2006年11月4日

善隣友好の証 朝鮮通信使の足跡を尋ねて        


11月4日大正駅周辺フィールドワーク感想記(小川秀人 さん)

 

宮木謙吉さん

 


 朝鮮通信使? 正直、この年(57歳)になるまで聞いたことがなかった。スタート前JR大正駅で簡単な説明。案内役はFWコーディネーターの宮木謙吉さん。軽快でわかりやすい語り口と、何より持参して下さった、当時の風景や通信使を描いた絵で、たちまち江戸時代へとタイムスリップ。500人以上の大使節団と聞いて、またビックリ。1607年の第1回目から、300年の間に12回も行われたそうだ。見物人は数十万人。秋田や遠い地方にまで、通信使の人形が残っているという。

 
   

出発は大阪、木津川 河口

 川辺近くに「百済橋」の記念碑が建てられている。海には5隻の豪華船が到着し、ここらあたりで日本の船に移る。日本側の手厚いもてなしと歓待ぶりが、絵から十分に伝わってくる。秀吉以後、日本は朝鮮半島には悪いことばかりしてきたとの思いしかなかったが、こんな友好の歴史があったとは・・・。新鮮な驚きと喜びだった。

船に残った船乗り達にも友好のもてなし

 

「金漢重」の墓

 

 日韓相撲大会を企画したり、船乗りなど残った人たちとも様々な交流があったそうだ。印象に残ったのは、人権寺の別名がある竹林寺。病気で死んだ通信使「金漢重」の墓が世紀を超えて(あの戦争の時も)丁重に守られてきたことだった。しかも、死ぬ間際に残してきた子供を思いやる姿に、同じ年頃の日本の子供を枕元へよんであげたそうだ。死体は塩漬けにして、ふるさとへ帰された。そこには差別などかけらもない。朝鮮半島への、アジア諸国への差別意識は明治以降の「政策」によって「作り出された」ものと痛感したフィールドワークだった。
 最後に、今回、もう一つの目から鱗の話。通信使の行列を描いた当時の「北斎」の絵。正面に日本のシンボル富士山、そして、屋根の上には眠りネコ。「日光東照宮の正面にもこのネコが描かれている」と、宮木さん。「ネコは金を招くのではなく、平和のシンボルとして描かれている」我が家には、跳んだり、跳ねたりの平和の猫が3匹もいる。この話だけでも参加して良かった!!