2003年11月22日〜25日

ランティアツアー2003(第3回)


 今年の特徴は、原告の人々との間に、人としての「絆」の深まりを強く感じたことです。戦後補償裁判サポーターとしての私たちは、支援する会を立ち上げて4年目。植民地支配した者としての贖罪の気持ちのなかで、原告の方と向き合うときにいつも強い緊張がありました。その緊張には、重い気持ちが伴走していました。しかし今年のツアーは、緊張の中にも、共同作業を担う友人に感じるような、温かさを実感しました。この報告で、そんな思いはどこからきたのか・・・伝えられたらいいなと願っています。

 春川での金景錫さん、奥様の洪さんの笑顔。(とりわけ洪さんは活き活きされていた。)納骨堂の慰霊碑に積み上げた3年分の平和の意志(石)。一昨年、昨年の石はさして色あせることもなく、私や職場の人、街頭で呼びかけた人の心をとどめてそこに存在し、私たちを待っていたかのような懐かしさを感じさせてくれました。納骨堂の周囲は、金景錫さんが大切に手を加えておられる様子が、植樹された木や石塔にうかがえ、毎年訪れる約束の場所が美しく変化していることが何よりうれしかった。金景錫さん曰く、この日私たちは「歴史を磨いたのだ」と。う〜ん、やっぱり金景錫さんはすごい!どうして、こんなにも胸をうつ言葉で、私たちの作業を表現することができてしまうのでしょう。尊敬します。

キムチが完成!

 キムチづくりは、洪さんの「とても美しいお店」というリサイクル福祉ショップで、ご近所の主婦たちの協力をうけて、簡単な英語、身振り手振りで、笑いの絶えない共同作業でした。生牡蠣の入ったキムチは、絶品!ひとつキムチを仕込んだら、絶品の生牡蠣キムチを互いの口にご褒美として放り込んで、愉快!おいしい! 事務局長の古川氏は何とも不器用で、指導者のオモニをハラハラさせ笑わせていました。東京の御園生氏は、 意外にも器用! 金景錫さんは、「そんなに入れたらダメだ!」と一喝指導者。一喝されたのは誰でした?

 ソウルでの原告集会は、エリム食堂で開催。大阪花キャラ隊の西野、尾山さんの歌声でオープニング。尾山さんの高く柔らかい歌声に誘われて、原告の崔乙出(チェ・ウルチュル)さんが身体を揺すっていた。2001年の初めての原告集会を思い出す。互いにピリピリしながら、私たちは日本人としての贖罪を背負い、原告は信用していいのか距離を置いて私たちを見つめていました。しかし、この日の集会の空気は、年来の友人を迎えるように温かく、まなざしは優しかった。裁判のたびに原告が来日され、「マンナッソ パンガップスムニダ!」(会えてうれしい)と、言葉を交わしあえる人が増えたことが影響しているのでしょうか。目を見つめ語り合い、知り合った同士は、憎みあうことなどできない。アジアの友人として新しい未来を築いていく共同作業をしているのだと感じました。その作業は、裁判の行程としては大変困難であるけれども、草の根の市民交流という視点で見つめると、階段を上り始めているのだと確信しました。

 集会で確認しあった「2005年キャンペーン」の取り組みは、日韓市民レベルの交流というグローバルな視点で、人としてふれあうことができる企画づくりから始めよう。それはとてもワクワクする作業になる。ソウルで、金銀植さん、李熙子さんと食事しながら、話は盛り上がりました。李熙子さんを招いて、キムチづくりの講習会を東京、大阪で開催しよう!というすてきな企画も生まれました。いいでしょう?
というわけで、ソウルの夜は今回もとてもソウルフルな夜でした。

 さて、ここからはオプション。最後の日は、李熙子さんと、シベリア抑留被害者原告の李柄柱さんの案内で、江華島(カンファド)へ。この島は李熙子さんの故郷。幾多の外侵から国を守った地。日本が江華島条約を締結させた地。そしてこの地は、良質な高麗人参の産地としても有名。私も購入してきました。高麗人参酒を仕込んで、販売しようなんて考えています。ソウルで販売できそうな小物や、韓紙も購入。サポーターの皆さん、販売にご協力下さいね。以上!報告でした。(小川)