2010年3月28日

「創氏改名に見る日本の植民地支配」水野講演会(大阪)


 
 

水野直樹さん

 
 

神社への参拝を強制

 創氏改名とは、「朝鮮名を取り上げて日本式の名前をつける同化政策」ということとして、一般的に知られていますが、その狙いは、朝鮮の人々を「皇国臣民」として仕立て上げるためにありました。それまで朝鮮社会では父系の宗族集団を表す「姓」によって一族が強く結びついていて、家族が始祖を敬い大切にされてきました。それは、天皇を頂点とする日本の「家」制度とは相容れないもので、皇国臣民をつくる上では大きな妨げでした。そこで、朝鮮総督府は氏制度を創るため1939年に朝鮮民事令を改正し、40年2月11日(紀元節)から施行しました。8月10日までの届出期限を設けましたが、当初思うように進まず、朝鮮人官吏、有力者、行政機関や各種団体(愛国班)、学校などを通じて督励し、期限後は「戸主の姓を氏とし、家族全員が同じ氏を名乗る」ことで強制的に創氏を進めました。しかし創氏にあたって、警察局長は「改名すると誰が誰なのかわからなくなるので困る」といった反対論もありました。それに対して法務局は、「日本にある苗字にならうのではなく姓・地名・本貫などからつけること、また戸籍に姓・本貫を記載し、源流を把握できるので問題ない」と反論。改名は「なるべく従来の名を使用し、訓読みをする」という方針をとりました。要するに氏も名も日本人とは区別できる「差異化」を図ったのです。統計上は最終的に7割の人々が創氏改名をしましたが、すんなりと受け容れたわけでない事例も多くあります。仕事上は日本名を名乗っても、通常生活では本名を使っていたとも言われています。
 創氏改名については、麻生元首相が「朝鮮の人が望んだものだ」と言って韓国の人々を憤慨させました。今でもネットで、「創氏改名は強制でない」と主張する人がいます。水野先生は、パワーポイントを使い、朝鮮総督府の当局資料や当時の新聞、最近明らかになった資料に基づいてわかりやすく話してくださり、参加者一同それらの資料に引き込まれるとともに、上記の主張がいかに木を見て森を見ない偏狭な理屈であるかが理解できました。岩波文庫から水野先生の「創氏改名」が出版されていますので、皆さんぜひご一読を。(大幸)