2006年9月22日〜24日

第6回納骨堂草刈ボランティアツアー


金景錫さんが亡くなって初めての秋夕を前に

 
 

納骨堂の中で

 
 
 
 
 

歌の披露

 
 

宋琅錫さんと呂明煥さん

 
 

イムジン江を望む

 
 

向こう側に見えた建物

 9月23日10時すぎ、秋とはいえないほどの強い日差しの中、春川の納骨堂のまわりを囲むフェンスの錠を開け、テントを立て、草刈りを始めました。
 去年は一面に草が生い茂っていた納骨堂の裏は、今年はさっぱり。金景錫さんのお墓が作られたあと遺族会の手で整地され、芝も植えられました。ところどころに残る草をむしりながら、去年の金景錫さんの姿を思い出していました。いすに腰掛けて石塔をつくる様子を見守る姿が今でも浮かびます。思うように身体が動かないもどかしさから、石を積む私たちに大きな声で指揮をとってじっと見守っていました。
 8月の集中豪雨でフェンス前の一部は陥没していましたが、そんな風雨にも耐えてどっしりと立つ石塔を眺めていると、金景錫さんが「日本政府がきちんと反省するまでは孫や子に引き継いで100年訴訟として闘うぞ」と幾度となくおっしゃっていたことが、思い出されました。

金景錫さん作の詩を披露!

 お墓の前で、ツアー参加者で黙祷したあと、金景錫さんが作られた歌詞に曲をつけて歌わせてもらいました。
 たった一人で裁判闘争を始めた思いと、自分をずっと支えてくれた奥様への感謝を込めた詩です。生きていらっしゃる時に聞いてもらって一緒に歌いたかったです。今後の遺族会は奥様と2人の副会長さん(崔さんと韓さん)で運営されると聞いています。今回はゆっくりとお話することもできませんでしたが、また機会があれば思い出を聞かせていただきたいと思いました。

春川をあとに江華島へ

 GUNGUN原告の呂さんと宋さんに昼食をごちそうしていただいた後は、江華島に向かいました。
 3時間ほどかけて到着した場所は、地元の海水客が利用する民宿でした。民族問題研究所と太平洋戦争被害者補償推進協のメンバーが用意してくれたバーベキューを屋外でわいわいと食べて、飲んでおなかを満たした頃には総勢16名に。海岸で花火を楽しんだ後は、2次会で撮影・編集で苦闘したスタッフに感謝をしながらしりとり歌合戦をして大盛り上がり。東京からかけつけた20代の「あんにょん・サヨナラ」上映スタッフも旧知のように楽しめた一夜でした。

南北の分断を実感!

 翌朝の江華島めぐりのハイライトは、通行許可証をもらって、統一展望台からイムジン江のむこう側の共和国をウォッチングしたひとときです。駐車場の近くではカラオケの大音量。テントの下では年配の人がすわっています。聞くと、「脱北者」を慰労する催しだとのこと。
 きつい階段をあえぎながら上って展望台に到着。イムジン江のむこうには、木々の緑が少ない山々が見え、合間に人が住んではいない、見せかけの灰色の建物が立ち並んでいます。望遠鏡に500ウォンを何枚も入れて必死で人影を捜します。歩いている人や、自転車に乗っている人の姿を見つけるたびにみんな大騒ぎ。
 流域には田んぼが広がっていました。かつては、農民が米や野菜を作り、自由に川を渡って自由に行き来していたはずです。イムジン江を境に北と南に分断された村は今や警備兵によって守られる警戒地域となってしまっているのです。
 南北離散家族の再開事業が取り組まれていることをテレビで見たことはありますが、こうして分断された村に来て肉眼で2つの地域を見ることで、一刻も早い平和的統一が来ることを願わずにはおれませんでした。忙しい中、私たちを案内してくださった民族問題研究所のソ・ウヨンさんと金さんに、カムサハムニダ。(大幸)