2002年2月17日

中谷康子さん 交流・学習会(大阪)


国家のために「死」を利用しようとする事への「公憤」


 穏やかに微笑むようにして語る中谷さん。そんな人が、30年も合祀拒否で闘い続けたのは中谷さんの言われたように「私憤」からではない。私達の人間としての基本的な権利を守るため。個人の人格権を踏みにじって、国家のために「死」を利用しようとする事への「公憤」であると感じました。信教の自由を侵害してまで合祀取り下げに応じないのは、靖国神社を自衛隊の精神的支柱とする危険なもくろみ以外のなにものでもない。 GUNGUN裁判での合祀取り下げ要求が、自衛官の死を「国のため」だと意味づける危険な動きをとどめることになると、中谷さんの優しい顔を見つめながら考えました。(小川)

中谷康子さんのお話(要旨)
◆自分の身の丈ほどの幸せとして結婚相手を・・・それがたまたま自衛官だった。敗戦から夫が死ぬまで25年。家族の幸せだけを考えて社会のことは何も考えてこなかった。夫の死後、息子を連れて夫の実家をでたのは、地に足をつけて教会で外のことを学びながら生活したいと思ったから。侵略のこと、人権のこと、権力のこと、岡部さんの冤罪事件・・・いろんなことが段々わかってきた。
◆85歳の渡部さんは、「息子を殺したのは国だけじゃない。私にも責任がある。靖国がそんなところだとは知らなかった。」と、一人で3万人の署名を集めた。その必死の姿に「本当の親の姿」を見た。その影響もうけて、靖国問題は許してはいけないと強く思った。その後に自衛隊から合祀が。お断りしたのに祀られた。「自衛官は国のために亡くなったのだから、合祀しないといけない。今後全ての自衛官を祀っていく」と私に語った。本当に腹が立ちこんな自衛隊の姿を知って欲しいと思った。
◆1968年に夫が死亡、69年靖国法案国会上程の動きのなかで、合祀拒否運動を支援する会もすぐに作られた。運動の途中で皆に迷惑かけている、何故私のような者が・・と考えて辛くなった。辛かったけど、私憤から抜け出ることができた。「弁護士、私、支援者がひとつにならないと勝てない!」私は私なりに選ばれたのだと思うようになった。
◆身近なことで一人でもできることとして、元号を使用しないことを私は貫いている。私と義父が別々の宗教で夫を祀ることは問題ではない。そこに国(国家権力)が介入してきたことが問題。