2005年10月7日〜11日

ランティアツアー200 5(第5回)


石を運び、砂利を敷き詰め、馬耳山のお坊様の指示に従って・・・
慰霊塔の建設に協力させていただきました!  「腰が痛い〜」 
(小川)

 金景錫さんが、日本全国を回っても探すことのできなかったお兄さんの遺骨の代わりに、韓国名がわからないまま日本の各地に納められていた547体の遺骨を引き取って、納骨堂を建設されたのが6年前。その後GUNGUNも草刈りボランティアや合同慰霊祭に関わらせていただくようになって、今年は5周年目にあたる記念すべきツアーでした。
 金景錫さんは、9月に手術をされたばかりでしたが、今年は何としても供養塔を建設するという強い意志をお持ちでした。「私の財産といえるものはすべてこの納骨堂に注いできた。もう私には何もない。ここが私の運動と人生の証だ。死ぬまで、私がここを守っていく」と、語られました。金景錫さんは、今年引っ越しされましたが賃貸です。9月の入院費も長男さんが用意されました。私財を投げ打って、納骨堂の建設に尽力されてきたのです。石積み作業を見つめる景錫さんの目は、かわいいお孫さんを見つめるときの慈愛に満ちた眼差しでした。
 韓国の山々からの情報を集め、選び抜いた石が馬耳(マイ)山のお坊さんの指示で、GUNGUNの私たち、真相究明法の委員さんたち、ソウルの推進協議会の人たち、春川の原告のかた、みんなの力で2日がかりで石積み作業を行い、供養塔が完成しました。(よーく、写真をご覧ください)一方でたっぷり伸びた草もきれいに刈り取り、納骨堂全体がきれいになりました。
 慰霊祭も例年になく盛大でしたが、私はソウルの李熙子さんやオモニ達と春川の地でともに語り笑いあえたことが、忘れられない思い出です。推進協議会の皆さんも、ソウルから大挙して慰霊祭に参加されたのです。「チング!」「キムチー!」あとはジェスチャー。片言のハングルと身振り手振りで、不思議ですね、心は通いあっていくようです。
 こんなに同じ顔をして、同じような生活習慣を持つ民族を、なぜに迫害し苦しめ殺戮してきたのか・・・人として考えている限り、答えは出ない。それならば、私は徹底して「人間として」を原点にGUNGUNの運動に関わり、「人間として」許されないことは清算し、過ちを起こさないためにアジアの人の、世界の人の中で考えることを、忘れないようにしよう。