東京新聞・社説(2025.2.6)
靖国合祀判決 「政教一体」疑い晴れぬ

 靖国神社への戦没者合祀(ごうし)訴訟の判決で、最高裁は、国が戦没者名簿を神社側に提供した行為が政教分離を定める憲法に違反するかどうか判断しなかった。
 ただ、裁判官4人のうち三浦守裁判官は高裁での審理やり直しを主張する反対意見を述べた。違憲の疑いが拭えない以上、審理を尽くすべきでなかったか。
 靖国神社は幕末以降の戦死者らを祭神として祀(まつ)る。戦前や戦中は軍国主義を支える国家神道の中心として陸海軍が管理し、戦後はA級戦犯も合祀した。
 終戦直後は占領軍が合祀祭を中止させていたが、占領終了後に国が戦没者の名簿提供を開始。その後、約30年にわたって名簿を作成し、神社側に提供していた。
 「靖国神社合祀事務協力要綱」という文書が残るように名簿提供が特別な協力だったことは明らかだ。憲法が定める政教分離に抵触すると疑うのが自然だろう。
 原告の韓国人らの父親らは、日本統治下で軍人軍属として動員されて戦死や戦病死し、植民地時代の日本名で合祀されたという。
 遺族として「侵略した側との合祀は侮辱的。静謐(せいひつ)な環境で追悼する宗教的人格権を侵害された」との怒りや訴えは理解できる。
 しかし、最高裁第2小法廷は今回、損害の発生から20年で賠償請求権が消滅する除斥期間が過ぎたとして上告を棄却した。
 「時の壁」によって、違憲性の判断を糊塗(こと)したと受け取られても仕方があるまい。
 三浦裁判官は反対意見で、国が靖国神社と協議を重ねて一体で合祀を行い、政教分離に違反した可能性を指摘。遺族が合祀を認識できなかった年月を除斥期間に算入するのは不合理と疑問を呈した。うなずける点が多い指摘だ。
 政教分離を定めた憲法20条は、国が国家神道により国民の思想の自由を統制し、戦争に突き進んだ負の歴史の反省の上にある。
 ただ、政教分離に関する過去の判例は、国と宗教との関わりをある程度認めた上で、宗教に対する助長や圧迫などの影響が著しい場合などに限って違憲とする限定的な解釈の上に立つ。
 判例を国に有利なように恣意(しい)的に適用し、政教分離を空文化させているのが実態ではないか。最高裁は憲法判断から逃避せず、「憲法の番人」としての役割を全うすべきである。