川)

読書案内 『「大東亜」戦争を知っていますか』
          倉沢愛子 著    講談社現代新書  680円+税

  なぜ「大東亜」戦争と著者は呼ぶのか。歴史が歪曲されていく危機感から「お母さん」は、あなたに正しく事実を受けとめて考えて欲しい。そのためには、当時の日本政府の戦争認識に迫るために、あえて「大東亜」と呼ぶのだと、娘ロミさんに語りながら話は進められていく。私自身に語りかけられているような錯覚を受ける。驚くほどの丁寧さで史実が明らかにされていく。事実は歪めようがない。すばらしい「教科書」として、一読をおすすめします。(小川)

 
GUNGUNインフォメーション

10月12日(土)生野朝鮮初級学校アボジチームとのサッカー練習
           18時半 JR鶴橋駅集合
   23日(水)GUNGUN裁判第4回公判
           16時30分 東京地裁710号 終了後報告集会
   26日(土)東京団結まつり前夜祭/国際シンポジウム
           労働スクエア東京(地下鉄「八丁堀」)
   27日(日)STOP!戦争と首切り10・27団結まつり
           10時 亀戸中央公園(JR亀戸駅)
11月 3日(日)反グローバリズムだ国際連帯だ11・3団結まつり
           10時 大阪中之島剣先公園
    8日(金)小泉靖国参拝違憲アジア訴訟第4回公判
           13時30分 大阪地裁
   19日(火)日本製鉄元徴用工裁判控訴審判決
           14時 大阪高裁
   22日〜  GUNGUNボランティアツアー

※グングン・ハングル講座(入門編・東京)/週一回ペースで行なっています。関心ある方大歓迎!
090-4220-5427(御園生)にご連絡を!