日本、 そしてヤスクニ裁判     李熙子

 去る2011年7月21日、東京地方裁判所民事14部において靖国無断合祀撤廃訴訟の判決がありました。裁判長は高橋譲でした。判決文は、原告の被害が日帝の植民地支配という凄絶な歴史から始まっているという事実を完全に無視しています。
 判決文で、裁判所は、靖国神社の合祀行為は単に宗教的なもので、これによる遺族たちの被害はないとしました。その理由は、被害者たちが合祀された1959年から遺族たちがその事実を知った最近まで、原告たちが合祀について知らなかったということは被害がなかったということを示しているからだというのです。
 これは、人を勝手に合祀しておいて見つかると、知らせもしなかったのに自分で知って、それで被害が生じるのだから、知ってしまった方の過ちである。言い換えると、遺族たちが勝手に家族の合祀事実を知ったのであって、靖国神社は間違ったことはしていないということです。

 立派に生きている人を合祀しておいて、「あ。。。 まだ生きていらっしゃったのですね。。。 でしたらまだ合祀はされていません。ですが、どちらにせよ霊璽簿は訂正することができません。ですから少し我慢してください。それくらいは我慢できます」と述べています。キム・ヒジョンさんは本人が直接嫌だといっているのに、亡くなれば自動的に靖国の神にならざるを得なくなりました。
 
 今回の判決を通じて、日本の司法の権威は地に落ちたと思います。靖国神社に対してこのような特別待遇をするとは、本当にとんでもないことで、人間としての良心も常識も、そして法的な論理もない判決を下して日本が得たものは司法に対する不信だけです。
 今回の判決は記録として残り、永遠に日本の司法を評価する基準になるでしょう。このようなでたらめ判決を下す裁判所を日本国民だからといって信頼できるでしょうか?今回の判決は、日本政府と司法、そして靖国神社が今も間違ったことをしながら、互いにどれほど緊密に協力しているのかを見せてくれるものでした。
 必ず歴史の記録として残り、 その責任をとる日が来ることでしょう。
 日本の良心的な方々に申し上げます。今回の判決が出るまで力を尽くし、関心を持ってくださった方々に感謝の意を表したいと思います。 この場を借りてご挨拶申し上げます。
 私は、今回の裁判は靖国の隠れていた実態が暴かれる機会になったと思います。植民地支配、 侵略戦争そして無断合祀に至るまで、裁判を通じて新しく確認された成果は小さくないと思います。

 @無断合祀の経緯と意味を知り、A1959年に合祀されたということを正確な証明書を通じて確認しました。そして、Bその過程で日本政府と靖国神社が協力していたということを知ることができました。私たち遺族はとんでもない事実に無念を感じますが、日本の方々の協力がなければとても成し得ないことでした。これまで絶え間ない交流を通じて努力してくださった多くの方々のおかげでここまで来ることができました。 感謝申し上げます。

 正直なところ、裁判所から出てくる時、とても腹が立ちました。裁判所をどのように歩いて出てきたのか、 覚えていません。 そして私たちを待ち構えていたカメラの前に立った時は、 くやしくて、無念で、身をもだえながら慟哭したい、そんな心情でした。しかし拳をぎゅっと握りしめながらこらえました。
 私がそんな姿を見せたら、弁護団をはじめとして、これまで裁判を支援してくださり、判決を見るために来てくださった日本の方々の暖かい心を傷付けてしまうのではないか、そんなことを考えながら、私の心を静めました。怒ったからといってすぐに何かが変わるわけでもないから、 気持ちをなだめて落ち着こうと努力しました。
 「判決には失望したが、 絶望はしない」と心の中で繰り返しました。
 裁判は、いま始まったのです。今回の判決は、これから継続される裁判の過程で、日本政府と司法を相手に闘う武器になることでしょう。
 いま考えると、 よく我慢したし、 あの時間をよく耐えたと思います。
 しかし、 心に石が置かれたように重苦しいのはどうしようもありません。

 私は判決要旨をいま一度読んでみても理解ができません。
 その中に含まれている内容は、

 耐えられない限度ではない。 耐えよ。
 霊璽簿から削除できない。
 人格権の侵害と見ることはできない。
 靖国は神聖な場である。
 靖国の宗教的権利を認めよ。
 日本政府や靖国神社が家族に知らせる義務もない。
 日本のために死んだ人を祀ってあげることの何が間違っているのか?

 何も間違ったことはしていないということです。何とも言い難い惨憺な気持ちです。今回の裁判の結果について日本ではあまり報道されていないようですが、韓国ではほぼ全てのメディアで記事と論評が出ています。靖国の何が問題なのかに関心が集まっているのです。そのような意味で、 今回の判決はよいきっかけになったと思います。
 これまで力を尽くしてくださった弁護士のみなさまをはじめとして、裁判を支援する会のみなさまにもう一度心から感謝申し上げます。これからも関心を持ち続けてください。そして、 ともに努力し、 生きている良心の力で正しい未来をつくっていきましょう。
これまで知らなかった方々も一緒に参加してくだされば、必ずや幸せな灯火になることでしょう。
 家庭の幸せと人間の尊厳性のために、皆ともに努力しましょう。言いたいことは本当にたくさんありますが、 これから伝え続けていきたいと思います。