鑑定意見書

1. 韓国人の霊魂観

 韓国人は、人間は肉体と霊魂(魂魄)で構成されていると信じている。肉体は死の過程を通して消滅する人間の外形的・物質的要素であり、霊魂は死後にも消滅せずに永生する人間の内面的・精神的要素だ。肉体は可視的要素だが、霊魂は不可視的要素である。

 霊魂は人間が死んだあとすぐに肉体と分離する。肉体から離脱した霊魂は現世を(韓国語では“イスン”という)去り、来世(または他界・死者の世界、韓国語では“チョスン”という)に移っていく。肉体から抜けた霊魂は来世に行かなければ安息と平安を得ることができず、またその家族や後裔、現世と正常で平和な関係を結ぶことができない。

 しかし、すべての人間が死んだあとに来世に行って安定を享受し、現世と親和な関係を結ぶわけではない。

 韓国人は人間が生前、どの程度の福楽を得、婚姻を結び、子孫を残した状態で平安で正常な死を迎えてこそ、その死者の霊魂が来世に薦度(死者の霊を極楽に導くこと)されると信じる。もちろん必ず一定の格式によって葬礼を執り行わなければならない。さらに、葬礼のさいに死体の損傷もすべてなくさなくてはならない。まともな死体でなければはやり正常な死とはいえない。

 このような死者の霊魂は一般的に祖上(祖先)と呼ばれる。この祖上という概念は韓国人の伝統的人生観や宗教生活において非常に重要な意味と機能をもっている。韓国では死者の霊魂が祖上に昇格してこそ家族や後裔、そしてほかの人間とも平和な関係をもつことができる。祖上は家族や後裔によって定期的に祭祀を受けることになる。死者の命日や名節に行われる祭祀は支社を祖上の身分に昇格・維持・確定する宗教的手順でもあり、また死者とその家族・後裔を定期的に会わせる機会を提供する。家族や後裔が“奉祭祀”(祖先の祭祀を奉ること)を通して祖上を定期的に奉れば彼らの人生も祖上の加護のもとに平安になれると信じることは韓国人にとってもっとも伝統的な人生観である。

 祖上とは異なり単純に鬼神にとどまる死者の霊魂もある。この鬼神はおおむね雑鬼という概念で、来世に行けず九天(天体)をさまよう鬼神であり、その鬼神自身もつらく苦しいが、その家族や子孫、ひいてはほかの人間にも害を与える霊的存在である。現世、来世、そのどちらの世界にも所属できないかわいそうな存在である。人間でもなく祖上でもないかわいそうな存在である。

 これら雑鬼になった死者は生前に不遇な一生を送り、さらに非正常的で悲劇的な死の過程を経た人間たちである。韓国人が考える正常で幸福な死は自分の家で、それも普段居住していた自身の部屋で、家族や後裔に見守られながら亡くなっていくことをいう。特に61歳、還暦を迎えるほど長寿で子孫を多く残した人が死ねばこれに対する喪事を特に好喪といい、よい死と考えられる。もちろんいかなる境遇であれ一定の手順による葬礼は死者を祖上に昇格させるための必須条件である。

 生前、福楽を得ても葬礼をもつことができなければ死者は当然雑鬼になる危険性が高い。そのうえ生前、不幸な生を生き、正常な死の過程を経ることができなければ、その死者の霊魂は現世に対する怨恨が深く、まず確実に雑鬼になる。このような特性を強くさらけだせばこれらの雑鬼は特に怨鬼(怨霊)と呼ばれる。

 祖上になれず単純な鬼神、特に雑鬼になる代表的な事例は以下のようである。たとえば結婚できず子孫を残すことができなかった死者、自身の家または故郷で死ねずに客地で死んだ死者、特に韓国ではないほかの国で死んだ死者、家族や子孫がその死を知らされなかった死者ある悲劇的な原因によって家族・後裔が葬礼を執り行うことができなかった死者、死体の全体または一部が傷ついている死者、死体が放置された死者などを挙げることができる。

 このような非正常的で悲劇的な死を経た死者を雑鬼という霊的身分から自由になり祖上に昇格させるために、韓国では次のような風習があった。

 つまり、未婚の死者をほかの性の未婚死者と死後婚姻を結ばせる方法、客死した死者を一定の格式によって故郷に安葬する方法、死者の死を公式に確認したあと正式な葬礼を執り行い、その遺族をして公式に哀悼の意を表させる方法、傷ついた死体の全身または一部を象徴的であれ現状復帰させでて正式な葬礼を行う方法などである。

