「60年後の出会い」 2005年7月16日 大阪


「60年後の出会い」(大阪)60名の大人と子ども20名参加で成功!

 GUNGUN裁判本人尋問の翌々日の7月16日、大阪で「60年後の出会い」(主催:同実行委員会)を開催しました。李熙子さんが「『あんにょん・サヨナラ』が、暗かった過去を変えていく道筋になる」と挨拶。『あんにょん・サヨナラ』の試写を(もっと見たい〜!)の恨めしい声を残して、集会メイン企画・原告との膝を交えた交流分散会が始まりました。

 
 

終了後の交流会で熱唱する李炳柱さん

 私はシベリア抑留を体験された李炳柱さんの分散会に参加しました。交流時間は短かったのですが、どんなに李炳柱さんの人生が狂わせられ、苦しめられたか・・・加害責任を痛感しました。一場面だけ紹介します。
 植民地支配に対してどう感じているのかという質問に李炳柱さんの答えは、「捕虜収容所で、自分たちは韓国人だと主張するために旗を掲げようとしたが、日本の徹底した皇民化教育のせいで112名の韓国人捕虜の誰一人テグ旗(大極旗)を描くことができなかった。私たちはテグ旗(大極旗)を見ることなく育ったのだ。これを植民地支配と言わずしてなんだというのか!」というものでした。また李炳柱さんは「私は過去のわだかまりを消すために裁判を起こしている。司法府だけでも良心の一片を見せて欲しい。良心と人情で判断して欲しいと裁判長に頼んできた」とも発言されていました。歴史を歪曲しようとしている集団に、この事実を突きつけたい。こうした事実を知らしめていくためにも『あんにょん・サヨナラ』の上映活動は非常に意味のある行動だと思います。

 

 

金幸珍さんの分科会

李熙子さんの分科会

 今憲法改悪の動きの中で、日本は戦後60年間戦争を起こさなかったということが平和国家日本を強調するために使われますが、日本は過去清算をしていない国なんだということを、もっともっとアピールしなくてはいけないと思います。原告の人に日本の良心を伝えなくてはいけないと思います。

   

 集会の最後は、小中学生によるチャングの演奏と和太鼓演奏で盛り上がりました。本当に「出会い」を体現できた集会となりました。皆さん、ご苦労様でした。(小川)