呼びかけ人・原告・参加団体からのアピール

 

飛田雄一さん(神戸学生青年センター館長・呼びかけ人代表)

 この裁判は規模も課題も大きいけど、みんなで支えて成功させていきましょう。以前NHKのドキュメントで、中国人で日本軍属となっていた人のその後が放映されました。捕虜収容所で、収容所の管理人の仕事をさせられていた人が、戦犯として絞首刑となった話です。この仕事は、彼が言葉に通じているからと、命じられただけなのです。その人は、オーストラリアで軍事裁判にかけられたとき、「ビンタしたことがあるか?」「はい、あります」「クリスチャンの白分としてその行為をどう思うか?」「残虐な行為だったと思う」と答えて、絞首刑になったのです。私は、中国人の元軍人軍属の裁判を支援していますが、日本にいたということだけで、中国で迫害を受けているのです。侵略者に荷担したかのように思われてしまうのです。そんなことも歴史の重要な部分として、真摯に受けとめて、ともに進めていきましょう。共にやっていきましょう。

李宇海さん(弁護士・呼びかけ人代表)

 ご苦労様です。原告の事情が多岐にわたっているので、スタートさせるまでが非常に大変ですが、訴状の骨子はできています。裁判の主旨説明に当たる部分です。

@ 遺骨を返せ。ないなら探せ。  A 死亡の年月日、場所、理由を全て明らかにしろ。
B 靖国への合祀を絶祀しろ。   C 未払い金、軍事郵便貯金を返還しろ。
D 韓国の新聞に謝罪文を載せろ。 の5本柱。弁護士は5人で、6月に提訴します。
 訴状の具体的な内容ですが、死亡の不通知、遺骨の未返還、靖国合祀を前面に出して、人格権の侵害という概念で追求していきたい。人格権とはその人の生活も精神も全てが破壊され傷つけられたということ。特に合祀の間題は、侵略者と共に祀られるという屈辱、韓国における遺族の痛惜ははかり知れません。

 戦後補償裁判は同じような判決が続いています。唯一勝った従軍慰安婦裁判も、広島で逆転敗訴。東京地裁で勝つのは非常に困難だが、人格権の間題として「合祀をやめろ」が、突破口にならないかと考えています。日韓協定以後に作られた法律144号は、個人の請求権を勝手に否定したもの。「国の分離、独立にともなう処理であり、戦争犯罪と同じようなもので…まことにやむを得ないものとして…」と請求権を否定しています。この訳の分からない壁を突破したい。

 東京杉並区で、東洋大の大倉教授(慰安婦は商行為だったといった人物)は、教育委員をすっかり入れ替えました。こうした石原的、藤井信勝的なものに対抗しなければいけない。長くかかる裁判だと思うが、共に頑張っていきましょう。

金景錫(キム・ギョンソク)さん(太平洋戦争韓国人犠牲者遺族会会長)

 韓国では、与野党一致で『日本は教科書を改正せよ』と言っており、国会議員が日本の国会前でハンストをするほど怒っている。靖国神社に合祀されていることは、韓国にあらゆる辛酸をなめさせた日本に尽くした『売国奴』と韓国では見られる。これは痛惜の念に絶えないものだ。被害者は生きているうちに解決しなければ、永遠に解決できない。一致団結して、日本の未来のために頑張りましょう。

李熙子(イ・ヒジャ)さん(太平洋戦争被害者補償推進協議会副代表)

 父親が陸軍軍属として徴用され戦死した。「日本政府は道徳的にも人道的にも応えるべきなのに、礼を失した対応をしている。その上、今度は歴史を歪曲する。知らないうちに日本に忠義を尽くしたと靖国神社に合祀されていることは耐えられない。ここに集まった皆さんの信実を集め、最後まで原告を見守ってほしい。

金幸珍(キム・ヘンジン)さん(太平洋戦争被害者補償推進協議会)

 日本が侵略戦争を始めた年、1941年6月警察により軍隊に強制入隊させられ、一番戦闘の激しかったところに行かされた。輸送船11隻うち2隻は沈められ、着いたのは残り9隻。ガダルカナルでは米軍と日本軍のすごい戦闘で多くが戦死し、残ったのは800名くらい。日本が敗戦したことを知ったのは、1946年の2月。それも米軍の飛行機からのチラシから。草木や蛇など食べることのできるものは全て食べた。多くが栄養失調、マラリアなどで死に、最後は14名しか残らなかった。厚生省に照会したら、1247円の供託金があるとのこと。厚生労働省、法務省は何もできないという。胸がすごく苦しい。

李璋雨(イ・チャンウ)さん(同全羅南道協議会)

 全羅南道からきた。私のおじは1943年ニューギニアで戦死したという通知がきた。遺骨の返還はなく、今は仮のお墓を作って毎年祭っている。遺骨が返還されるように皆さんお願いします。

黄昌協(ファン・チャンヒョプ)さん(同全羅南道協議会)

 光州から来た。父が亡くなってから苦労して生きてきた。成人して行くのが軍隊なのに、父は17歳で連れていかれた。父のように17歳で連れて行かれるというようなことを日本の若者ももっと知らなければならない。皆さんの支援をお願いします。

