2012年2月4日〜6日

最高裁決定の報告と方針討議のために訪韓


春川で、「もう会えないのかと思っていたが…」(韓省愚副会長)

 
 

春川の遺族会事務所で

 
 

韓省愚(ハンソンウ)副会長

金景錫前会長のお墓で

 在韓軍人軍属裁判の最高裁決定(棄却)が出たことを受け、原告たちに説明するために2月4日から韓国へ渡った。地裁、高裁と判決が出るたびに「次回の審理で全力を尽くす」と言ってきただけに気の重い訪韓だった。まず、太平洋戦争韓国人遺族会での報告のため春川(チュンチョン)に向かう。日本列島を大雪で包んだ寒波は緩んでいたが、ソウル市内を流れる広い漢江も上流に行くにつれ凍っていた。
 昼前に春川の事務所に到着、洪英淑(ホンヨンスク)会長をはじめ役員の方々が温かく出迎えてくれた。事務所の中にはこの12年間の闘いと、強制連行被害者納骨堂の草刈りボランティアを続けてきた日韓市民交流の足跡が写真などで展示されている。さっそく御園生関東事務局長と大口昭彦弁護士が最高裁決定の報告と今後の課題について説明した。
 「よい報告を持って来れず申し訳ない」お詫びの言葉から切り出した。
 2001年提訴前年の聞き取り調査から足かけ12年。この間、多くの関係者が亡くなった。発起人の金景錫(キムギョンソク)さん、浮島丸遺族の林西伝(イムソウン)さん、シベリア朔風会会長の李炳柱(イビョンジュ)さん、激戦のブーゲンビルを行き抜いた金幸珍(キムヘンジン)さん・・闘い半ばに倒れた方の思いをどう受け継ぎ、やり遂げるのか。また原告には夫が父が生死不明の方も大勢いる。彼らの無念の思いが最高裁で問われるはずだった。しかし一切が無視された。「日韓請求権協定及び措置法により解決済み」という壁を突き崩すことができなかった。展望を切り開いたものがあるとすれば、靖国合祀への国の関与に関して五つの要素を認めた東京高裁判決が確定したことである。「予算を取り」「要綱を定め」「組織的に」「長期的に」「直接的に」合祀に関与したと、極めて具体的に認めた。結論では「特に手厚く靖国神社を支援したものとも断定し難い」と逃げたものの、後の「合祀イヤです訴訟」大阪高裁の違憲判決に影響を及ぼしたことは間違いない。また414名という大訴訟団を構成する原告一人ひとりの陳述は、日本の犯した植民地支配の過ちや戦争犯罪を証言する、まさに「生きた教科書」だった。だからこそ、今日の日韓に広がる運動に発展したのである。また原告たちの運動は、韓国内での「真相糾明法」や「支援法」成立に結実した。一方、裁判は終わっても、課題は残ったままだ。靖国合祀の問題をはじめ、遺骨調査、戦地追悼巡礼、軍事郵便貯金記録など、どれも「請求権協定で解決済み」にあてはまらない。今後の運動にかかっている。また韓国人シベリア抑留者やBC級戦犯の補償立法化についても全力をあげる決意を伝えた。
 12年間の運動を振り返った上で大口弁護士は、「先般の韓国最高裁判決を受けて、李明博大統領が慰安婦問題の解決を日本政府に直接求めた。情勢は動いている。ノーハプサ訴訟も続いている。政治運動として今後も努力していきたい。途中、金景錫さんの死という悲しい出来事はあったが皆さんとの友情と信頼関係を築くことができた。今後とも継続した取り組みをよろしくお願いしたい」と語った。それを受け、洪会長は「皆様の努力に感謝している。今後も力をあわせてやっていきたい」と返した。
 韓省愚(ハンソンウ)副会長は、「私の兄はフィリピンで戦死したことから、戦地追悼巡礼事業の委員になっているが、中国では祭祀のための食料を持ち込むことが問題になったり、フィリピンのミンダナオでは現地に上陸できず、船で祭祀を行ったと聞いている。また日本国内が巡礼の対象になっていない」と事業の問題について語った。その後、韓副会長から「最高裁判決が出てもう会えないのかと思っていた。今後も会えるのか」との声に、「もちろんです。今後とも手を携えてがんばりましょう」と大口弁護士が応えて報告会を終えた。みんなで記念撮影し、春川タッカルビの昼食後、金景錫前会長のお墓参りに出かけた。見晴らしのよい高台に眠る金景錫さんのお墓にそれぞれが顔を寄せ来訪を報告し、日本から持っていったお酒で祭祀を行った。

