2011年11月11日〜14日

韓国から遺族2名と、岩手から岩淵さんを招いて遺族集会を開催−遺骨と記録に「解決済み」は通用しない


 戦後66年が経過した今なお、亡き父や兄の消息が知らされていない遺族が韓国にいます。日本政府は「日韓請求権協定で解決済み」と言うが、遺骨やどこで生活を送ったかの記録については当てはまりません。昨年11月11日から14日にかけて、一昨年に引き続き韓国から2人の戦争動員被害者遺族を招いて、大阪で証言集会を開きました。 (古川)

テーマは「遺骨と郵便貯金」

 今回のテーマは「遺骨と郵便貯金」。多くの戦争動員被害者は、逃亡予防のために貯金を強制的にさせられていました。貯金の記録がわかれば、どこで労働していたかがわかるはず。一昨年、福岡貯金事務センターに戦後全国の企業から集められた朝鮮人の貯金通帳が存在していることが新聞に載りました。その後の調査で、軍事郵便貯金が70万件、外地貯金が1866万件のほか外国人の郵便貯金が存在していることが判明しています。軍事郵便貯金とは、軍隊と共に動く野戦郵便局や海軍軍事郵便局のことで、約400箇所存在したといいます。外地貯金とは、旧外地(朝鮮、台湾、関東州、樺太、千島,南洋、沖縄)の郵便局で預け入れた貯金のこと。金融庁は、これまで「保管してある通帳について記載情報の整理を進めているが、通帳が数万冊に及んでいるうえ預金者名の一部が読み取れない通帳があり、整理を継続中」と調査に応じてきませんでしたが、今回ようやく「現存確認申請」が受理されました。郵便貯金の資料は、@行方不明の父・兄の記録としての意味を持つ A遺骨さえ戻らない中で死者の形見になる B韓国内の「支援法」によって支払われる支援金の積算根拠となる といった重要な意味を持っています。
 
来日遺族と「ゆうちょ銀行」窓口に

 

ゆうちょ銀行で回答を聞く

 
 

父の写真を説明する崔洛さん(右)

 

 今回来日したのは、崔洛(チェ・ナックン)さんと南英珠(ナム・ヨンジュ)さん。調査の結果を聞くために、お二人とともにゆうちょ銀行大阪支店を訪れました。崔さんのお父さんは、42年に日本に渡しました。福岡の炭鉱で働いたらしく、家族宛に送られた「協和訓練隊員昭和17年9月13日 記念撮影」と書かれた写真以外に何も資料が残されていないません。崔さんにとって郵便貯金の確認申請は、藁をもすがる思いで行ったものです。
 窓口サービス担当のF課長と、上司のHさんが対応。しかし回答は「お二人の資料はありません」でした。「こういった問題のマニュアルが決まっていないため回答は口頭でしか行えない」と言います。調査が手作業で行われている点に対して「調査対象が何件で、どの範囲をどのように調べたのか」との質問に「ゆうちょ銀行本店の広報しか答えられない」の一点張り。南さんの場合、ニューギニアに動員されていることから軍事郵便貯金があるはずで、記録がないこと自体が不可解であり、不満が大きく残る回答でした。しかし一方で、申請すれば回答するという流れを作ったのは画期的な一歩です。今後国会議員を通じて総務省、金融庁に指導を求めたいと思います。また韓国での支援金の算定にも関わるため、全資料を韓国政府に引き渡すべきで、今後の課題です。ゆうちょ銀行では、追加で3人の記録開示を申請し、この日の行動を終えました。
 良い回答こそ得られなかったが、崔さんの表情は明るい。実は来日の前日、韓国真相糾明委員会から資料が届き、残された写真の裏に記載された父の同僚が、福岡県の「貝島炭鉱」で働いていたことが判明したのです。昨年3月に日本政府から韓国政府に渡された供託記録から判明したものと思われます。父の記録はわからないままではあっても、昨年から確実に一歩ずつ解明に近づいていると確信しているのです。

「韓日合同パプア巡礼民間外交使節団」としてニューギニア訪問を検討

 
 

岩淵さん(右)と対面

 
 

遺骸の状況を説明する岩淵さん

 
 

兄と近くなったと泣く南英珠さん(右)