鶴見弁護士さん

 今、5名の弁護団でこの裁判の準備をしています。そして、現在までに、何度も弁護団会議を開いて、6月提訴へ向け、鋭意努力中です。今回の裁判は日本政府を相手の裁判ですし、長く、厳しいものになると思っています。しかし、弁護団としては、250名あまりの原告予定者の方々、全国津々浦々の支援する会の方々と力を合わせて、がんばりぬきたいと思っています。また、弁護団は、5月の末に訪韓し、原告予定者の方々と親しくお話したいと思っています。そのときは、是非、色々なお話しを聞かせていただきたいと思います。

西川重則さん(平和遺族会全国連絡会事務局長)

 靖国神社の合祀の問題は今でも重要な問題であり、遺族のあり方を考えながらやってきております。旧植民地時代の台湾、朝鮮の約5万の人たちが靖国神社に勝手に祀られています。私としてはこの問題に無関心でいることはできない、ということで参加しました。遺骨の返還ということでも、日本の遺族会を考えても全く違う、そういうことを含めて日本の国のあり方そのものにかかわる問題です。
 新しい教科書問題が問題になっていますが、報告にあった、これこそが教科書問題への応えだ、というのは私も同じ考えです。今日証言されたことそのものが生きた教科書だということを肝に銘じて新しい悪い教科書について私たち日本人が言うべきことを言わなければなりません。
 私の兄がビルマで戦病死したのは敗戦の年の9月15日。逃げて逃げて死んだという、こういう戦争になぜかかわったのかというのが私の課題です。日本の遺族というのは色々なことを考えてきたけれども、一番ちかい国々との関係を最も大事にすべきなのに、深刻な生き様というものを知ることなくずいぶん長い間過してしまったという思いがします。痛恨の思いであります。日本の遺族は被害者という立場だけでなく、加害という立場の遺族である、という思いをもって、懸命にできることをしなければならない、と思っています。今日からまた思いを新たにして、皆さんの訴えを肝に命じて、全国平和遺族会に報告し、何ができるか、何をすべきかということを検討し、できることをしていきたいと思います。

湯浅謙さん(中国帰還者連絡会)

 今日は、心の重い、しかし、将来へ向けて明るい会に参加させていただいたことにお礼を申し上げます。許すことのできないことを犯し、しかし、敗戦後も中国に抑留されたなかで、自分の犯した戦争罪悪を通じて、戦争実態を知りまして、帰国したのが戦後13年ということです。日本では戦争実態がそのまま伝わっていない、美化されているということを知り、そのことを暴露することによって実相を訴えている団体です。今日の話を聞き、軍国主義、そして、戦後処理についても同じような誤りを犯していると思った次第です。今日は、会を代表して参加しました。このことを伝えてしっかりととりくむようにしたいと思います。これは、日本に対する警告だと思います。非常な危険な状態であると思っています。今後会に戻りまして、必ずこの運動に参加するようにしたいと思います。

篠原国雄さん(戦没船を記録する会)

 1994年に船員の遺族と船員のOBが「戦没船を記録する会」をつくりました。戦争中の民間乗組員のこと、そして、戦没船のことを記録に残そうと会を発足させました。そして、厚生省の資料に基づいて、昭和47年、72年につくられた戦没船員名簿というものがつくられました。その中には、6万331人の戦没船員が記録されているわけです。日本人のほかは、朝鮮籍の人は1614名、台湾籍の方が1019名などです。会が発足して、あるとき台湾の方が、戦死した兄について調べたところ退職金が残っていたことがわかりました。戦死したという通知があっても、どこでどうやって死んだのか、分らない。どこで、いつ、どの船で、どういう状況でやられたのかという資料が記録する会には残っています。記録する会は21日に第8回目の総会を開きますので、そのときに今日の報告をし、会としてどういう協力ができるか、また、個人として何ができるか、考えたいと思います。

内海愛子さん(日本の戦争責任を肩代わりさせられた韓国・朝鮮人BC級戦犯を支える会)

 BC級戦犯を支える会は現在、立法化を進める会に発展解消しました。これは、最高裁で判決がでまして、司法で判断を下さないで国会における補償立法をつくるようにという判決があったもので、国会での立法をもとめる運動以外に道がないということで、立法を進める会ということにしました。

 私たちが一緒に活動しているのは、捕虜監視員にさせられた軍属が中心です。私たちは戦犯にさせられた148人の軍人および軍属の人たちに限定して、活動してきた。しかし、それ以上に20万人におよぶ韓国・朝鮮人の軍人・軍属の問題というのは、ずっと気にかかっていて、いつかだれかが調べなければと思っていた問題です。戦死、戦病死者2万人の方々が亡くなっています。激戦地となったニューギニアには何度か行きましたが、たしかに遺骨が残っています。ギアフ島という島に日本軍がたてこもった大きな穴がありますが、5000人の日本軍がたてこもり、連合軍の爆撃によりほとんどがなくなっていますが、インドネシアでは「日本軍の穴」と言われています。そこに韓国から訪ねて来られた方がいました。はじめて韓国人の軍人軍属もいるんだということを教えられました。

 この問題はずっと気になっていた問題です。私も有力なメンバーがいるので、できるだけ協力していきたいと思います。