 
 

李煕子(イヒジャ)代表

遺骨問題は遺族が終わりを宣言しない限り続く(李煕子さん)

  翌日、ソウルで太平洋戦争被害者補償推進協議会の李煕子(イヒジャ)代表、金敏普iキムミンチョル)執行委員長と今後の課題について話し合った。李煕子さんから遺骨問題に関して、「日本人遺族の立場から遺骨調査をやってきた岩手(太平洋戦史館)の岩淵さんの取り組みがヒントになる。調査を始めたきっかけや説明を聞きながら韓国政府への要請内容を固めていきたい。何もしなければ何も得られない。調査が難しいか難しくないかは遺族が現地に行って判断すること。遺骨問題は、遺族が終わりを宣言しない限り続く。岩淵さんに来てもらって説明を聞けば韓国でも方法がつかめるのではないか。6月に日韓市民宣言運動の集会を行うので岩淵さんを招請したい」と決意が語られた。また、岩淵さんとともに企画する「韓日合同パプア巡礼民間外交使節団」についても韓国政府への働きかけなどの具体化が話し合われた。また軍事郵便貯金に関しては、ゆうちょ銀行が保管している郵便貯金の記録を韓国政府に引き渡すための取り組みが話し合われ、さっそく2月20日に行われる総務省、金融庁との交渉に李煕子さん、金敏浮ウんが同席することが決定した。李煕子さんは「そもそも貯金の存在も、それが支援金に反映されるということも知らないことが問題」と語った。
 この日の昼食は、推進協議会の配慮で、韓国シベリア朔風会の李在燮(イジェソプ)会長たち3名とともにとり、語り合った。李在燮さんは昨夏の来日以降、調子がよくないとのことで、以前は毎月行っていた会合も今は2ヶ月に一回、集まるのも4名とのこと。「解決を早く!」との思いを新たにした。

 

韓国シベリア朔風会のみなさん

ソウル原告集会

 
 

大横断幕

大口弁護士

 
 

真剣に聞く原告

権水清(クォンスチョン)さんと再会

 

 そして午後は事務所のあるビル5階の植民地支配時の記録展示フロアを会場にして報告会が開催された。前面には弁護団と支援メンバーのカラー写真を載せた大横断幕が飾られている。開始前にはフロアに入りきらないほどの原告がつめかけた。140ページの分厚い資料も準備されている。今回の最高裁決定の資料はもちろん、提訴から今日までの新聞記事や写真などがまとめられている。横断幕や立派な報告集の製作の速さと完成度の高さには、いつもながら感服する。
 前日同様、裁判結果とこれまでの成果、そして今後の課題について報告を行った。熱心に聴いている原告皆さんの表情は温かだった。日本側の発言が終わるたびに笑顔でうなずき拍手を送っていただいた。敗訴の報告会というより、これが新たな出発点という感じだった。質疑を受けて、金敏浮ウんが軍事郵便貯金について報告。グングン原告の高熙大さんの申請が今年1月19日付けで支給決定された。貯金額3462円に対し、1円あたり2千ウォンの決定である。問題はその成果を全体化するために、いかに貯金資料を日韓政府間で引渡しさせるかだ。郵便貯金問題をはじめ、靖国、遺骨問題など、今後の運動方針討議が深められた。
 報告会の最中から後方では、李熙子さんや女性陣が手づくりの小正月料理を準備していた。日本でいう七草粥のようなもので、10種類の草や穀が入っている料理とのこと。終了後参加者みんなで食べて飲んで交流する、韓国流のやり方は提訴時と変わっていない。私は飛行機の関係で中座したが、退出時に一人ひとりから笑顔で握手を求められ、全員と握手した。最後に出口の前で大きく手を広げている男性がいた。権水清(クォンスチョン)さん、お父さんが沖縄戦で生死不明の遺族で、6年ぶりの再会である。感激で抱擁しあった。12年間の運動で大きくした日韓市民の連帯の力で、残された課題を解決したい。そう決意を固めた訪韓だった。 (古川)