2009年10月29日〜31日

グングン裁判控訴審判決行動(東京、大阪)


10月29日
 2009年10月29日、東京高裁でグングン裁判控訴審の判決があった。来日した原告たちとは東京で、李熙子(イ・ヒジャ)さんとは大阪まで行動をともにした。
 この日、法廷は大勢の傍聴者でほぼ満席になった。開廷後裁判所は、「マスコミのための撮影」時間として恩着せがましく2分間を確保後、いよいよ判決の読み上げ。大橋寛明裁判長らは、「主文、原告の訴えはいずれも棄却する。控訴費用は原告負担とする。」と言うなり回れ右して足早に退廷していった。その時間、わずか15秒だった。「理由を言え」「判決要旨も読み上げろ」「御用裁判」という怒号が法廷を包んだ。
 判決内容は、高裁判決としてはあまりにもひどい、お粗末としか言いようのない不当判決だった。私も落胆したが、原告たちの表情は本当に悲痛だった。直後の記者会見で原告たちは一様に、政権交代後出される判決への期待感が高かっただけに大きく失望したことを語った。

「失望が大きい」と国会議員会館で記者会見

 
 

李熙子さん(右)

洪英淑さん(右)

 李熙子さんは絶句して言葉がしばらく出てこなかったが、「97年に合祀を知ってから、どうやって責任を問えばよいのかを考え続けていた。死亡の事実も知らせずに、遺族に無断で合祀した。2006年の一審判決に比べ、今回の判決ほど失望したことはなかった。表現できないほど失望が大きい」と語った。また他の来日者も「今回、鳩山政権になり期待していたが、判決を見て胸が痛む。どこに希望があるのだろうか」(洪英淑さん)「日本の司法が多くの証拠に目を背けてしまった。残念だ。一審の内容から何ら変わっていないことに失望している。」(金敏浮ウん)と、政権交代後出される判決への期待感が高かっただけに大きく失望したことを語った。

靖国合祀問題で矛盾一杯の判決内容

 判決内容は、前述のとおりであるが、特に靖国合祀問題では、判決のいたるところに「矛盾」が噴き出している。(全文判決要旨
 「もっとも、上記行為をするに、国と靖国神社との打ち合わせが靖国神社において繰り返し開催されたことや、国の側から合祀の対象者について提案したとみられる行為が一部にあったこと、『なし得る限り好意的な配慮をもって』などという靖国神社合祀事務協力要綱の表現等に照らすと、国の側に一般の国民に対する協力よりも手厚く靖国神社の合祀支援をする意図が全くなかったとは言い切れず、その行為の規模の大きさや期間の長さに照らし、一般人がこれを靖国神社を特別に優遇するものではないかと感ずる可能性も否定できない」「社会通念にしたがって言えば、国の上記行為は、一般人に誤解を与えかねない行為として適切であったとはいえない」と違法性に触れながら、「特に手厚く靖国神社を支援したものとも断定し難い」「宗教的活動に当たるということはできない」と急転直下の判断をしている。「勇気のない」判決としか言いようがない。
 

「逃げに逃げた判決だ」
    夜の報告集会で高橋哲哉さん(東京大学大学院教授)

 
   

 これが高等裁判所の判決であると思うと情けない。逃げに逃げている。今回も「行政サービス論」を追認しているだけ。「戦後膨大な人数を合祀する必要があったから」と厚生省を容認した。これが問題なければ、これからもできるということになる。2003年イラク戦争の際に、非戦闘地域だからと自衛隊が派遣されたが、死者が出たときのために靖国合祀を検討している。しかし自衛隊は、現憲法下で組織的に靖国に合祀することは困難だと判断した。自衛隊のほうが今回の判決よりマシということになる。それがなければ成り立たない不可欠条件であるにも関わらず、『名簿提供と合祀は別だ』というのは、詭弁だ。
 

10月30日

シベリア抑留と靖国神社に分かれて行動

 落胆の重い空気が支配した判決日だったが、翌日の行動から原告は明るさと新たな闘いへの希望を取り戻していった。

 

全抑協の会員たちと

 

 シベリア抑留生存者の李炳柱さんと李在燮さんは、全抑協(全国抑留者補償協議会)拡大全国理事会・立法推進会議拡大世話人会に参加。全抑協では現在、「戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法」の立法化を目指して活動中だ。前日の判決報告集会の場で「日本人以外にも道を開く法案として準備中」と聞いた二人にとって、立法化の動きの情報は何にも替えがたい展望である。会議では高齢を押して全国からかけつけた抑留被害者から「日本人以上に韓国の被害者は苦労しているので何とかしたい」と激励を受けた。
 午後参議院会館内で行なわれた「日韓合同決起集会」では、共産党吉井議員が「南方での戦後労働には帰国後賃金が支払われたのにシベリアだけ未解決。時間との闘いだ」と発言。民主党円議員は「自民・公明を説得できれば通る。必死にがんばりましょう」とエールを送った。
 夕方には韓国からの二人を含めた代表団が首相官邸に入り、小川総理補佐官に要請書を手渡した。
この日の行動を終えた夜遅く、李在燮さんは「植民地支配下での私の日本人観は決していいものではなかった。差別や蔑視を受け、敵愾心で一杯だった。しかし皆さんと出会うことで、そういった気持ちは解けていった。お互いに尊敬しあう人達なんだと思うようになった。本当に感謝している。今日、総理官邸に入ることができたのも皆さんの支えがあったから。今まで苦しい中でも運動を続けてきてよかった」と一日を振り返っていた。

