2001年8月24日

浮島丸・舞鶴フィールドワーク


 8月24日、浮島丸殉難追悼集会に参加のため再び舞鶴を訪れました。前回3月には、浮島丸犠牲者真相究明会のリ・ビョンマンさんから碑の前で「夢にまで見た故郷や肉親との再会を翌日にひかえて強制連行された朝鮮人労働者とその家族が、予想もしなかった大惨事により生命を失われた。真相はいまだ不明」とうかがい、深い憤りを感じました。
 今回の再訪は、事件の解決を求める被害者・遺族・支援者等と気持ちを共有し、GUNGUN原告にも生存者・遺族がいるため、学習を深めようと企画しました。
 折しも、浮島丸裁判の京都地裁の判決翌日ということで、かつてない多数の参加者とマスコミの注目の中での集会でした。判決は、国の安全配慮義務違反を幅広く解釈し、一部生存者に対し国に賠償責任を命じました。勝訴を確信していた国に痛打を与えた点で意義は大きいものの、原告・遺族たちにとっては、国の謝罪なし、真相究明なし等根本的な要求に何ら答えていない点で不満足なものでした。(国は9月3日に控訴決定)
 集会は、白い菊花に包まれた殉難の碑の前で、200余名の参加者が周りに集い黙祷から始まり、追悼する会の余江氏から追悼の言葉。続いて在日本韓国民団舞鶴支部、在日本朝鮮人総連合会三丹支部から追悼の辞。朝鮮・日本高校生から追悼の歌の合唱。最後に全員が菊花を海に献花しました。
集会後、リ・ビョンマン氏と交流を持ち、その中で、前日の判決の評価や真相解明に必要な資料を行政側が出さない問題点、教科書問題等の本当の意味での解決のために真実を明らかにすることが是非とも必要である等話を伺いました。
 午後、青葉山山麓公園・スポーツセンターを訪れ、整備されたキャンプ場を見学。まぶしい緑の芝生の中央の赤レンガの建物が実は、旧日本海軍の火薬庫であったことを聞き、舞鶴は今も戦争の歴史が消えていない町であることを知りました。最後は、五老岳に登り、港を一望。上から見ると鶴が羽を開いた形に見えるということが町の由来と言われる美しい舞鶴港の島の間を白いフェリー船がゆっくり動くのを見ながら、参加者の誰かが「この港には、戦争や軍艦は似合わないな」とつぶやいた言葉が、心に残りました。(大釜)