2010年6月13日

「朝鮮総督府プロパガンダ映像を見る会」(大阪)


 6月13日大東市で、朝鮮総督府が1937年頃から1944年頃までに制作したプロパガンダ映像を上映、映画の背景と今上映する意義について藤井幸之助氏より解説していただいた。

 

藤井幸之助さん

 

 映画は前半に短編5本と後半に1時間40分にも及ぶ長編「兵隊さん」の計6本。
 短編の映像は、当時の朝鮮ののどかな町や農村の風景の中で、朝鮮の人々が、いかに自分たちの生活を切り詰め日本の戦争に協力しているかが描かれていた。男性は禁酒・禁煙で節約したお金を、女性は大切な金かんざしを、そして、毎日食べるお米からひと匙ずつ集めた米を上納する姿。創氏改名の講演で水野先生が“自発性の強要”ということを言われたが、生活丸ごとまさに“自発性の強要”であったことがわかる。
短編最後の「朝鮮時報」第11報「武運輝く武山大尉の生家を訪ねて」では、スマトラ島パタンバル飛行場攻撃で戦死した武山(崔さんの創氏名)大尉を空の軍神として、崔さんの生家で父母が弔う姿を映している。無言の遺族の映像に戦死を称賛する説明。息子の命が奪われた上に、その死を称賛し日本の戦争へ朝鮮の青年を動員するために利用された。映し出されるアボジの顔には、深い悲しみと、表すことのできない怒りを感じた。
 最後の長編「兵隊さん」は、3人の若者の訓練所の生活を通して、日帝がつくった兵営がいかに立派な場所かを見せる。規則正しい生活・充分な食事・デザートも充実・食後には娯楽の時間もあり、物わかりのよい上官は訓練生に温かい心配りを見せる。若者の成長を家族は目を細めて喜ぶさまも描く。まさに軍隊の現実とは無縁の“洗脳”の為に作られた映画だ。

 
 

神社参拝を強制

 会場には、交通の便の悪い所にかかわらず、20数名が、吹田や京都からも来ていただいた。映像の中に壮行会で“木曽節”を手拍子で歌う場面や、日常会話が日本語であったり、「なんでやねん」と思う場面がしばしば出てきた。会場で見ている間中突っ込みを入れたい場面が続出で、きっと皆さん最後まで我慢してもらったと思う。その分感想にたくさん書いていただいた。しかし、笑い飛ばしておれない内容だ。藤井氏より補足資料も加えて この映画の上映された状況や、保存から視聴できることになった経過も伺った。全く朝鮮の人々の生活も文化も無視して、服従させ戦争に動員する意図のもと制作された映画。しかも、当時1945年でも日本語を理解する人が35%という中で、村々を回って上映されていたそうだ。またこの映像はロシアと中国が保存していたフィルムを韓国でDVD化されたもの。日本にあって当然のフィルムであり、過去に学ぶためには大切な資料のはずである。感想にも上映希望とかいていただいたが、多くの方に見ていただきたい内容だ。