 要するに韓国人は、人間が死ねば霊魂は肉体から離脱するが、死者の送った一生が幸福であったか不幸であったか、また死の過程や死に方の悲劇性いかんなどによって、あるいは正式な葬礼を受けたか受けなかったか、家族や後裔によって祭祀を受けたか受けなかったかによって雑鬼に転落もするし、祖上に昇格もすると信じてきた。

 祖上は現世と調和をもった関係を維持するが、雑鬼は現世と葛藤を引き起こす。したがって韓国人は九天をさまよう雑鬼自身のために、また現世の生きている人のためにも雑鬼になった死者の怨恨を解きその不完全な死を死後でも完全な死にしようと宗教的に最善の努力をする。

 このような韓国人の宗教的態度は死者の死を正常化して完成させ、雑鬼を祖上に昇格させて来世に安全に薦度(死者の霊を極楽に導くこと)し、永久に安息させようという人道主義に由来する。

2.霊魂の慰霊方法

 韓国人はいかなる死者の霊魂も葬礼や祭祀を通して礼遇と慰労を受けてこそ薦度され祖上になることができると信じる。

 生前に福楽を得て幸福な死を経た死者の霊魂も当然慰労される。

 しかし、不遇な人生を生きて悲劇的な死を迎えた死者の場合は、より複雑かつ精巧な葬礼によって霊魂が慰撫される。これらの霊魂は現世に対する怨恨や未練がかなり多いと信じられている。

 韓国人はこのような死者のためにチノギクッ・シッキムクッ・スマンクッ(クッ:巫女の儀礼)などのようなムーダンの祭儀として死者の怨恨を解いて慰労し、死者がもつ現世に対する未練を絶ち、ついには来世に行く道を得て薦度する。

 もちろん韓国は宗教多元主義の様相をなしているため仏教の薦度斉・盂蘭盆斉、儒教の祭祀、天主教の追慕ミサ、キリスト教の追慕礼拝などが行われるが、どの宗教儀礼でも悲しく悲惨で寂しい死者の霊魂を慰労し、来世に無事に送り安息できるようにする。こうして生者と死者、そして現世と来世の関係は正常になる。すなわち生者は現世に、死者は来世に帰還して各自の生活を営むのである。

 しかし、個人的な次元の死とは異なり、歴史的桎梏のなかに国内外の封建的・帝国主義的な不当な権力によって犠牲となった死は社会的または歴史的な死として浮上し拡散する。彼らの死は決して個人的な事件ではない。つまり彼らの解冤(恨みをはらすこと)も家族・親族の次元を超えて国家全体または地域社会が解決すべきもっとも急がれる課題として認識される。

 歴史的冤魂(無実の罪で死んだ魂)に対する解冤は韓国で長く続いてきた宗教的・社会的伝統である。現代史の代表的事例として1960年代に独裁政権の犠牲になった4.19民主学生烈士、1980年代に軍事政権の暴政に死んでいった民主運動烈士、そして2000年代に米軍の装甲車によりひき殺された女子中学生事件などを列挙することができる。彼らの死はすべての韓国人の心の中に痛みとして刻みこまれ、またその冤魂を解冤しなければならないという強い責務も感じさせてる。

 このような死に対する悲哀の民族的共有、その解冤に対する民族的義務は歴史を反省して前進させるのに重要な役割を果たしている。韓国人は靖国神社の韓国人徴用・徴兵犠牲者の問題も民族的解冤野次元ととらえている。

3.他郷で不幸な死を遂げた霊魂の慰霊方法

 韓国人は他郷で死んだ人の霊魂を客死鬼神ととらえる。もっとも不幸な死の一つが客死である。韓国人は自身が憎む人に対して「客死しろ!」とののしる。

 客死すればどんな霊魂も客地でさまよい客鬼になる。死者自身もその遺族もすべて不幸になる。このような場合は必ず客地から死体を故郷の家に格式をもって連れてこなくてはならない。さらに、客地でさまよう霊魂もともに故郷の家に連れてこなくてはならない。万一死体を納められないなら、霊魂でも必ず故郷に連れてこなくてはならない。

 死体と霊魂、または霊魂だけを故郷に連れてきたら正式な葬礼を執り行い、格式に伴う祭祀をあげる。故郷に戻ってその家族・後裔に会い、またその血族に帰属した霊魂はようやく来世に行くことができ、安息することができる。遺族も葬礼と祭祀を通して死者を正常に哀悼し礼遇することで、日常生活に戻ることができるようになる。

