2007年9月23日(大阪)

語り合おう!海をこえて 野ざらしの遺骨と「英霊」とのギャップ


 いよいよグングン裁判の控訴審が9月25日始まりました。

 それに先駆け大阪では、9月23日、原告の高仁衡(コ・インヒョン)さんと、ニューギニア島北西のビアク島で約70体の遺骨探しに参加された横山邦彦さんを招いて集会を開催しました

 連休中の中日にもかかわらず、ご参加いただきましてありがとうございました。

   
 

コ・インヒョンさん

 
 

横山邦彦さん

 

 高仁衡さんの訴えは、1943年に召集令状で徴用されたお父さんの遺骨を探して自分の家に祭ること、そして靖国神社の合祀を取り下げることです。高仁衡さんは、大変な苦労の中で成長し、ご自身が父親になって、なおさらに父・母の無念が胸に迫り、父が恋しくて、恋しくて・・生きている間に父の死の真相を知りたいと活動してきました。

 横山さんの訴えは、戦後63年・・・いまだに野ざらしのままの遺骨を現地写真で紹介し、いまならまだ誰かが特定できる。急がねばならない。百の論戦よりも「この事実を!」。これが日本の戦後処理の実態である。どんなに経費がかかっても、日本政府がやらなければいけない課題だというものでした。

 お二人の発言の前にオープニング企画として、日本青年会議所制作のアニメ『誇り』を鑑賞しました。あの太平洋戦争にいたる歴史を淡々と描いているようですが、アジアを守るために・・・という靖国史観に通じる意図がきちんと刷り込まれていました。愛する国・家族を守るために若い特攻兵は死んでいったのだ。しかしいろいろな評価があるから、正しい事実を知りましょうという語りで終わっていました。

 以下、集会での討議を要約します。

 愛する家族のために死んでいった人たちの死体が、荼毘にも付されず、野ざらしのまま散乱していることが、残された私達家族の本意でしょうか? 靖国神社で追悼されていたらそれで良しと考えるのが、私たちの考えかたでしょうか? いや、私たちはこうした事実を知らないのだ。だから、野ざらしのまま死体を放置して、気づかないでいるのだ。

 もしその死体が私の父であったら・・息子であったら・・愛する人であったら・・と、考えるだけで高仁衡さんや横山さんの悲しみと怒り、訴えが胸に迫ります。また大切な人を失った家族の生活がどのように変わってしまうものか、それは高仁衡さんの証言からも明らかです。
 
 集会のまとめで古川事務局長が「日本政府が骨を持っているという証拠がない(所有権がないものに請求はできない)と一審判決で私たちの請求を棄却しましたが、旧日本兵の遺骨は115万柱もまだ現地に残されている。どんな状況で残されているのか正しい事実を知りましょう。その事実の前には日本人も韓国人も台湾人も・・差がない。事実を突きつけて、日本政府に遺骨を探す努力をさせましょう」と、語りました。

 さてこの集会のもうひとつのセールスポイントは、子ども全交の子供たちによるチャンゴ、太鼓演奏でした。集会に参加してくれた子供たちに、横山さんの現地写真や、高仁衡さんの訴えはどのように伝わったでしょうか。少し恥ずかしげに、でも誇らしげに拍手を受けるあの子達に心から「ありがとう」を言います。カムサハムニダ!(報告:小川)