靖国神社・厚労省へ要請行動

 
 

靖国神社に要請行動

 一方この日、他の原告たちは靖国神社に赴いた。事前に大口昭彦弁護士から靖国神社側に、「たしかに貴神社とは既に裁判関係になってはおりますが、ことは故人となった父祖の慰霊・追慕という極めて厳粛な、人道的・宗教的な問題に関連しているのでありまして、法律が軸となる裁判というものが解決の手段として果たして最適かどうかは大いに疑問もあるところであります。」と、静かな雰囲気の中での意見交換を申し入れていた。そして代表5人が神社社務所の応接室で権宮司と会談した。
 神社側は、「以前に台湾の遺族がその民族的なやり方で霊を祖国に帰す儀式を行なったが、靖国神社はそれを妨げなかった」と言い、あなた方は韓国式のやり方で霊を持ち帰ればよい、私たちは私たちのやり方で慰霊する、という従来の姿勢で、双方の意見は平行線だった。しかし、靖国神社とその後行なわれた厚生労働省とのやりとりの中で、李熙子さんは次なるステージへの闘志を芽生えさせていた。

10月31日

「アジュマパワーを見せつけたい」 大阪報告集会で李熙子さん

 

イ・ヒジャさんからのプレゼント

 

 31日、大阪に移動して臨んだ判決報告集会で李熙子さんはこう発言した。
 「皆さんと会えてよかった。たくさんの友達ができたことが財産だ。この活動を通して人間関係が広がって、多くを学んできたことが、心の中で大きな財産になっている。しかしまだ終わっていないし、これからやらなければならないことがある。韓国で運動を広げようと思う。靖国神社と厚生労働省で対話したが、宗教法人化する前は日本政府の責任、後は靖国の責任という。厚生労働省は靖国に責任を転嫁している。国会議員と交流して決意が固まった。これからは、日本の国会議員の人たちと協力して進んで行かなければいけないと思っている。裁判を続けてきたことで傍聴者がどんどん増えていって、自分も高まってきたことが大きい。裁判していなかったら何も残らなかった。棄却は本当にがっかりしたが、このまま挫折するわけにはいかず、靖国とこれからも闘っていく。韓国アジュマ(おばさん)パワーを見せつけたい」と。

古川佳子さんからプレゼント

 
 

古川佳子さんとヒジャさん

 箕面から参加した「靖国合祀イヤです訴訟」原告の古川佳子さんは、映画「あんにょん・サヨナラ」に出てくる2005年、靖国神社への申し入れの時のことを「靖国に行ったときに韓国人にとっては未だに植民地支配を受けていることなんだということを感じた」と振り返り、「ヒジャさんと私が同じ土俵で闘うことを考えると身がすくむくらいの思いだった。韓国人は終戦後は外国人だと切り捨てられているのに靖国神社には合祀されている。日本人は侵略戦争に加担したわけで、ヒジャさんと同じところで闘うなんて恥ずかしくてできないと思っていた」と、日本人遺族として靖国に合祀取り消しを求めて闘うことの重要性と意義を語った。発言後、古川さんからヒジャさんにプレゼントが渡された。反戦歌人の深山(みやま)あきさんの歌集の韓国語訳本 『平和のための祈り』である。深山さんは、「心裂き 身を裂きたりな傲然と 性辱めは天皇の軍隊」「天皇の 命に送られ果てたりき 髑髏の兵の慟哭を聴け」など、朝鮮人戦争被害者や従軍慰安婦への思いと、痛烈な天皇批判を多くの歌にしている。手渡す際、古川さん、ヒジャさんはがっちり握手をした。未来に向けた日韓遺族の今後の靖国への闘いを象徴するようなシーンだった。

 2006年の一審判決で棄却された時は、次の目標である靖国神社相手の訴訟(後のノー!ハプサ訴訟)への決意を語っていた李熙子さん。そして今回も一時は落胆したが、翌日には新たな闘いへと踏み出す決意をしている。原告に闘う意志がある限り、この闘いは続く。長引いて困るのは国と靖国神社の側である。金景錫さん(2006年一審判決の翌日に亡くなった)が提訴の際に言った言葉が思い出される。「戦後補償の闘いは100年闘争になるかも知れない。しかし必ず勝利する。」
(古川)