 特に、他郷で不幸な死を遂げた霊魂は必ず故郷に死体と霊魂をともに連れてこなくてはならない。

4.他郷で不幸な死を遂げた霊魂が他郷で祭祀を執り行っている場合の考え方

 韓国人は他郷で死んだ霊魂が故郷に帰れなければ、その死者は永遠に客鬼になると固く信じている。たとえば他郷でほかの人や宗教団体などによって霊魂が祭祀を受けたとしても客鬼という事実には変わりない。さらに死者が行きたくても行くことのできない故郷に帰還せず、その家族・親族・知り合いにも会えない状況で彼らによって葬礼や祭祀を受けられないために死者は怨恨を抱いており、悲観に陥っていると考える。

5.他郷での祭祀が不幸な死の原因をつくった者によって行われている場合の考え方

 自身の故郷でない他郷で、それも他国で不幸な死を強要した当局者によって祭祀が行われることは韓国人の普遍的考え方ではまったく受け入れがたい。

 すなわち、日帝による占領を受けた時代に、自身が望んでいなかった皇国臣民の資格で徴用・徴兵されて悲惨で悲しく死んでいった死者にとって靖国神社に自分の霊魂が安置されていることは耐え難い恥辱である。彼らは死んだあとにも植民地支配から抜けることを強烈に願っている。このような悲哀と侮蔑は彼らの冤魂のみならず遺族にも同様のことである。日帝時代に中国や満州などの地で死んだ多くの独立運動家の遺骸や霊魂も1945年韓国の解放後に続々と韓国に戻り正式な葬礼や祭祀を受けてきた。そのうち解放に多くの功労のある独立運動家は国葬の礼遇を受け国立墓地に安葬された。

6.他郷で祭祀を執り行っている霊魂を他郷での祭祀を受けたまま母国あるいは他郷でも祭祀を執り行うことができるのか

 焼香の場をいくつかの地域に設置して同時に多くの人が弔問するようにする特別な場合がある。

 しかし、特定の霊魂に対して他郷と故郷でつねに祭祀を受けるようにすることは韓国ではありえない。

 韓国の祖上祭祀はいくつかの地域に住んでいる後裔が宗孫(宗家の一番上の孫)あるいは長男の家に集まってともにつくるのが原則である。同一の祖上に対していくつかの地域の複数の子孫が祭祀を別々に行うことはありえず、そのような事例は歴史上決して存在しえなかった。

7.他国で祭祀を執り行っている霊魂を母国・故郷で祭るための方法

 他国で死亡した韓国人の霊魂を同じ他国に居住する遺族が祭祀を行うなら特に問題はない。もちろんこのような場合にも、故郷に帰還させて故国の遺族が祭祀を行うことがはるかに望ましい。他国で祭祀を受けた霊魂を故国に移すときはきちんとした祭祀やクッを通して霊魂に移転の理由を明らかにし、死体および霊魂が宿る位牌を故郷に心をこめて移して安葬し、命日や名節に祭祀を行う。もちろんこのときにクッで霊魂を慰撫し、薦度もする。こうして霊魂は来世で安息を取ることができ、遺族も日常の平安を取り戻すことができる。

 しかし、靖国神社に安置された韓国人の冤魂の問題はかなり特別でまれな事件であるため、個人レベルの一般的な事例と比較し判断することは事理に合わない。彼らは日帝植民地侵略と支配の犠牲になった歴史的冤魂であり、まだ来世に安着できずに九天をさまよう客鬼である。韓国人は決して彼らを日帝の護国英霊ととらえることができない。彼らは必ずその家族や後裔の待つ韓国の故郷に帰らなくてはならない。

 したがって、靖国神社ででも冤魂の位牌の前で簡単な祭りを行い、移転の事実を告げて霊魂を故郷に連れてこなくてはならない。彼ら冤魂の位牌は靖国神社からなんとしてもなくさなくてはならない。靖国神社に安置された位牌から冤魂を分離させて韓国の遺族の準備した新しい位牌に連れてこなくてはならない。そして故郷で安葬したり死体がないなら壇を立てても霊魂がとどまる陰宅(墓)を作りその家族や後裔に祭祀をさせなくてはならない。

 これに関連した細部的な霊魂の移転の手順は死者やその遺族の状況や判断によって儒・仏式や巫女式またはその混合・合同方式で進行することができる。

 靖国神社に祭られた強制徴兵・徴用された韓国人の霊魂をめぐる韓国人の伝統的考え方に関して、韓国の宗教・民俗・歴史の専門家として学問的良心と専門的識見に立脚して鑑定しました。以上のように簡略な鑑定書を提出します。

2003年7月23日

文学博士 イ・ピルヨン(李弼泳)
(韓南大学教授、韓国シャーマニズム学会長、文学財庁文化財委員)

文学博士 チュ・カンヒョン(朱剛玄)
(韓国民俗研究所長、韓国歴史民俗学会理事、文化財庁文化財専門委員)