原告陳述書

 裁判長、私は大韓民国江原道(カンウォンド)平昌(ピョンチャン)郡平昌(ピョンチャン)邑マジ里から参りました原告・李美代子です。私は今日、日本によって父を亡くしたことでこうして日本の法廷に立ち、拙い陳述をしなくてはならないことにあきれるばかりです。

 父は1921年4月22日、江原道(カンウォンド)ヨンウォル郡プク面マチャ里209番地で1男2女の長男として生まれました。当時、専門学校を卒業して村では羨望されていた青年で、徴兵される前は面事務所に勤務していました。結婚後、長女のキヨルを設けましたが1歳になる前に死亡し、続いて次女である私が生まれました。私が2歳になる年に父は徴兵され、その経緯については誰も私には教えてくれず、詳しくはわかりません。

 父が徴兵されてから「咸興(ハムン)」にある病院に入院したので祖父が面会に行ってきたことを聞いたことがあり、その後はなんの知らせもありませんでした。母は再婚し、私は祖父母のもとで幼少時代を過ごしました。

 解放になっても父の生死について何の連絡もなく、長男が戻ってこないことで祖母は精神に異常をきたし、一日たりとも子供を忘れることのないまま暮らし、私が結婚するとすぐに亡くなりました。

 ずいぶん経ってから父の記録を探し始めたのが、2001年12月27日、政府国家記録院でのことでした。記録によると父は、昭和17年虎8515部隊師団衛生隊として徴集され、昭和20年7月2日、フィリピン・ルソン島マンマヤンで戦死、靖国神社に合祀されているという事実を確認しました。父の戦死記録を確認したその日は、死ぬまで忘れられないでしょう。

 日本の右傾化の中心に立っている靖国神社に父が合祀されていることを知った瞬間、呆然として何も考えられませんでした。韓国に亡くなった父を待ち焦がれている家族がいるという厳然たる事実がありながら、通知もなく無断で合祀しているとは、全く信じられないことです。日本への恨みと憎悪が再び胸深く刻まれた瞬間でした。

 裁判長、この憤りがどんなものかお考えになってお答えをいただけないでしょうか。

 裁判長、私の家はキリスト教で幼い頃から信仰してきました。今も信仰生活をしています。日帝の時代に宗教的な理由で神社参拝を拒否したキリスト教信者を逮捕し拷問、投獄したという話を聞きました。またキリスト教の信者の中で神社参拝を拒否した者が組織的・集団的抵抗運動を展開し、結局は殉教者も出たといいます。そのような歴史的事実だけを見ても侵略戦争を正当化している、宗教ともいえない宗教施設に父の名前が無断で合祀されていることはとうてい納得できない事実です。

 私は親なしに育った幼少時代の悲しみがあまりにもひどく、苦しい思いをしてきました。親のない寂しさをどうやって表現すればよいのでしょうか。妻と子を置いて自分の貴い命をなくしてまで名分のない戦場に出ていこうとする人が何人いるというのでしょう。父を思うと憤りが爆発するほど無念で、それが胸の中にしこりとなって残っています。

 昨年12月、日帝強制動員真相糾明委員会の「海外追悼巡礼」で、ほかの遺族と共に父が最期を遂げた地、フィリピンに行きました。若い頃、夢もろくに果たすことができないまま、はるか遠い異国で悲惨な死を遂げなくてはならなかった父を思い、複雑な心情で戦争当時の痕跡をたどりました。そして太平洋の真ん中で茫々たる大海を眺めながら喉が張り裂けるほどに何度も父を呼び続けましたが、なんの返事もありませんでした。いくら声を張り上げて呼んで泣き叫んでも答えてくれない父。そんな私たちの気持ちがわかるかのように、その日は空も一緒に泣いてくれたのか一日中雨模様でした。

 裁判長、以上の内容は私が生きてきた中で見聞きし感じたことを、つたない文章力で訴えた陳述です。

 最後にいくつかまとめて主張したいことは、日本政府が家族に死亡通知もせず、父の遺骨調査もしないまま靖国神社に家族の意思に関係なく無断合祀したことです。私の父は日本人ではありません。解放された民族なのです。靖国神社に神という名目で監禁されている理由がありません。子として私の父の名前を削除することを要求するのは当然の主張です。今まで日本政府と靖国神社が私たち家族も知らないうちに強制的に合祀し支配してきたことは子として耐えられない侮辱です。

 裁判長、日本政府はすべて終わったことで何の責任もないといいますが、はたしてすべて終わったといえるのでしょうか。私たちにとっては何も終わっていません。これから始まるのです。遅くはなりましたが、今からでも、そんな日本政府の不当性に対する家族の主張に耳を傾けてくださり正しい判断を下してくださることを願います。

 私は日本政府には謝罪と補償を、靖国神社には父の名前の削除を堂々と求め主張したいと思います。それはなぜか。家族だからです。

2007年12月18日
陳述人 李美代子(イ・ミデジャ)