2001年6月16日

第2回グングン連続講座「靖国神社」フィールドワーク


 6月16日、第2回目講座を行いました。この日は、靖国神社のフィールドワーク。長年にわたり靖国神社問題に取り組んでこられた平和遺族会全国連絡会の西川重則事務局長に案内していただきました。

 大鳥居門前に集合。大鳥居門を出発点にし、約2時間かけて、靖国神社をぐるりと一周した。第二鳥居門横にある軍国主義教育の教科書にでてくる海軍、陸軍の「英雄」のレリーフが飾られ、神門の二つの大きな菊の紋、軍馬に大砲、人間魚雷“回天”の実物の一部が置かれ、また、悲惨を極めた泰面鉄道を走っていた機関車も「地域開発に貢献」したものとして堂々と置かれている。裏には、各部隊とともに憲兵隊の慰霊碑もある。展示のある遊就館は工事中で入ることはできなかったものの、まさに、天皇の神社であり、侵略戦争を肯定し、たたえる神社である。アジアの犠牲者のことなど一顧だにしていないのである。

 この霊璽簿に原告たちの父親の名が記載され、合祀されている。父らを死に追いやったその侵略戦争を賛美する神社に、そのために命を捧げた「英霊」として祀られているのである。

 戦後、靖国神社は政教分離により、表面上は一宗教法人として再出発したことになっている。しかし、国と一体の関係は戦後も続いている。

 1956年4月19日の厚生省援護局長名の「靖国神社合祀事務に対する協力について」という各都道府県への通知において「なしうる限り好意的な配慮をもって靖国神社合祀事務の推進に協力する」としている。

 政府は、戦後も明らかに憲法に違反して靖国合祀を一体になって推進し、原告らに苦痛を与えつづけているのである。

歌に見る靖国の本質

 戦前の歌に「上野駅から九段まで 勝手知らないじれったさ 杖を頼りに一日がかり 倅来たぞや 会いに来た」(九段の母)があります。「自分の息子じゃない、神様だという考えを持って戴ければなりません」(靖国神社宮司)。最愛の子どもを戦争で亡くした母が、靖国神社か夢の中でしか会えなかった。命を奪い、魂まで天皇制国家に奉仕させたのが「靖国神社」です。

(参考)『靖国神社』大江志乃夫著 岩波新書