2002年7月13日〜16日

グングン原告の証言を映像に残すツアー


 日本から11名・通訳ボランティア4名が参加し、ソウル・春川・光州に分かれて、生存者を中心に証言を聞き取り、ビデオに映像を記録しました。光州では生きながら靖国に合祀されている金智坤さんとお会いしました。
 ソウルでの原告集会では70名が参加。「供託金」や「追加提訴」に関する質問が出され、裁判勝利に向けた韓日市民が連帯して闘っていく意義が確認されました。

アジア太平洋戦争の全容がわかる証言!

 「映像に残すツアー」は、大成功でした。内海愛子さんからも「大変かもしれないが是非続けなければならない」と励まされ、この証言を一冊の本にしてはどうかという提案がありました。証言からアジア太平洋戦争の全容がわかるからです。ソウルで聞き取りした方々は、シベリア抑留(中央アジアから酷寒の地域まで3人)、ビルマ戦線に配備された方、ニューギニアの大部分戦死した島から生還した11人の一人、玉砕したクウェゼリン島からの直前に病気で生還した方、中国戦線河南省開封に配備された本原告(今回23名のうち3名が聞取りに参加)、そして、BC級戦犯者とはならなかったものの泰面鉄道やスマトラ銃弾鉄道の作業に捕虜を動員した方などなど、3日間だけでも多くのことを勉強することができたからです。そして、李熙子さん、李英燦さんの父親は同じ中国南部の無謀な作戦(「1号作戦」:中国とインドシナを貫させようという)の犠牲者と思われます。これがどれだけ無謀な作戦・戦争であったかは「飢え死にした英霊たち」(藤原彰著)によくでています。関東のグングン連続講座の講師、樋口雄一さんが言うように「まだわからないことが多すぎる」し、また朝鮮人戦死者が何人かわからない状況です。証言の記録は、アジア太平洋戦争を少しでも明らかにするものになるのではないかと思います。(御園生)
 

通訳ボランティア(学生さん)からの感想
【丁智恵さん】  〜生き証人の生の声を残したい〜

 聞き取り調査で感じたことは、まず、生存者の方と遺族の方との認識のギャップです。生存者の方々はやはりとことん皇民化教育を受けてらしたので、今でも日本に対する気持ちは愛憎入れ混じる複雑なものではあるものの、例えば日本人の戦友の話になると大変なつかしいような気持ちになられたり、日本の歴史人物に対して尊敬を抱いていたり(ちなみに金智坤さんは徳川家康についての本を10冊ほどもっていらっしゃいました)、一通りでない感情を抱いてらっしゃいました。考えてみれば当然のことですよね。生まれてから二十歳過ぎまで日本人としての教育をびっちり受けてらっしゃったわけですから。お年のこともありますが、過去のことはどうしようもない、未来に向けて韓日が仲良くやって行ってくれればそれが本望だ、というのが共通のお気持ちであるようでした。生存者の方が本当にご高齢であられるので、なんでこんなに時間が経ってまで日本政府は何もして来なかったのかという、歴史を封印しようとしてきた日本政府に対する怒りと、急がなければ間に合わなくなってしまうという焦りも感じました。もしこの方たちが亡くなられたら、日本政府にとっては本当に侵略戦争はなかったものとして封印されてしまう、だからこそ1日でも早く裁判を成功させなければならないんだ、そして生き証人である彼らの生の声を映像に残さなければ、と感じました。
 

【奥田 幸治さん】   〜次の世代が引き継ぎ「対話」を〜 

もともと戦後問題に詳しいわけではありませんでしたが、昨年11月のサッカー親善試合ツアーに参加したのをきっかけに、少しでもお手伝いできればという思いから翻訳作業をし、今回の聞き取りツアーにも通訳として参加させていただきました。通訳をしながら、生存者、遺族の方の心のなかの叫びを感じました。最終日、原告集会が終わってから遺族の方達と一緒に話をする機会があり、その中で忘れられない一言を聞きくことができました。「私達韓国人の心の中には未だに解かれない心の叫びがある。それを解くためには韓国人、日本人のお互いの’対話’が必要だ。そして一緒に歩もう」と。たとえ自分達の世代がだめでも次の世代の人たちが引き継ぎ、最後まで’対話’して欲しいという想いが伝わってきました。一言でも言葉が通じればお互いが理解しあい、良い感情が生まれてくると思います。今後も通訳という作業を通して日韓友好の架け橋を作るお手伝いができたらと思いました。