第13回口頭弁論 2004年6月30日 東京地裁


原告・李炳柱さん、集中豪雨で法廷に間に合わず
大口弁護士が陳述書を代読!

今秋発足の韓国真相究明法調査活動に協力を! 

 

大口弁護士が挨拶(報告集会)

 

 6月30日、グングン裁判の第13回口頭弁論が開催されました。今回の口頭弁論のために、シベリア抑留原告・李炳柱(リ・ビョンジュ)さんと、太平洋戦争被害者補償推進協議会事務局長・金銀植(キム・ウンシク)さんのお二人が来日しました。29日大阪入りしたお二人は、30日上京し、午後の法廷で意見陳述の予定でしたが、突然の集中豪雨で新幹線がストップ。東京着が大幅に遅れたため、本人の陳述ができないという残念な状況になってしまいました。
 法廷では日本人のシベリア抑留者団体である全抑協の会員をはじめとした支援者で一杯となり、原告・李炳柱さんに代わり、大口弁護士が力強く陳述書を代読し、法廷に訴えかけました。また原告から靖国合祀にかかわる書証を提出。8月31日に進行協議が入ることになりました。口頭弁論後、多数参加していただいた全抑協を代表して平塚事務局長から「最後まで一緒に闘う」と力強い決意が寄せられました。

 

韓国KBSが李炳柱さんに同行取材

 

もう待てない!

 夜の報告集会では、李炳柱さんから、自らの過酷なシベリア抑留体験と韓国シベリア朔風会のあゆみが語られました。(陳述書あゆみを参照)
 「抑留地で我々が日本人でないと言ってもなかなか信じてもらえなかった。日本軍(将校)から提出された名簿に日本人となっている、といわれた」「夏の服装で抑留された最初の冬、多くの仲間が亡くなった。冬なので死体はそのまま春が来るまで積上げられていた」そうです。韓国に帰国後も、苦労の連続。戦後40年、韓国とソ連が国交回復するまで、ソ連抑留を話すことができず、抑留の事実を隠さなければ公的な職につくことも出来なかったのです。二重、三重の被害の補償こそが問われています。

今秋から発足の韓国・真相究明法
 
 金銀植さんは、今年2月韓国の国会で成立した「日帝強制占領下強制動員被害真相究明等に関する特別法」について報告。大統領のもとに真相究明委員会が設置され、100名を超える調査員がまず2年間の期間で動くことに。調査は、韓国内のみならず日本・海外も含まれ、被害者の申告が行われます。資料を全面公開していない日本からの協力が不可欠だと協力が訴えられました。