2010年3月18日

長野県中川村の曽我村長さんたちと交流


 

役場前にてヒジャさんと曽我村長

 
 

湯澤さんと曽我村長

 
 

昼食をとりながら交流

 

 3月18日、ノーハプサ口頭弁論の為に来日された李熙子(イ・ヒジャ)さんは、裁判の後信州中川村へ。大阪から私と古川さんが中川村で合流し、19日村長さん&地域の方々と交流会を持ちました。
 中川村とは、長野県伊那市と飯田市の中間で南アルプスの麓にある村。この中川村の曽我村長は、村のホームページで長野県戦没者遺族大会、及び戦没者追悼式と靖国神社について「村長からのメッセージ」を発信。追悼式で必ずといってよいほど出てくる「戦争で亡くなった方々の尊い犠牲があって、現在日本の平和と繁栄がある」という言葉に疑問を投げかける。「“無駄ではなかった、意味があった”と信じたい遺族の方々の感情はよく分かる。しかし、“平和と繁栄のために犠牲が必要だった”という考えは危険“今後も平和と繁栄のためには、時として犠牲が必要となる。”という考えを誘い入れる」と。また、靖国神社についても、「併設される遊就館の展示は、長野県上田市にある戦没画学生追悼施設『無言館』とは対称的。戦没者を十把一絡げにし、自己犠牲の美化と忠君愛国の勇敢さが強調される。靖国神社は、純粋に戦没者を追悼する施設とはいえない」という内容。寄せられた批判意見に対しても丁寧に返信。「村の行政レベルを超えたテーマについても…村民の生活に大きく影響しかねない問題については、問題を提起し、皆で考え、全体の流れを村民に苦を与えないものにしたい。戦争を拒否する努力を不断に積み重ねていかなければ、日本は戦争のできる普通のありきたりな志のない国となる」と回答しています。

 到着時にはバス停まで村長の奥さんにわざわざ迎えに来ていただき、この日は村長自ら運転する「自家用車」に乗せていただきました。「電通」出身の曽我村長は、農村志向でたまたま中川村に家を構えたこと、町村合併で揺れる中川村にとってこれまでの村政を情報公開を使いながら検証する中でリーダーシップを村民に買われて村長になったこと、公用車など無駄を洗い出し、中川村のよさを引き出す村政運営に心がけていることなどを事前に伺いました。
 村役場では、曽我村長と湯澤村会議員の二人が対応してくださいました。今回ヒジャさんは、村長さんの姿に“村長さんは髭を蓄えたおじいさん”というイメージだったようで、若い村長さんにびっくり。村では近年、日露戦争当時の資料が見つかり、村の戦争協力の様子がわかるということで、NHKが最近取材に来ていることなども話していただきました。
 昼食時には、かつて映画「あんにょん・サヨナラ」をこの地で上映して下さった山下さん、遠野さんをはじめ地域の方々がイヒジャさんとの交流に参加、賑やかな集いに。皆さん映画を見て下さっていて、直接交流できたことを大変喜んでもらいました。ヒジャさんも「今まで活動できた背景には活動を支えてくれる人がいたから。単に勝利を得るということだけで、裁判を通してだけ得られるものでない。被害者達がどういう思いでいるか知ってもらう。話をすることで私も癒されるという思いでやってきた」と語っていました。
 山下さん、遠野さんお二人とも父親が中国戦線に従軍されたとのことで、「父が生きて帰ったから自分が生まれた。でも父親は飲んでは荒れ、多くを語らなかった」とのこと。現在に生きる使命からこういう活動を地道にされている話しを伺い、感銘を受けました。お二人にバス停まで送っていただく途中、前日民宿で聞いていた発電所に立ち寄ってもらいました。ここもかつて朝鮮人の労働力が投入された施設。村長を尊敬する民宿のご主人が「こういう事実を残さないといけない」と語っておられたのが印象的でした。
 遠野さんにはバスが来るまで寒い中見送ってもらいました。集まりを持つにも、大阪などに比べるとエリアが広く電車一本でというわけにはいかない地であるが、ここにもヒジャさんに心を寄せて活動して下さる方々がおられることに勇気をいただきました。 (木村)