GUNGUN裁判口頭弁論 ・省庁交渉の報告

(各回ごとに左端をクリックしてください)

Click 年月日

概  要

第1回 2002年 4月26日 李洛鎮さん、金幸珍さん、李熙子さんが陳述。遺骨返還、靖国合祀取下げ問題で厚生労働省、靖国神社と交渉。
第2回 2002年 7月 3日 李英燦さん、李永鎮さんが陳述。遺骨調査、生存者の靖国合祀取下げで厚生労働省、靖国神社と交渉。
第3回 2002年 9月11日 靖国合祀をめぐる原告及び被告の準備書面が提出される。BC級戦犯遺族の羅鐵雄 さんが陳述。
第4回 2002年10月23日 裁判所から争点整理案が出される。「父の戦死について日本政府から何の通知もなかった。真相究明を」と李侖哉さんが陳述。
第5回 2003年 1月22日 「お墓も作れない。 父の遺骨と未払い金を返して!」と呂明煥さんが陳述。内閣府、靖国神社にも申入れ。
第6回 2003年 4月16日 「夫の生死・消息を調べて!」と崔乙出さんが陳述。厚生労働省とも交渉。日韓協定・法律144号問題、韓国の「真相究明法」で進展が報告される。
第7回 2003年 6月12日 無謀な作戦でニューギニアのギルワで戦死した犠牲者、浮島丸爆沈事件の犠牲者に関し安全配慮義務違反を主張。
二次提訴 2003年 6月12日 シベリア抑留者を中心に第二次提訴。韓国シベリア朔風会から李炳柱、李在燮、鄭元九さんが来日し意見陳述。日本の全抑協と連帯。参議院で論戦。
第8回 2003年 9月11日 靖国合祀問題で韓国学者による鑑定意見書を提出。名古屋空襲で鼓膜を破られた宋琅錫さんが陳述、厚生労働省には在籍確認を要請。
第9回 2003年11月20日 激戦地ニューギニアで父を亡くした趙茂衍さんが「靖国合祀を取りさせて!」と陳述、靖国神社に申し入れ。
第10回 2003年12月17日 横浜大空襲で大火傷を負った黄圭鐸さんが陳述。原告側より 靖国合祀での日本政府の関与を立証。一次提訴と二次提訴の併合を決定。
第11回 2004年 2月18日 無謀な中国戦線での生存者・金福漢さんが「供託金の存在さえ知らせなかった」と陳述。安全配慮義務に関する準備書面と、遺骨返還に関する書証を提出。
第12回 2004年 4月14日 浜名湖高射砲部隊で死ぬ思いをした李仁浩さんが未払い金返還を求めて陳述。右崎正博教授による日韓協定・法律144号に関する鑑定意見書を提出。
第13回 2004年 6月30日 李炳柱さんがシベリア抑留に対する謝罪と補償を求めて陳述。同行した金銀植さんは韓国で成立した真相究明法と調査活動への協力を支援者に要請。
第14回 2004年12月 8日 浮島丸犠牲者遺族の林西云さんが「生活が厳しく学ぶ機会もなかった」と意見陳述。靖国問題で沖縄県公文書館の文書等を書証として提出。
第15回 2005年 2月16日 シベリア抑留者に対する日本の義務を主張する準備書面を提出。供託金の証明、軍事郵便貯金の証明、靖国合祀の証明、靖国神社の回答書、BC級戦犯の記録 など多数の書証を提出。
第16回 2005年 4月13日 咸楊根さんは、叔父が戦死。厚生労働省で軍歴証明を取りよせたが、戦死場所が書かれていなかったと陳述。第17回よりの本人尋問を決定。
第17回 2005年 7月14日 第1回目の本人尋問。李熙子さん、金幸珍さん、李炳柱さんが証言。李熙子さんの和光大学での講演、3名の原告との交流「60年後の出会い」(大阪)など、学生・子どもとも交流。
第18回 2005年 9月 1日 第2回目の本人尋問。金景錫さん、羅鉄雄さん、李洛鎮さんが証言。
第19回 2005年10月20日 「靖国合祀」取下げ請求の24名追加し、117名に! 靖国合祀、日韓協定の不当性明らかに
第20回 2006年 2月15日 イ・ヒジャさんとパク・イムソンさんが最終陳述。130頁をこえる最終準備書面を提出!
判決

 2006年 5月25日

事実に目を背けた最悪の判決 。原告・支援者は抗議・糾弾する。(ニュース38号で報告)