 
 

11・14 証言集会

 二日目には、南さんのお兄さんが亡くなったニューギニアに関して、日本人遺族の岩淵宣輝さんを岩手から招いて交流会を持ちました。南さんの兄、南大鉉さんは、42年に陸軍に動員され、その後の生死は不明。両親は亡くなり、兄の生死を確認しようと探し回った結果、2003年に記録をようやく確認。陸軍第20師団、歩兵第80連隊に配属され、44年8月にニューギニアのヤカムルで戦死していました。さらに驚いたのは、遺族に無断で靖国神社に合祀されていたこと。南さんが一昨年来日した際に、岩淵さんが今も年に数回ニューギニアを訪れて遺骨調査を行っていることを伝えると「ぜひ会いたい」というので、3月末に一緒に岩手に行く予定でした。しかし東北大震災が発生、日本側だけで岩手を訪問、交流し、今回の企画につながったのです。岩淵さんは、NPO法人「太平洋戦史館」の会長理事で、父が戦死したニューギ二アなどで40年以上、遺骨帰還活動を続けています。現地訪間は270回以上、1100を超える遣骨を日本に持ち帰っており、今年7月にもビアク島などで20人分以上の遺骸を発見しています。
 今回実現した韓日ニューギニア遺族の対面で、岩淵さんは「ヤカムルは海がきれいで、のどかな漁村。そこへ行く拠点のポートモレスビーに私の仕事の後継だった息子の墓がある。亡くなった人に近づくには、死んだ場所に行くのが一番。靖国などへ行くことなどありえない。南さんが今日ここまで来たことで、お兄さんとの距離が近づいている」と話すと、南さんは涙を流し「お兄さんと会えたような気持ちです」と応えました。「妹の私が遺骨を探して父母や先祖の恨みを晴らしてあげたい。岩淵さんの活動を聞いて、そこへ行って何かできるのではないかという気持ちが高まっている」と言う南さんの思いを受けて、ニューギニアへ行く話しが急速に進められました。岩淵さんの都合や天候のことを考慮して、来年8月末の開催予定で、ツアーの名称は「帰れなかった家族のために・韓日合同パプア巡礼民間外交使節団」。韓国と日本で実行委員会を作り、日韓の遺族が現地に行くだけでなくパプアとの交流親善を含めて行い、その企画への協賛を大きく広げていくという案がとんとん拍子でまとまりました。この日、南さんはお兄さんの遺影を抱いて寝たと言います。

 三日目には、「ゲゲゲの遺骸放置と靖国合祀・ニューギニア、韓国からの証言」と題して集会を開催。南さんは、「自分は70歳を過ぎて時間が残っていない。一日も早く靖国から兄の名前を除いて、遺骨を探し出したい」と決意を語りました。岩淵さんは、3月ニューギニア訪問時の写真を見せながら「こういう白骨化した遺骸がごろごろ出てくる。中には現地の生活ごみ捨て場の横から出てきた骨もある。死んだ人の思いを代わりにしゃべってあげるのが自分の義務。日本人は靖国という欺瞞を受け入れ、一方でこういう実態を見過ごしてきた。この人たちの人生は終わっていない。年に数度、無念の遺骨を抱いて帰国するが、その時に達成感を感じる。来年の8月にミッションを考えているが、民間が主導して若い人に伝えることが大事」と語りました。
 集会後の二次会で私は「戦後、遺族会の中から遺骨を返せという運動がなぜ盛り上がらなかったのか」というかねてからの疑問を、かつて遺族会青壮年部長を経験した岩淵さんに尋ねました。すると「戦前からの戦陣訓が戦後も生き続けた。出征するときに爪や髪を形見として残し、戦死しても死体は帰らない覚悟で出て行ったので遺族もそれを受け入れた」とのことでした。ニューギニアでの戦死者は東部、西部を合わせて20万人を超えます。その大部分が補給を無視した無謀な作戦がもたらした餓死と栄養失調での病死です。ニューギニア現地での遺骸放置の現状はそうした戦争の実相と、靖国の欺瞞性を包み隠さず66年後の今に伝えてくれています。ぜひこの日韓遺族の共同行動を成功させたいと思います。