朝日新聞・社説(2025.1.28)
靖国合祀判決 「時の壁」に逃げた司法
問題の本質から目をそらした判決といわざるをえない。
旧日本軍に所属し死亡した韓国人男性が戦後、国が提供した戦没者名簿をもとに靖国神社に合祀(ごうし)されていた。それを知った遺族が、平穏な精神生活が妨げられたと訴えた裁判で、最高裁第二小法廷は、原告の上告を退けた。
合祀は1959年10月より前で、それから20年が過ぎており損害賠償請求権は消えたというのが理由だ。合祀への国の協力は憲法の政教分離原則にかなうのかという争点に踏み込まなかった。一、二審が焦点を当てなかった旧民法の除斥期間を持ち出し、違憲審査を避けたように見える。
明治憲法下では国家神道が事実上の国教とされ、陸軍省など国の機関が合祀の基準や具体的な対象を決めていた。だが戦後の日本国憲法は国に「いかなる宗教的活動もしてはならない」と命じている。
国家と宗教のかかわり合いには慣習化した社会儀礼的なものもあり、判例は一律に否定してはいない。ただ、今回問われた靖国神社の合祀は明白な宗教的行為であり、それに不可欠な戦没者の情報の提供を国は戦後、30年以上も続けていた。憲法上の疑義がもたれるのは当然のことだ。
公務中に交通事故死した自衛官を山口県護国神社が合祀したケースで、最高裁は88年、自衛隊が合祀を進めたのは憲法が禁ずる「宗教的活動」とまでは言えないとしたが、学説の批判は強い。
今回は、靖国神社とのかかわりを通し、国が戦前の国家観に基づく行動を、戦後も続けていたのではないかという、国家のありようへのより核心的な問いだ。
合祀への遺族の心情は一様ではなく、とくに今回のように日本の戦争に旧植民地から動員された場合、遺族が否定的な感情をもつことは想像にかたくない。
注目したいのは、三浦守裁判官の反対意見だ。国の行為が憲法に違反した疑いについて、高裁では検討が尽くされていないと述べた。そのうえで、遺族が合祀を知ったのは近年になってからといった状況をふまえ、除斥期間が経過したかは明らかではないとも指摘。高裁で審理をやり直すよう求めた。
最高裁は昨年、旧優生保護法下の強制不妊をめぐる裁判で、国の免責は著しく正義に反するとして除斥期間を適用しなかった。国のモラルが疑われたのは、今回も同じだ。
昨年には幹部を含む自衛官の靖国神社への集団参拝も表面化した。国家と宗教の関係をチェックする司法のまなざしが、強く求められている。
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