2007年5月26日〜28日

金景錫さん一周忌・草刈りボランティアツアー


 
 

故キム・ギョンソクさん

 
 

思い出の旧事務所で

 
 

新事務所でホン会長(左)と

 
 

草刈り

 
 

一周忌記念式典


 2001年から始めたボランティアツアーも今年で7回目。いつもは秋の旧盆に合わせるが、今年は金景錫さんの一周忌があり5月となった。私は第一回目から欠かさず参加させてもらっているが、春川の事務所に行けば、 キム・ギョンソクさんが満面の笑みで迎えてくださるのが最大の楽しみでもあった。昨年、今年と春川の事務所に向かうのが寂しい。でも今年は、東京から韓国初めてというメンバーも含めて参加があり、春川の駅に着くとホンさん、李先生、ノーハプサの原告でもあるヨ・ミョンファンさんが各々車で私たちを出迎えて下さった。いつもお世話になる方々に会えるとホッとする。

 次の日朝からいつもの事務所に集まるが、ここももうすぐ移転ということで参加者全員で記念写真を撮る。キム・ギョンソクさんの思い出の事務所の中や入口も写真におさめる。次に、建設中の新事務所にも立ち寄り、中を見せてもらう。関連の団体が一つのビルに事務所を構えるようで、江原道が建設しているとのこと。外観もオシャレで中の会長室も広い。「お客さんをたくさん迎えられる」とホンさん。ここの事務所費は何と光熱水費のみ。韓国では真相糾明法が通り、戦争被害者がやっと市民権を得たということだろうか。

 そして、納骨堂へと向かう。そこに日差しが暑く感じられる中、勢いよく育った草が私たちを待っていた。手当たり次第に抜いたり刈ったり、キム・ギョンソクさんのお墓の周りや明日お客さんを迎えるあたりは丁寧に掃除しスッキリしあがる。ひと汗かいて皆満足。 キム・ギョンソクさんのお墓にお参りし、納骨堂にも手を合わせた。

 お墓の横には石碑が建てられている。碑文はキム・ギョンソクさんが生前用意されていたもので、「此処に強情ぱりな老人が日帝の鎖から切り抜けて此の國の残存親日勢力を払拭する為一人きりで半生を捧げ闘った。二度の法廷勝利で怨みの多い霊を慰めた」と。理不尽な日本の国を相手に闘ってこられた キム・ギョンソクさんの志を私たちの心に留め、未だ解決していない戦後問題の解決に力を尽くしていきたいと思う。

 翌日朝からは一周忌記念式典が催された。李熙子さんの姿も見える。まずは石碑の除幕式。現地のマスコミMBCも取材に来ている。経過報告の後、韓国側を代表し、朴聖圭・日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会事務局長と、金鐘大・太平洋戦争犠牲者遺族会会長が弔辞を読み上げる。続いて日本側から谷川透・日本鋼管訴訟を支える会代表、古川雅基・在韓軍人軍属裁判を支援する会事務局長、山田博・不二越訴訟弁護団長が、それぞれ弔辞を読み上げた。それぞれの言葉に生前の キム・ギョンソクさんの歩んでこられた闘いの歴史と業績がしっかりと刻まれていて、参加者みんなで確認しあう、いい式典だった。(木村)


 


参加者の感想


【山本進さん】

 

左から伊藤さん、山本さん

 

 金景錫さんは日本軍の行った強制連行や強制労働を一番初めに告発しました。今、日本では憲法が変えられようとしています。日本国憲法は戦前・戦中に日本がアジアの民衆に対して行った事実の反省にたって成立しました。一周忌に金景錫さんの業績を検証し、日本国憲法を守ろうという気持ちを新たにしたいという意味で参加しました。追慕式では日本から3名が代表して弔辞を述べましたが、金景錫さんの運動の力強さがひしひしと身近に伝わってきました。戦争と侵略の事実は今更ながら、日本での改憲の動きとは到底相容れないという思いを強くしながら聞きました。金先生の残した「明日地球が滅ぶとも今日りんごの木を植えよう」との言葉はみんなに受け継がれるんだなあ、との実感です。また、春川に来る前、ソウルに立ち寄りましたが、タプコル公園に3・1独立運動の銅版のレリーフ10枚が張られていました。日帝への抵抗と残虐さを印象的に示しており、歴史を伝えていこうとする意思を感じました。また、今韓国の経済は活発な成長をしていることが、あちこちに高層マンションが林立していることでよくわかりました。

【伊藤精史さん】

 私は東京の荒川で昭和10年に生れています。下町での戦中や「朝鮮人」に対する偏見の中で育ちました。戦後の民主主義教育を受けても、しばらくはその偏見は体のどこかにこびりついていたと思います。近年、平和運動の中で日韓の問題に遅ればせながら自覚できたというのが正直なところです。金景錫さんのことを話しに聞き、是非、記念式に出てみよう、特に戦後補償の問題に以前から関わってきた人たちと一緒に行くことで、深いところで韓国を理解することができると思ったわけです。金景錫さんという一人の人間が一身を投げうって真実のために闘ったこと、その過程で日韓両国の人々が固く結ばれていったことはよくわかりました。金先生の奥さんをはじめ遺族会の方々と日本側の人たちが長年に亘って培った信頼関係の只中に入れていただいて感謝しています。また春川の自然の美しさが印象に残りました。遺族会の人たちは私たちを風光明媚な昭陽湖へ連れて行ってくださいました。湖上を船で渡ってからハイキングを楽しみました。五峰山の緑の山腹と頂きを背景に清平寺が目に入ったときの感動は忘れられません。最後に、印象というより反省ですが、ハングルが全く読めないことで三日間フラストレーションを味わいました。再訪のときは看板、標識ぐらい読めるようにしておきたいと、つくづく思いました。