「靖国神社無断合祀取下げ訴訟支援」記者会見
(2006.12.8 ソウル)

1.“ 侵略神社靖国提訴闘争を共に!”

 1941年の今日は太平洋戦争が勃発した日です。この戦争で2000万人に達するアジアの人々が虐殺されて犠牲になり、悲劇的な侵略戦争の傷はまだアジアの至る所に残っています。特に日本帝国主義の植民地だった朝鮮半島の民衆たちの被害は、どんな国よりも悲惨でした。数十万の人々が強制動員されて戦地に駆り立てられ、数万の女性たちが軍隊慰安婦に引っ張られていき、食糧と物資の収奪は極限に達し、大部分の民衆たちは飢餓に喘がなければなりませんでした。不幸にもこの悲惨な戦争に対して、今日の日本はアジアの共栄のための聖戦だと言っています。21世紀に入り、国際社会は20世紀に人類が犯した野蛮な侵略と虐殺に対して真心に満ちた反省と和解を追求してきたし、恥ずべき歴史を正す努力を惜しんでいません。

 人権と平和、共存の文明社会に向けた人類社会の努力に反し、日本の為政者たちと極右勢力たちは侵略戦争を歪曲・美化しています。この退行的な歴史認識の頂点に靖国神社があります。侵略を聖戦であると歪曲し、そのために犠牲になった数百万の被害者たちを戦犯たちと一緒に戦争の神として祀って参拜しながら、口では平和を語っているのです。この靖国神社に、強制動員により犠牲になった2万1千余名の朝鮮人たちと2万8千余名の台湾人たちが、戦争が終わって60年がたった今日まで無断で合祀されています。

 今年の夏、8月13日から16日まで、東京で数千人の良心的な日本人たちと一緒に行なった「靖国反対キャンドル共同行動」を通じて、私たちは侵略を美化して平和の脅威となる靖国神社の危険性と、侵略戦争で犠牲になった2万1千余の植民地朝鮮人たちの寃魂が靖国神社に無断で合祀されて蹂躙されている現実を全世界に知らせました。継続して「靖国神社反対共同行動」韓国委員会は、台湾、日本、沖縄地域と連帯をさらに強化して来年にも日本とアメリカで共同行動を推進するでしょう。
 東京では韓国と台湾、日本のすべての人権平和勢力たちが一堂に集まる東アジア平和フェスタに取り組み、ニューヨークでは靖国神社の反人権、反文明、反平和的本質を暴露する国際学術大会を開催して国連人権委員会陳情のための国際社会の支持を得て行くでしょう。しかしなによりも一番急ぐ事は、半世紀が過ぎても蹂躙されてきた犠牲者たちの魂を取り戻してくることです。植民地時代に強制連行されて犠牲になった被害者たちの寃魂は当事者の宗教や遺族の意思と無関係に侵略戦争の神として合祀されたまま半世紀が過ぎても陵辱されています。

 私たちは2006年の今日から日本内の良心的な弁護士たちの支援を得て無断合祀取下げのための東京裁判を始めようと思います。今回の訴訟は日本社会でタブーになってきた靖国神社に対する最初の公式提訴であり、合祀取下げのための法廷闘争の始まりです。1991年から始まった対日過去清算訴訟は、その間約40余件に至っており、数億ウォン台に達する裁判費用は良心的な日本人たちの募金活動と無料弁論で充当されてきました。裁判の原告に参加した韓国のある遺族は、この10年近くの間に70余回に至る日本訪問費用を全部日本の市民社会の支援で充当してきたと何度も言っています。日本の市民社会の変わりない声援はまことにありがたいことに違いありません。しかしながら韓日過去問題を繰返し強調する私たちの社会としては、反省しなければならないことに違いありません。

 今回の裁判闘争もやはり多くの時間と費用が必要となるでしょう。人権と平和に向けた私たち皆の希望と努力が実を結ぶことができるまで、無断合祀撤廃のための訴訟支援活動を共にしてくださるように切に訴え申し上げます。

2006年 12月 8日
靖国神社反対共同行動韓国委員会

2.靖国神社提訴原告団

 靖国神社訴訟は 4ヶ国共同行動で進めます。今年の8月11日、台湾と日本の遺族たちが共同の原告団を組織して大阪地方裁判所に提訴し、韓国は今日を始まりに 2007年 3月1日、東京地方裁判所に、沖縄は現地で訴訟を進める予定です。この裁判に参加する韓国の原告団は下記の通りです。

イ・ヒジャ(李煕子)
 1943年、京幾道江華生まれ。 父親イ・サヒョン(李思R、日本名 李原思蓮)は陸軍軍属に強制動員されて特設建築勤務第101中隊で勤務中、1944年 6月 11日、中国廣西省第180兵站病院で戦病死。1959年 4月 6日、靖国神社合祀。

イ・ジョンジン(李種鎭)
 1945年、江原道横城生まれ。父親イ・ミョンヨン(李明永、日本名 明永)は海軍軍属に強制動員されて、1945年 6月 30日、フィリピン、ルソン島、マニラ東方の山中で戦死。1961年 10月 17日、靖国神社合祀。

キム・ギホ(金h鎬)
 1942年、忠清北道沃川生まれ。 父親キム・マノプ(金萬業、日本名 金本萬業)は陸軍軍属に強制動員されてタイ捕虜収容所で勤め、1944年 9月 12日、中国海南島の東方 240里で戦死。1959年 4月 6日、靖国神社合祀。

コ・インヒョン(高仁衡)
 1942年、済州道城山邑生まれ。 父親コ・モンチャン(高夢讚、日本名 高山秀男)は陸軍軍人に強制動員されて、1944年 9月 3日、東部ニュ?ギニア、ポイキンで戦病死。1959年 4月6日、靖国神社合祀。

パク・ウォンベ(朴元培)
 1941年、忠清南道大徳生まれ。父親パク・ホンテ(朴憲泰、日本名 中原憲泰)は陸軍軍人に強制動員されて、1944年 12月 19日、中国安徽省で戦死。1959年 4月 6日、靖国神社合祀。

ユン・オクジュン(尹玉重)
 1940年、忠清南道論山生まれ。父親ユン・サムビョン(尹三炳、日本名 尹坂康雄)は海軍軍属に強制動員されて、1944年9月15日、南洋群島パラウ、ペリリュ島で戦死。1959年 10月17日、靖国神社合祀。

パク・ギチョル(朴基哲)
 1943年、咸鏡南道高原生まれ。父親パク・ブンヒョン(朴豊鉉、日本名 木本豊鉉)は陸軍軍人に強制動員されて、1945年 6月20日、フィリピン、ミンダナオ島、パタンで戦死。1959年 4月6日、靖国神社合祀。

パク・イムソン(朴任善)
 1932年、忠清南道洪城生まれ。父親パク・ジェカプ(朴載甲、日本名 竹村載甲)は海軍軍属に強制動員されて、1944年 12月11日、南洋群島ナウル島で戦病死。1959年 10月17日、靖国神社合祀。

ナ・ギョンニム(羅敬壬)
 1942年、全羅南道長城生まれ。父親ナ・ヨンギ(羅永基、日本名 羅本永基)は陸軍軍人に強制動員されて、1944年5月30日、東部ニュ?ギニア、ウラウで戦死。1959年4月6日、靖国神社合祀。

イム・ソウン(林西云)
 1942年、忠清南道公州生まれ。父親イム・マンボク(林萬福、日本名 林萬福)は海軍軍属に強制動員されて、1945年 8月24日、日本の舞鶴湾内の浮島丸爆沈事件で戦死。1959年 10月17日、靖国神社合祀。