第8回口頭弁論 2003年9月11日 東京地裁


原告・宋琅錫さん意見陳述!

 

原告を囲むつどいで

 

 9月11日、第8回口頭弁論が行なわれ、韓国から原告・宋琅錫(ソン・ランソク)さんが来日されました。宋さんは、「必ず、軍隊に志願しろ」と言われ、名古屋に配属。名古屋空襲で鼓膜を破られ、解放後も両耳が聞こえない大変苦しい生活を余儀なくされました。すでに、74歳という高齢をおしての来日でした。
 来日した宋さんは、法廷で傍聴者を前に「(名古屋空襲で)B29直撃弾の破片が頭の左側にあたり、爆弾の爆風で両耳鼓膜が破れ、両膝にも破片が打ち込まれた」「犠牲になる価値も感じられないまま、誰のための戦争であるかも分からずに行かなければならなかった人生が恨めしく嘆かわしいばかりです。今考えられたら憂憤がこみ上げてくる」と力強く訴えました。

靖国合祀問題で、韓国の民俗学大家の鑑定意見書提出!

 口頭弁論では、宋さんの意見陳述のほかに、大口弁護士が、日韓請求権に基づく法律144号において全てが解決したとする被告・日本政府に対して、「そもそも韓国国民は、本法制定には、何ら関与もなす機会は全くなかった。全く一方的強奪である」「財産権を補償した憲法29条に違反するものだ」と弁論しました。
 また、靖国合祀問題で韓国のお二人の学者、韓国シャーマニズム学会長・李弼泳文学博士、韓国歴史民俗学会理事・周剛玄文学博士の鑑定意見書を提出しました(鑑定意見書の説明は別掲)。その中で「韓国人は決して、彼らを日帝の護国英霊としてとらえることはできない。彼らは必ずその家族や後裔の待つ韓国の故郷に帰らなくてはならない」と、合祀取消の必要性を明らかにしています。

厚生労働省で事実確認 ― 資料なし?

 

厚生労働省で

 

 口頭弁論終了後、厚生労働省で在籍確認を行いました。厚生労働省からの事前回答は、「資料はない」とのこと。宋さんは「何故!」という思いで来日しました。朝鮮では、陸軍の造兵廠養成所に入り、その後、名古屋の海岸近くの造兵廠に配属され、飛行機の風防の製造をさせられました。
 今回、なんとしても自分の在籍を確認したいという宋さんの思いはかないませんでした。名古屋は三菱の航空機生産の拠点であり、また、陸軍の大規模な造兵廠もありました。しかし、宋さんの在籍は確認されないまま。40年間両耳が聞こえず、大変な戦後を送らざるをえなかった、その原点である在籍の確認すらできないのに、納得できるはずがありません。

放置できるのか! 終わらぬ戦後

 今回、前回、前々回と来日の原告を含め、徴兵・徴用されながら被害者の在籍さえ確認できない例が多くあります。また、遺骨がどうなっているか分からない原告も多いのが実状です。はたしてこれで、戦後が終わったと言えるのでしょうか?
 9月29日、中国の毒ガス遺棄問題で、原告全面勝訴判決が出されました(東京地裁)。この判決は、「政府が、遺棄場所などの具体的な情報を中国に提供し、より少ない年月で、より多くの場所で遺棄兵器を処理されていた可能性がある」と認定し、その上で、「法令上に具体的根拠がない場合であっても『条理』により、法的義務を認めることができる」としています。
 日本政府は、アジア各地に残した戦争の傷痕を何一つ解決していないのです。戦後必要だったのは何より「現状復帰のための調査=真相究明」だったはずです。この残存毒ガス兵器、生死の有無、遺骨の調査、死亡通知など人として最低限のことさえしてこなかったのです。だからこそ、アジア各地の被害者たちは裁判を起こさざるを得ないのです。
 日本政府は、直ちに毒ガス等の遺棄被害者の救済のみならず、全ての兵器の遺棄場所や、遺骨や生死確認などに着手すべきです。

 

韓国人の死生観・宗教観
靖国神社への合祀は耐え難い恥辱
 <韓国学者作成の鑑定意見書を提出>

 9月11日、第8回口頭弁論で、韓国の宗教・民俗学者の李弼泳(イ・ピルヨン)氏、周剛玄(チュ・カンヒョン)氏による、韓国における宗教・民俗学的見地からの鑑定意見書を提出しました。以下は、その要旨です。 (全文)

韓国人の死生観

 韓国人は、人間は肉体と霊魂によって構成されていると信じている。人間は死ねば霊魂は肉体から離れるが、正常な死の過程を経て、手順通りの葬礼が成され、遺族が決められた祭祀を続ければ、幸せに来世で過ごせると考えている。この考えは、仏教・儒教・キリスト教等問わず、韓国人のあらゆる宗教に共通する死生観である。
 「正常な死の過程」とは、円満な家庭生活を過ごし、自分の家で家族に見守られながら死に、一定の手順で葬礼を受けることで成立する。逆に、不遇な人生を送り、自分の家で死ねず、葬礼も成されない死者は、死んでも現世にも居れず、来世にも行き場のない魂(雑鬼)のまま、さまようことになる。そうした不完全な死を救うため、韓国人は、宗教的な最善の努力を惜しまない。
 韓国人の考える最大の不幸な死とは、故郷でない土地で意に反する死である。そのような死は、死者自身もその遺族も不幸になると考える。こうした死者は、死体も魂も故郷に連れ戻さなければならない。そうしなければ魂は、永遠にさまようことになる。故郷に戻した死者は、手順に従った葬礼・祭祀をあげることにより、無事に来世に行くことができ、救われる。

靖国合祀は、耐え難い恥辱!

 自分の故郷でない土地で、それも他国で不幸な死を強要した当局者によって祭祀が行われることは、韓国人のどの宗教の信者にとっても、まったく受け入れがたい。日本に占領され、自身が望んでいなかった皇国臣民の資格で徴用・徴兵されて悲惨に死んでいった死者にとって、靖国神社に自分の魂が安置されることは、耐え難い恥辱である。彼らは死んだ後にも、植民地支配から抜けることを強烈に願っている。
 また、韓国では国内外の不当な権力によって犠牲になった死は個人的次元の問題でなく、社会的・歴史的な死として、その魂は浮上し拡散すると考える。このような死に対しては悲哀を民族的に共有し、恨みをはらす(解冤)ことを、国民全体の義務と考える。韓国人は靖国神社の韓国人徴用・徴兵による犠牲者合祀も民族的解冤次元の問題としてとらえている。
 


韓国人は民族文化抹消の象徴「靖国」を拒否

 特に靖国神社は天皇制イデオロギーの頂点であり、民俗思想を抹殺し、単純に“戦没者や国事で死んだ者”に対する国家的な儀礼ではなく、国民を安心して戦場に出向かせ、“国家のために”命を落とさせるための“軍国主義的宗教の役割”としての尖兵であった。彼らが朝鮮に建てた神社の数は1945年6月現在で郡単位に建てられた神社が70箇所、面単位に建てられた神社が1062箇所で、すべて合せると1141箇所になる。これらの神社は韓国の解放と共にすべて焼けてなくなり、現在は一箇所も残っていない。このことは韓国人が日帝の民族文化抹殺政策に対してどれほど抵抗し拒否していたのかを象徴的に示している。解放後、半世紀が過ぎたいまでも韓国人が靖国神社に合祀されてるということは民族的感情から見ても、また韓国人の宗教的観念に照らしてみても受け入れることはできない。